【韓国】8500人延 ..
[2ch|▼Menu]
479:名無しさん@1周年
18/06/17 23:16:53.89 nxjhYjlO0.net
>>410
ドイツの場合はそうなった
T4作戦 - Wikipedia
URLリンク(ja.wikipedia.org)
T4作戦は、ナチス・ドイツで優生学思想に基づいて行われた安楽死政策である。
1939年10月から開始され、1941年8月に中止されたが、安楽死政策自体は継続された。
T4作戦への批判が高まったことから、1941年8月24日にヒトラーは安楽死の中止を口頭で命令した。
この中止命令により、安楽死政策そのものは公式的に中止されたと公には受け取られたものの、
実際にはハダマー安楽死施設のガス殺が中止されたのみに過ぎなかった。
それ以外の精神病患者の収容施設では医師・看護師による患者の安楽死が国家の統制を比較的受けない形で続行されるばかりか増加し、
「野生化した安楽死」と呼ばれた。
「反社会的分子」の「安楽死」も活発となり、労働を嫌悪する労働忌避者、精神病質者などがその対象となった。
「犯罪を犯した精神病患者」も強制収容所に送るよう命令した。
この対象には登校拒否児童、てんかん患者、脱走兵、労働忌避者が含まれている。
これらの囚人は労働に耐えられると判断されたうちは労務を強いられていたが、働けなくなった場合には安楽死が実行された。
法務省への報告によると、1942年11月に強制収容所に送られた1万3000人の反社会的分子は、1943年4月の段階でほぼ半数がすでに死亡していた。
1943年5月には労働力配置総監フリッツ・ザウケルが、病気で働けなくなった東方労働者の帰郷を禁じ、国家保安本部の特別収容所に移送するよう命令した。
これらの移送者は、病気回復が見込めない、または収容ベッドの余裕がない場合には「安楽死」処分が行われた。
1943年6月末からは口減らしとして「治療しても仕方がない精神病患者」を殺害するブラント作戦が始まり、医療施設から患者が大規模に移送された。
障害のある子どもたちは、普通の病院と違う特別な病院に入れられた。子どもを対象とする安楽死は1943年4月から本格化した。
その規模は次第に拡大し、やがては青少年も安楽死の対象となった。
これらの政策により、精神病患者などがおよそ8万から10万人、ユダヤ人が1000人、乳幼児が5000人から8000人、
労働不能になったロシア系などを含む強制収容者の1万人から2万人が犠牲となった。
ただし、現存する資料に基づくこの数字は、実態よりかなり少ないと見られており、犠牲者の実数はこの二倍に上るのではないかとも見られている。


次ページ
続きを表示
1を表示
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

2196日前に更新/250 KB
担当:undef