野々村元県議の今後を ..
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2:名無しさん@お腹いっぱい。
23/06/26 11:22:45.99 k/kd8pCl0.net
カメラを動かすと、その分費用や時間がかかるんで、清はロングショットを多用する。
でロングショット使いになっちゃった

映画では、観客は最初から最後まで見るという前提の元に
演出プランが練れるから、演出技術上の選択肢が多いんだよ。
例えば、一見物語の進行に関係のない細部や逸脱を挿入したり、物語の進行の
速度を極端に早めたり遅らせたり歪めてみたり。その逸脱や歪みなどが、その
映画全体の中でうまく解決されていれば、いわゆる「映画的な深み」として、
観客に印象づけることができる。
まあ、小津は明らかにそうだな。
構造に囚われながらも、緩急つけたりしてそのハズシ方が深みにつながる
一方、テレビは基本的に視聴者を拘束できないから、全てのシーンで常に視聴者の視線を
画面から離させないようにする方向で演出をせざろうえない。結果説明的になりがち

英米豪とかの映画は基本的に、フレームの内外っていう発想はあんまりせずに
重要なモノを単純に中心に配置するって感じかな。
ようするに英語圏では、映画って演劇の延長なんだよな。
だから、映像美より、いい脚本をいい俳優が演じるっていうことに重きを置く。
日本だと、テレビはマルチカメラで、ロングとクロースを同時撮影して
美味しい絵を後から編集。映画は、撮る前にカット割を良く考えてカメラは基本的に一台、というような
撮影哲学の違いがあるけど、アメリカだと、映画もテレビも違いはあんまり明確じゃない。
んで、ヨーロッパはテレビドラマ自体があんまり盛んじゃないし、
基本的に邦画と同じような撮影哲学なんだろう。

「カメラマンの近藤君なんか、”あいつのアイデアは全部フレームの中に収まるじゃないか”と
僕のいないところでいってたらしいですけどね」なんて言ってた。
フレームの外を感じさせるとか、そういうのは「映画」的発想だよな
ゴダールが、「クローネンバーグは、結局フレームの中に何もない。
なぜなら、フレームの外に何も無いから」と言ったとか。
クローネンバーグは、「自分はビートニク系文学から出発してるから
脚本重視だ(映像にこだわらない)」と言ってるけどね。

3:名無しさん@お腹いっぱい。
23/06/26 12:00:35.73 k/kd8pCl0.net
リアリズム〜での尾野真千子の撮り方(雪の砂丘&バスで去るシーン)は
巧いしカッコイイが
見ようによっては、「萌え」的な感性にも思える。
「男物のシャツを素肌に羽織ってベッドで飛び跳ねる女」とか、
そういうのにつながるものがあるよw

4:名無しさん@お腹いっぱい。
23/06/26 13:31:52.38 k/kd8pCl0.net
事実を集めてから結論を出すのでなく、自分の主張が先にあって
次にそれを裏付ける事実を集めている感じがする

5:名無しさん@お腹いっぱい。
23/06/28 17:11:38.28 qWHfjnQJ0.net
小説や漫画をわざわざ実写にする意味がイマイチ
わかりにくくなってたんだけど、早雲荘だっけ、馬締が住んでる
下宿の雰囲気を忠実に再現してるのを観て、ああ、これは
映画化の意味があったなあ〜と思ったよ。
まさにあんな感じだよね。

オダギリ池脇がいい。
何よりキャラが立ってて、ふたりの関係が簡潔にわかる。
好きな場面はオダギリが営業部へまわされることをベッドに寝ている池脇の背中に顔をうずめて報告する所。
(俺いやなんだよ、とセリフ説明しない所)
龍平みやざきカップルとの対照が際立ってて良いアクセント。

このスレは、あんまり石井裕也のファンはいないのかな。
前二作に比べると、明らかにパンチ不足な気がするなぁ。修羅場っぽい修羅場もなく、淡々としすぎてて。
原作付きだから仕方ないけど、監督ならではの色がない感じがする。
あえていうなら、セットへのこだわりだけかな。

東宝だと10億いかないと興収スレではコケ扱い
(松竹・東映よりTV局とのつながりが強固で各地一等地に映画館を多く持つ)

6:名無しさん@お腹いっぱい。
23/06/30 02:05:48.33 feAHe+U80.net
「たけしよ、コレが東映のヤクザ映画だ」的な宣伝してたから
予告見たけど、たけしが嫌ってた邦画特有のクサい演技のオンパレードだったな
なんで涙目ぷるぷる慟哭シーンってどの邦画でも必ずあるんだろう
主演の役所広司からして「俺、すげー悪い男演じてるだろ」オーラ全開でキツイ
カッコつけて煙草ポイ捨てしてたけど、それがもうダサい
アウトレイジで椎名桔平が煙草ポイ捨てしたら、刑事に「拾えよこの野郎!」と言われて
渋々拾ってしまう決してヤクザを美化しないどこか滑稽さも含めてキチンと描くから
魅力的なキャラになったアウトレイジとは雲泥の差だな

