【車/昭和】日産「シーマ」(初代) なぜ「現象」と評されるほどヒットしたのか 「おお!」(憧憬)から、「お、おお…」(畏怖)に★2 at NEWSPLUS
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1:ばーど ★
17/08/23 11:24:29.27 CAP_USER9.net
日産「シーマ」(初代)。販売系列店ごとに「セドリック シーマ」「グロリア シーマ」がラインナップされた(画像:日産自動車)
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■その成功は「セドグロ」にあり?
1980〜90年代、「クルマの持つイメージ」というのは、とても大切なものでした。趣味趣向だけではなく、思考や人格、心意気までも、「何、乗ってるの?」の質問ひとつで推し量られていた、いま思うとなかなか強引な時代でした。その真っ盛り、1980年代後半から始まる「VIPカー」、「ハイソカー」ブームを、トヨタ「クラウン」と共に牽引した1台が、日産「シーマ(FY31)」です。
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日産「シーマ」(初代)。販売系列店ごとに「セドリック シーマ」「グロリア シーマ」がラインナップされた(画像:日産自動車)。
初代「シーマ」が発売されたのは、1988(昭和63)年1月のことです。その売り上げ台数の多さから「シーマ現象」という言葉まで生まれましたが、ヒットの土壌を作ったのが、前年の1987(昭和62)年6月にデビューした、7代目「セドリック」と「グロリア」、通称「セドグロ(Y31)」でした。
当時、セダンはおじさま方が乗られるクルマという認識でした。ボディは角張ったデザインで、インテリアもシートが無駄にフカフカし、6代目「セドグロ(Y30)」のインパネは通称「絶壁パネル」と呼ばれるタイプ。若者の人気は、スポーツカーに一点集中していました。
そこに登場したのが、前述の「セドグロ(Y31)」です。直線一辺倒ではない流麗なラインを持つボディには、スポーティなフロントバンパーがあしらわれ、インテリアもすっきりと一新されました。
決定的だったのは「グランツーリスモ」というグレードの設定です。4輪独立懸架の採用などで足回りを整えるとともに、VG20DET(V型6気筒2000cc DOHCターボ)エンジンを搭載。日産車で初めて採用されたこの「セラミックターボエンジン」は、軽量で抵抗が少なく、画期的な新技術として注目されました。いまでも、ある一定以上の年齢層は、「セラミックターボ」の単語に思わず1オクターブ上の声で反応してしまいます。
「セダン」アゲの雰囲気のなか、万を持して「シーマ」登場
「見た目もいいし、わりと速いし、セダンっていいじゃん」
そんな時代の雰囲気の中、満を持して登場したのが、日産のフラッグシップモデル、「シーマ(FY31)」(正式名は「セドリック シーマ」/「グロリア シーマ」)だったのです。前年秋の東京モーターショーから1月の発売までの間に十分現場は温まっており、発売直後から「シーマ」は瞬く間に人気モデルとなります。
日産「シーマ」(初代)
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「シーマ」と「セドグロ」の大きな違い、それは、シーマが「3ナンバー専用モデル」だったということです。同じモデル内に3ナンバーと5ナンバーがある場合、小さめに作ったベース(5ナンバー)のボディに、オーバーフェンダーを付けたりしてサイズアップを図り、3ナンバーモデルとして発売する、という作り方が一般的でした。そうなると、どうしてもデザイン的な制約が出てしまいます。これは3ナンバーと5ナンバーで大きく異なる自動車税や物品税の存在が理由で、たとえば後者は5ナンバーの18.5%に対し、3ナンバーは23%だったのです。
ところが「シーマ」は、最初から3ナンバーのクルマとしてデザインされたため、単体で完成されたデザインを誇っていました。全体的に丸みを帯びたフォルムは、いかにも「高級車!」という風情。ボディサイズは全長4890mm×全幅1770mm×全高1380mmと、「セドグロ」よりひと回り大きくなりました。そして1989(平成元)年には自動車税が改正になり、物品税が廃止(一方で消費税を導入)。「シーマ」には追い風となります。
>>2以降へ続く
乗り物ニュース 2017.08.21
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