野々村元県議の今後を考える5 at MAYOR
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44:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/10 21:24:08.65 kNRYrRrw0.net
深作より落ちると思っていたフランケンハイマーやフリードキンあたりの方がマシに思えた。
不調時のペキンパー的な凄みもないし、野暮さで押すジョン・ウーに勢いではかなわない。
何より登場人物たちの相克を描いて「恐喝こそわが人生」(68)の頃のようなシャープさが
もう無いのが辛い。みんなちっとも切実に見えない、遊んでいるようにしか見えないんだ

45:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/10 22:19:14.66 kNRYrRrw0.net
ハッピーアワーでやったワークショップもその手法らしいね
まず感情も排して平坦にセリフを読めるよう練習する
徹底的に排した後で、自然に滲み出てきた本当に必要なニュアンスだけ微妙に足す
庵野がシンゴジラで俳優に感情を込めさせるとろくなことにならんから異常な早口にして込める隙間を無くしたと言っているが近いアプローチだな
日本人はほとんど感情を出さないのが自然な姿だからそっちの方がリアルに見えるのかもしれん
普通の邦画が大げさすぎるんだよ
普通の日本人の話し方に戻してるだけ
ハッピーアワーを見れば理解できるようになってるから見ろ
映画というのは無表情の顔が写っても前後のカットによってその人が何を考えているように見えるかが変わり、それを的確に積み上げる事で感情表現ができる
濱口えいがは編集に時間を掛けてモンタージュを緻密に計算している
そしてハッピーアワーを見れば確かに上手い俳優が感情を込めて読むより素人が無表情で読む事が濱口映画にとって効果的である事がわかる

46:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/10 22:46:39.71 kNRYrRrw0.net
白石:上林の原動力である「怒り」の表れですね。実録ヤクザ映画をずっと書いていた脚本家・笠原和夫さんが、ヤクザを掘れば掘るほど、
在日と被差別部落に行き着くと。逆にそこを描かずヤクザは描けないから、(タブーに触れることを恐れて)みんなヤクザ描くのを辞めていくんですね。
エンタテインメントとして面白いものを作るのは当たり前なんですけど、そこに1秒でもそうした問題意識を入れるのは、今の作り手としての誠意だと思ったんです。
─そこで上林が在日だってことが分かるし、日岡のスパイとして彼の懐に入りこむチンタ(村上虹郎)と、その姉の真緒(西野七瀬)も在日。同じ民族としての繋がりみたいなものと愛憎がしっかり描かれる。
白石:この映画のなかで何かしらの犠牲になっていく人たちは、「差別される側の人たち」ということが分かれば、何か感じてもらえるんじゃないかなって。

47:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/10 23:32:39.43 kNRYrRrw0.net
千葉ちゃんの大友はそれこそめちゃくちゃやってたけど、行動原理がちゃんと伝わる整理の仕方がされてたからなー
北大路の破滅の過程もしっかりと描かれてたしやっぱホンて大事よな
笠原さんは、天才的 台詞に躍動感まで感じてしまう

ヤクザと家族は昔の任侠モノリバイバル
本当は心優しく家族(親)思い、仲間思い
でもヤクザとして義理通すために暴れるていう
演出や舞台立ては今風だけど物語の構造は割とまんまリバイバル
こちらもモロにその後に来た実録物リバイバルだが実録物の演出を再現しつつドラマ性の部分
刑事とスパイの正義感だったり悲しき怪物上林だったりはエンターテイメントに振り切ってる
良い悪いじゃなくな
どちらもけして革新的であろうと目指しても成功してもいないけど娯楽作として十分成立してる

何かを彷彿とさせるとか何かのオマージュとかだけで映画を作るなよ
そんなのは作品の一要素以上のものになったらダメだろ
この制作者たちに言いたいのは今の時代に東映の実録路線を復活!なんてことではなく今の時代に新たなヤクザ映画を作ることだろ

48:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/11 15:35:28.63 QAvNHskw0.net
あんな段階で致命的ミスに気付き
バイト大学生連中が文句いわず超献身的
天使のような妻も含めて主人公に都合が良すぎる展開ばかり

受賞後泣きながら1曲歌う
その他の優秀賞の人もステージに上がって
福山の肩はげますように叩いたり一緒に歌ったりする
客席に来ている両親が時々スイッチで抜かれる
そんな昭和テイストエンディング