竹ノ内も江口洋介も線が細いんだよ
ヤクザに見えない
せめてあと五キロくらい肥れば良いのに
線が細くても成田三樹夫みたいな容貌だと画面が締まるんだけどね

7:名無しさん@お腹いっぱい。
23/06/30 17:23:54.74 feAHe+U80.net
松坂桃李と真木よう子が赤い提灯が飾られた街中を歩くシーンの色味が綺麗だったなあ
最近の邦画にありがちなフィルターかけまくったようなのじゃなくて
1950〜60年代あたりの富士カラーみたいな渋い映像だった

出版社と原作者に映画化権の交渉する際の資料に、
如何にこの手の映画のヒットが今は難しいか明記したって。

深作欣二監督が仁義なき戦いで伝えたかった事は、ヤクザ間のクソくだらない理由で一般人に被害を撒き散らしていること。
だけど、俳優陣の素晴らしい演技で意図した事とは真逆になってしまって、しかもシリーズ物になってしまって後悔してる、なんてことをバトル・ロワイアルの試写会だったけな?そんなことを言っていた。

韓国のバイオレンス系の映画を観る度に邦画もこれくらいやってくれよと思ってたけどかなり近い線まで来てたと思う

あと監督が韓国ノワールを意識してるのはいいと思うけど
アシュラはあれは脚本も相当練り込んでてそこから真似しないとダメだと思うなあ
今やってるやっぱり警察vs暴力団ものの「犯罪都市」とかも
ヴァイオレンスのインパクト以上に脚本がまずよく出来てる

アシュラは凄く面白かったけど、そんなに練り込んだ脚本だった?
ストーリーのキーになるのが隠し撮り画像で、それが2回も都合よく出てきたので
「こまけーことはいいんだよ」系の映画だなと思った。

松坂桃李は先にも書いたようにいい演技もあったけど、役所広司への傾倒が結構唐突でその辺の葛藤を
もう少し見せる工夫があっても良かったと思う。
絶許から傾倒へ振り幅が大きい分、そこへ至る段階がないと、なんでそうなるのかという疑問がでてしまう。

全ての真相を知った松坂桃李が笑うところは
邦画の最高傑作「人情紙風船」の海野又十郎のあのシーンを想起させる出色の演技

普通こういうシーンって文字を読ませるのではなくノートに書いてあることを登場人物に音読させるよね

8:名無しさん@お腹いっぱい。
23/06/30 17:48:30.87 feAHe+U80.net
昔(80年代以降)は東映やくざ映画は配収5億くらい行けば成功と言われていたから今の興行収入に換算すると大体、倍額になるんで9〜10億くらいのもんなんだよ
大ヒットしたのは極妻一作目くらいのもん
極妻一作目は配収で8億超えしてるから今の興収に換算すれば15〜6 億は稼いでる計算になる
あとやくざ映画はレンタルが強いから2次収益もデカい
今はテレビ放送はしなくなっちゃったけど極妻なんてET初放送より視聴率は取って25%超えして当時は話題になってた
だからテレビ局にとっても優良コンテンツだったんだよ

9:名無しさん@お腹いっぱい。
23/06/30 20:38:07.04 feAHe+U80.net
ソナチネや3ー4xなんかと比べると、あの感覚的な怖さは無くなったな。
アウトレイジは意図的な怖さの演出だった
もともとソナチネの襲撃シーンみてもアクション監督じゃない
残酷描写か一般人に偽装したやつの不意打ちが新しいという変化球監督
ペキンパーみたいな王道アクションは取れんわな
残酷さを売りにする露悪趣味ってまんま三池崇史の二番煎じなんだよな
しかも13人の刺客の方が映像の厚みもあるしバトルシーンは迫力ある
首は渡辺謙に出演拒否された映画でもある

10:名無しさん@お腹いっぱい。
23/06/30 21:13:10.62 feAHe+U80.net
たけしの功績は日本のメジャーなお笑いシーンに不謹慎ギャグ、ブラックユーモアを導入したことなんだろうけど、そもそもそれだって小説の世界では筒井康隆が、落語の世界では立川談志が既にやってた事だし、別にたけし本人が編み出したわけでもない。

画質とか構図とか松本作品にこだわり感じない
コントの延長みたいな演者のキャラだけでどうにかなるもんじゃない
松本は話の流れを遮って突飛な発言して笑わせる

町山智浩が、その男〜はジャック・タチの映画に影響受けてるはずだ

11:名無しさん@お腹いっぱい。
23/06/30 21:41:55.32 feAHe+U80.net
ああした娯楽的な演出スタイルは伊丹十三が確立したけど、その後他の映画やドラマで徹底的に模倣されまくったからな。
古臭く感じるのはそのせいだよ。