日本の役者はコメント下手だよなぁw
どうでもいいことぼそぼそ言ってありがとうございましただけ
まぁこんな賞で過剰に喜ぶのも恥ずかしいだろうけど

49:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/11 17:51:57.27 QAvNHskw0.net
三谷は歴史物は好きで映画でも舞台でも歴史物はずいぶんやってるから
喜劇的な演劇にまとめられるのよ。
そこが喜劇になりきれないコント止まりの宮藤官九郎との大きな違い
クドカンとか大泉洋とか松尾スズキとか
あの辺をナンか「ちょっと変わったオモシロイケてるモノ」と思って観てるレベルの連中が
老人世代と共に現在のTVの主要ターゲットなんだよ
吉本のお笑い芸人を面白いと思って見ている人たちと同じで、
日本の手枷足枷の連中なんだよな、本当の事を言えば。
それでも無残に切り捨てるわけには行かないとすればどうするか。
例えば、ご老人には、新作大河ではなく、過去作を見放題にしてあげるとか、
吉本しか笑えない人には、吉本劇場の舞台映像を放映してあげるとか、
安価な形の選択肢を増やせっつーの。
脚本は一人では仕上がらない。
プロデューサー、演出家と脚本家の三人が話合いをして大枠と流れを決める。
初稿の段階でプロデューサーは主演クラスの俳優に内容を見せて俳優の意向を聞いてから
撮影稿に仕上げるから撮影の段階で俳優が「聞いてない」なんてことはない
NHKは俳優の意向なんて聞いてくれないよ
大昔っから今に至るまでNHKお断りの俳優やスターが何人もいるのはその為
大河ドラマの脚本料は一本250万
つまりクドカンはおよそ一億円を手にしたことになる

50:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/11 18:08:54.33 QAvNHskw0.net
昔のマンガ雑誌の編集者のように、
ちゃんとしたプロとして"一般"を相手にするだけの力量があるか否かを見極められる目利きがいなくなってきたことも劣化に拍車をかけている。
"一般"ではなく"マニア"を相手にするだけなら、「自主映画・小劇場」志向の者も通用してしまう時がある。
だが、何か特別の一家言など持っているわけでもない"一般客"の方が本当は怖いわけだ。
その、"一般客の怖さ"というものは、若い内に骨身に沁みておかなければなかなか理解できない。
実際、今回、宮藤とやらとその周辺にたむろする"マニア"の連中は、"一般客"に見事に敗北したわけだ。
これは大昔からある、"カルト"の"普遍"に対する典型的な敗北の構図な訳。
なぜ、世界の三大宗教と呼ばれる仏教、キリスト教、イスラム教は、民族の枠を越えて人々に浸透する力を持つのか。
昔から表現者が苦心惨憺しながら分析してきた事実だ。
こんな「いだてん」など、素人にすら、内輪受け、楽屋受けだけのベタなカルト系作品であるのは丸分かりなのであって、
"マニア"が、"高度さ"や"複雑さ"などを喧伝すればするほど、それらの言葉は虚しく宙をさ迷う事になる。
昔の編集者というものは、プロデューサー役も兼ねていたわけだが、今や名編集者・名プロデューサーと呼び得る人材がこの国では枯渇している。
由々しき事態だ。
だが、そんなもっともらしい事態で壊滅するより先に、少子化とカルト化(ヲタク化)とによって嘲笑されながら滅びるに相違ない。
無名の人物を主役にするなら
掘り下げて共感できるようにしなきゃならんのに
終始喧しいだけの馬鹿で誰が共感するんだよ
クドカン脚本のノリは高齢者には何が面白いのかわからない
かといって若者にも痛々しい若ぶってるおっさんみてるようで受けない
メイン層は3、40代あたりだけどその層ですら一部の信者以外寒いとしか思っておらず

51:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/11 18:23:53.03 QAvNHskw0.net
小劇場の演出や脚本出身者とかアニメの演出出身者の画面作りの特徴は
ロングからの“バーン!”とかの効果音とかつけたりしての
登場人物のドアップによる大声大仰な台詞
観客の視線が遠方一方向からの舞台では
凡庸な演出家には客席の視線を一か所に集中させる演出手段が
大声、大仰な台詞回し、奇矯なアクションしか無い
またアニメ演出の場合ロングによる長時間のカットは
生身の役者と違い一人一人の演技(演出)が付けにくいうえ
なにより製作に手間コスト時間金が掛かるうえ
視聴者もアニメ以外の映像作品をあまり見慣れない人が多いから
そういう人にも理解しやすい登場人物のアップを多用する事が多い
「いだてん」ってのはそういう演出手段しか持たない演出家やそれ前提の脚本家と
そういうのに慣れてそうじゃないと理解できないレベルの視聴者向けの作品ってこと

52:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/11 18:35:43.89 QAvNHskw0.net
三谷は自分より下だと思ってる相手のことはよく褒めてるよ
謎の上から目線で
自分を脅かさない存在だから激賞できるんだろ、
ライバルだとは思ってないってことだな。
才能は才能を知る。本当に才能のある相手になら、手塚のように嫉妬心丸出しになるはず。

53:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/14 02:38:55.50 fB3BDGxa0.net
北野武と同じで役者のエゴ(熱演)を嫌う人だね。
演技を極力抑えさせる事によって
より登場人物の感情をあぶり出し、観る者に喚起させる。
演出に確固とした型を持っており、可能なかぎり作品をコントロールしたい監督。
スタンスは常に社会的弱者(この世の大多数)の側。
しかしそれによって作品が陰鬱になることはない。
カウリスマキの登場人物は常に辛辣で理不尽な人生に痛めつけられるが決して屈服しない。
惨めなネズミのようだが、ささやかでも強い誇りを捨てず歩いていく。
彼の映画には無数の小さな嘘が散りばめられているのだが、ハリウッド映画がつく嘘とは全く質が違う。
それは人生にたいする真摯な姿勢であり、ささやかな応援歌であり人間賛歌でもある。
過去のない男で暴漢に会った際に
殴られてる様をそのまま映してたのが意外だった。
確か、そういう暴力シーンを嫌った小津の考えも尊敬してたんじゃなかったっけ
アキはほとんど殴り合いのシーンなんかはみせない。間を取って次のシーンでは
顔中ギズだらけになってるとか、音だけで表現
するとか。ハリウッドとは完璧に違う。それで十分わかっちゃうもんね。
ハリウッド映画は事細かく説明ができていて、何も考えなくてもストーリーが追えるし理解できる。
過去のない男のDVD観たよ。
作品は良かったけど、日本語吹き替えのほうを恐る恐る見てみたらあまりの酷さにビビッタ。
日本の声優ってどうしてあんなに気持ち悪い位抑揚をつけるんだろね?
アキの演出方法の真逆をいってると思ったよ。
最後の二人のセリフなんて恐ろしく陳腐なシーンになっていた。
フィンランド観光局は、「どうかもう少しきれいな所でロケを…」と言ってるらしい。
フィンランド行ったことあるけど、都会も田舎もきれいな所だったよ。
裏通りのさびれた場所も探して歩いたけど、映画のほうがさびれてる。
かなり頑張ってロケハンしてると思うw
カウリスマキ映画はツッコミのいない漫才みたいだからね

54:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/14 14:28:37.70 fB3BDGxa0.net
今、映画館はほとんどがシネコンになってしまったから、
この手の18禁映画は上映する映画館を押さえるのがとても難しいらしい。
何故なら、シネコンは大半がショッピングモールやテナントビルに
入っているから、成人映画のポスターだけで、他の店があれこれ言ってくるんだと
。フェチの連中はすごいよ
同じおしっこおもらしでも、パンツ穿いたまましなきゃだめとか
おしっこを自分の意思で出してるのはだめとかいろんな派閥があって、いざこざが絶えない
「フィギュアなあなた」観たけどどうしてこうなった
光と影の使い方は健在だけど脚本がダメすぎるわ
脇の役者も微妙だし
佐藤寛子はNGが多いらしくて、過激なシーンを削る為に脚本を直したり、
撮影中も竹中直人が佐藤寛子の乳首に口を付けるとマネージャーが飛んで来たw、
キネ旬のベストテン
11位が「フィギュアなあなた」
12位が「甘い鞭」
石井映画って投票する人は1位にする率高い

55:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/14 14:42:36.45 fB3BDGxa0.net
五社とかも激しい情念渦巻く女を撮ると凄かったけど
石井は静かな佇まいに情念が渦巻いてる感じ
根津甚八のレストランシーンといい、石井監督は観客を冥界の入り口に連れて行くのが上手い

56:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/14 19:04:12.06 fB3BDGxa0.net
「原作は旅ものと呼ばれる「リアリズムの宿」と「会津の釣り宿」。大きな出来事がないものの、ほっこりさせられるあたたかな作品たちだ。
(中略)それぞれ別の方向を向いていた3人がたまたま一緒に居合わせたことで、まるで化学反応が起きるように何かが起こる。ミニマムな空間を映しながらも、
とても大きな世界を描き出す山下節は本作でも健在だ。誰でも身に覚えのある苦笑いなエピソードを積み重ね、言葉やしぐさだけでなく沈黙やリアクションで笑わせる。
そして、ゆっくりとだけれども、誰かと一緒に歩き出すことで小さなドラマが生まれる、そんな日常のおかしさやせつなさがやさしく紡がれている。
昨今のお笑いにおいて、「くすり」系(「オフビート」)コメディがもはやジャンルとして確立していることからも分かるように、山下作品のスタンスはとりたてて目新しいものではなかった。
だから、目新しくもなく、派手でもない「お笑い」映画が単なるコントを遥かに凌ぐ効果を生んでいるのは新鮮な驚きであった。このことは、映画がコントと比べて時間的に圧倒的に長く、
しかも本作ではあからさまな感動まで加わっていることと無縁であるはずがない。しかし現実にほとんどのお笑い映画がコントの時間延長に過ぎないことを考えれば、それだけで賞賛されるに足る。思うに、山下作品には全体を通底する思想が確立しており、それが見事に表出している。山下の思想とは、
「くるり」岸田繁のいうところの「童貞力」であり、村上隆のいう「ばつの悪さ、寂寥感の日本的描写」であり、平凡だが「山下風貧乏くささ」と言ってもよい。
要するに映画内に破綻がない。一貫性が画面を支配しているのだ。志向としては商業映画と大きな違いがない山下作品がスタイリッシュ・サブカル映画群と区別されるのもこの点にあるのだろう。
仮定話に益はないが、もしつげ原作を使わなければ、本作は山下作品の中でも(恐らく近時の日本映画の中でも)出色の出来だと私は主張しただろう

57:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/14 19:13:23.53 fB3BDGxa0.net
『リンダ リンダ リンダ』(山下敦弘)。この映画は、繰り返し観れば見るほど、そのすごさが迫ってくる。山下敦弘のなかでも特別に上手くいっている作品だと思う。
五年くらい前にはじめて観た時の日記を読んだら、「へー、悪くねえじゃん」くらいの反応で、「お前、何もわかってねえな」と五年前の自分を説教したくなった。
二時間の間すこしも緩むことなく、すべてがすばらしいと思うのだが、特にすばらしいのが空間の造形-把握だと思う。溝口健二と比較したっていいんじゃないかと思うくらいにすごいんじゃないだろうか。
これ以前のこの作家の映画ではそれ程目立たなかった、縦の構図というか、手前と奥という空間の深さを利用した場面が多いのだが、それはおそらく学校という空間から引き出されたのだと思う。
何かを褒めるために別の何かを貶めるとか、何かをけなすために別の何かを持ち上げるということは本当に下らないことだとは思うけど、
二、三日前にたまたま観た『空気人形』が驚くほどに面白くなかったのでついつい比べてしまうのだが、例えばその『空気人形』にしても、リー・ピンビンによるすばらしい風景のカットがいくつもあるのだが、
しかしそこでそれはたんに「よいカット」であって、そこから躍動するような空間がたちあがってくることがまったくなかった。
板尾創路の住む家や、板尾が車いすでペ・ドゥナを連れてゆく公園など、ロケーションとして、
空間それ自体として面白そうな場所はいくつも出てくるのに、それがたんにグラフィカルな次元としてあるだけで、空間としては全然生かされていないと思った。
対して『リンダ…』では、例えばなんでもない狭苦しい直方体でしかない部室が、魅力的な空間としてたちあがっている。最初に部室が出てくる時は、
カットを(空間を)細かく割って見せたり、扉を開いておいてその外まで構図におさめたりして、部室の狭さをそれほど感じさせない

58:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/14 19:14:25.20 fB3BDGxa0.net
『リアリズムの宿』(山下敦弘)をDVDで。これはすばらしかった。『ばかのハコ船』がどうしても好きになれなかったので、初期三部作は避けていたのだけど、
山下敦弘はこの作品で飛躍したのか、と思った。序盤の男二人のパート、中盤の男二人+女一人のパート、そして終盤の男二人に戻ったパートと
三つのパートに分かれると思うけど、序盤から中盤、中盤から終盤への展開というか転換が、その前の部分を観ている時の予測を常に裏切り、上回ってゆく。
「ああ、こういう感じなのね、悪くないよね」とか思っていると、「えー、そうくるのか」と驚かされ、予測が覆される。しかもそれは、
たんなる意外性を狙ったということとは違っている。特に中盤の男二人+女一人のパートは、確かに悪くないけどこの黄金パターンで
収めてしまうのはちょっと姿勢が「守り」の感じなのではないかと感じはじめるところで、絶妙のタイミングで、絶妙のやり方で女が去ってゆく。この場面がすばらしい。
そしてその後、どんどんショボくなってゆく展開がとても良い。このショボさのリアルさは、たんにあるあるネタ的なリアリズムでもないし、
過度に露悪的でもなく、かといってスタイリッシュに収めているわけでもない。普通こんなことありえないだろうという
意味ではリアリズムではないのだが、しかし「でも、こういうショボさってあるよなあ」という意味でリアルなのだ。で、それを支えているのが描写力なのだと思う。描写される内容によってではなく、描写力によって生まれるリアルさ。

59:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/14 19:24:55.50 fB3BDGxa0.net
たんなる不条理コントと違うところは、この監督の卓越した描写の力による。
西川美和の丁寧さは、きっちり型にはめこんでゆく丁寧さなのだけど、山下敦弘の描写は、
型からじわじわとはみ出てくるものこそを捉える。展開の理不尽さと意外性でぐいぐい押してくる山口雄大の作品とはちがって、
山下敦弘の作品は、描写によって生まれて宙に浮いた感触が、展開に乗り遅れたまま残留し、それらが相互に浸食しつつも積み重なってゆくかのようだ。
天然コケッコー
)この映画も、カメラの位置、カットがかわるタイミング、俳優の仕草の組み立て方など、
いちいちが凄くて、ほぼ二時間の間じゅうずっと、そうくるのか、へえーっ、おおっ、すげー、と、一瞬の隙もなく、ずっと感心ばかりしていた。
中学生日記』(山下敦弘)をDVDで。すっごい面白い。山下敦弘は「名人」だとつくづく思う。中学生の役を大人が演じる、という、
下手をするとコスプレ・コントにしかならないようなものを、その抜群の描写力で、大人が子供の役をやることの違和感を残しつつも、
しかし中学生が演じたのでは決してでないだろうリアリティを生み出している(微妙で、コントになっちゃってると思うところも確かにあるけど)。
リンダ・リンダ・リンダ』(山下敦弘)をDVDで久々に観直した。よかった。制服姿が異様にハマッている香椎由宇と、制服姿が異様にハマッていない
ペ・ドゥナを並べて配置したというセンスだけでも、この映画の八割方が支えらてれるように思う。説話内容でも、アクションでも、説話技法でも、
イメージの展開力でもなく、ひたすら描写の冴えによって、一種のユートピアを出現させている(つまり「描写」というのは「配置」でもある)

60:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/14 19:43:33.24 fB3BDGxa0.net
『ばかのハコ船』(山下敦弘)。前に観た時よりも面白く感じた。でも、やはり「あかじる」っていうアイデアが、ネタとしてしか面白くなくて、
映画として面白くなるものとは思えなかった。ただ、昨日も書いたけど、
山下敦弘には描写的な側面と同時にネタ的な側面があって、ぼくはそのネタ的な側面それ自身はあまり面白いとは思えないのだけど
(例えば「その男狂棒に突き」とか…)、でも、ネタ的な側面が強くあることが、描写的な側面に独自の効果を波及させているように思えて、
そのへんのバランスのなんとも微妙な感じは不思議で面白いと思う。最後に唐突に「弟」が出てくるところは、おおっと驚き、このセンスはすばらしいなと思った。
「尾崎充」というキャラも、『ばかのハコ船』のやつは受け入れられても、「その男狂棒に突き」
にまでなるとちょっときつい。しかしこれはそもそもきっついくらいでなければ面白くないのだが…。

61:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/15 11:06:26.31 7rpNbmCx0.net
セット撮影を排したネオレアリズモ映画を出発点としながら、巨大なセット撮影を駆使して人工美の世界を構築したという点で、やはりネオレアリズモ映画出身だった
ルキノ・ヴィスコンティと並び称されることも多い。だが、本物の貴族出身だったヴィスコンティの華麗な絵作りに対してフェリーニの作品にはモダンアートの明るさと庶民的な俗っぽさが満ち溢れている
寺山修司や松本俊夫などのアングラ映画監督にも影響を与えた。

62:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/15 15:24:26.72 7rpNbmCx0.net
唐突な寝たきり設定は必要だったのだろうか・・・
喪失と再生のモチーフでしょ
せっかくありきたりじゃない
展開なのに全く閃きも煌めきも痛みも弱い微妙なシーンだった
女性を描く作家としては致命的と言ってよい
高低差のある演出が素晴らしかった、会社の外階段の東出と猫探して雨に濡れる唐津、外階段での東出と唐津のキス
3・11への回答をちゃんと出してる
麦が「北海道に行こう」と誘ったところ、大阪の増水した川は
最近被災した地域を暗示してるみたいで思わず鳥肌が立った
東北の凶悪で冷たい防潮堤と大阪の緑豊かで暖かな堤防が対比になってるし
そこに最後汚泥が流れて終わるのも良い
濱口映画観てたら棒読み、方言のイントネーションが適当なのは毎度の事で
台詞に感情を込める事で嘘くさくなるパターンもあるのであれはあれでいいと思う
マヤと耕介の唐突に始まる演劇論の言い合いも濱口映画ではよくある居心地の悪いシーンだけど
いつもは演技をあまりしない俳優女優がやるので妙ななリアル感があるのに
今回は俳優も女優も演技しちゃってるから薄ら寒く感じたな
濱口映画にトレンディドラマ臭があるのは以前どこかのトークショーでも言われてて

63:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/15 15:50:54.91 7rpNbmCx0.net
爆竹は発想としては面白いけど
あのシーンは取ってつけた感があって逆にカッコ悪く見えてしまった
PASSIONの煙モクモクにトラックぶっ込んでくるシーンとか
親密さの電車並走シーンとかは忘れられないくらい大好き
爆竹シーンはハスミンとの対談でわざとらしいと指摘されてた。スローモーションはありがちすぎ、と。
チェーホフや野鴨や牛腸茂雄は作品内にも登場しているから監督が表現したかったものであるのは何となく伝わるが
それを表現するのに作品内の登場人物や各シーンの繋がりが自然に説得力があるものになっているかと言うと
今作監督が表現したいものの為に取ってつけて配置されているだけな感じがしてしまう
各登場人物にも各々の行動に対する動機が曖昧又は偶然に頼り過ぎで心が通っていない印象
濱口監督ニューヨーク映画祭のスピーチ。朝子の行動に「日本人が怒っている」という話題になっての一言。
「朝子は180度違う選択を 2 回繰り返す。それは、人間として整合性がないように見えるんだと思います。
これは原作の流れを踏襲しているのですが、僕は読んでいて、驚くと共に深く納得しました。
しかし、そのような人間を受け入れられないと人はまず怒る。
受け入れられたとしても、日本の倫理観の中で受け入れられない、ということもまた、起こるのだと思います。」
整合性がない物語であるとか思うかもしれないけど
この作品は常に先行きの見えない、何が起きても不思議じゃない不穏な空気が流れていて
「これからどうなるんだろう?」って興味で物語を牽引したと思う。
こういう観客を油断させずに緊張感を強いる映画が「面白い映画」だと俺は思っている。
テーマが同じでもいいけど新鮮さは欲しいな
過去作の方が胸抉られるような台詞多かった
映画じゃなくてドラマとかだが松本花奈とか二宮健とか
同年代の芸大組でも加藤直輝や瀬田なつきや池田千尋はとっくの昔に商業デビューしたし
濱口がもっとも遅咲き
今泉力哉は今年2本公開だしなあ
酒井麻衣もいたな 今実力の割に最も優遇されてる監督と言えば松本花奈と酒井麻衣だわ
濱口が優遇されてるなんてことは絶対にない
このレベルの自主映画を撮ってるのになぜ未だに商業が撮れないのかとずっと言われて来た

64:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/15 15:59:13.49 7rpNbmCx0.net
繰り返し流れる音楽が安っぽくて不思議な感覚だった
小学生が観る学習教材のドラマみたいな感じ
でもこの手の映画にありがちな女性ソロシンガーの弾き語りだったら、馴染みすぎて淡々と
した生活の中の違和感や不安感は出せなかったと思う
親密さの男の子の棒とかはめちゃくちゃ味があって良かったんだけど
東出の棒は奥行きのない棒なんだよな
トヨエツの声はまだカッコよさあるけど東出の声はオカマみたいなんだよね


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