黒澤は生命を描いて、小津は心を描く

篠崎監督から『その男、凶暴につき』の元ネタはフリードキンの『L.A.大捜査線/狼たちの街』であり、レザボア時代のタランティーノに北野映画のビデオ


一番、ショックを受けたのは、アクション映画を撮っているひとだと思う。
この映画の暴力は、いままでの映画と完全に違っていた。独創的だった。
ある程度、アクション映画を見ていると、暴力シーンにもリズムというものがある。
殴るタイミングや、銃を撃つきっかけなど、大体、パターンがある。
しかしこの映画は、そのタイミング、きっかけ、パターンを完全にはずされているのだ。
銃撃もそうだ。セリフの途中で、平気で撃ち殺す。
あのオカマが撃ち殺されるところで驚かない、アクション監督はいないだろう。
この映画の後の、タランティーノ映画や、ジョニートーの「ザミッション」は、
完全に北野監督の間のアクションの影響下にある。
「ブラザー」辺りになると、アクションも、かなり洗練されてしまって、少し物足りない。

12:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/01 14:22:06.67 1gan7VSN0.net
山下の魅力は日常性の描写の巧さだからなぁ。
松ヶ根は、下手に人物の心理描写(兄弟の足比べとか)やらメタファー(ねずみ)やら
入れちゃってて、あれ?って感じ。

四人が夕暮れの川原を歩いていると、遠くに街の灯りが小さく小さく煌めいている
あれは池内の配慮でとても感心したと言っていた
「リンダx3」の構図(音楽部室)とか光(川原)には、
池内が大きな役割を果たしたという意味の発言を山下監督がトークショウでしていた

もう1つ山下が池内のカメラワークで感心してたのが、夜の体育館のシーン
山下はソンの背景に体育館らしいモノを置きたかったらしいんだが
池内が敢えて何も置かず、真っ白の背景にした
結果、映画館であのシーンを見ると、あたかも現実のソンがスクリーン前に
現れたように観えたとか観えなかったとか(TV画面じゃ判りづらいが)
音楽部室の構図は素晴らしかった。
あそこは、ぺドゥナのアクション、膝を交互に曲げて歌うとか
曲の締めの部分で拳を振り上げるところの、リハーサルならでの気の抜けた感じとか、ほぼ完璧。
あそこが、あの映画の真のクライマックスだな

黒沢清の映画とかだと、美人女優出してるのにカメラ寄らないの勿体無いと
思うときもあるけど
リンダ〜はわりと成功してるかな

13:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/01 16:45:57.87 1gan7VSN0.net
指とか手首落とすのはDNA鑑定が行われなかった当時、指紋から身元確認出来んようにする為で、
首を切り離して別の場所に埋めるのは同じく歯型から特定されにくくさせる為らしい。
まぁリンチの時に歯型わからんように歯をぶっこ抜く場合もあるらしいけどな。
今のヤクザは得体の知れない溶液に浸して溶かして、知り合いの産廃屋に処理させたり、ミンチにして海に捨てるらしい。

14:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/01 17:00:48.08 1gan7VSN0.net
養豚場経営が被差別部落の仕事なら
宮?ア・鹿児島の多くの人が部落民になってしまう。

15:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/01 17:26:33.47 1gan7VSN0.net
一ノ瀬がトイレで五十子刺し殺すシーン、最初トイレの片側がないのかなーと思ったけど、カメラが回り込んで壁が映ってた。あれどうやって撮影してんだろ?
てっきり柱を横切るところで一度切って繋いでる疑似ワンカットかと思った

映画芸術の最新号で白石監督が撮影方法を簡単に説明してた
・呉の旧水道局の庁舎(呉原東署として使われてたところ)の1階ががらんと空いてたので
そこにトイレのセットを組んだ
・トイレの壁は全部上がるようにしておいて、カメラが回るタイミングでガッと上げて、
使わなくなったらまた下げるというのを超アナログ(人力で、の意)でやった
・刺すのだけはグリーンの刀でやった

和太鼓の音で銃声がかき消されてるという設定らしい
もともとはただの踊りを披露するという予定だったのが
ロケハンでホテルに行った時に白石監督が片隅に置いてあった和太鼓を見つけてこれを使おうとなったらしい

白石和彌組はそういうアナログ操作多い
「彼女がその名を知らない鳥たち」でも蒼井優の住むアパートの部屋の壁が倒れて竹野内のいる砂浜につながるという回想シーンがあったが
あれも実際に砂浜にアパートの部屋のセットを立ててスタッフが手で壁を倒して撮影したらしいw

真木よう子の告白はサスペンスドラマっぽかったなw

興行収入が製作費の3〜4倍で利益を出せるといわれてるんだが、監督がいう製作費3億円が事実ならば
最終的に10億円の興行収入が欲しい

梅雨って感じ。
日本独特の昭和な蒸し暑さ

仁義なき戦いやアウトレイジみたいにカラッとした泥臭い濃さではなく、粘っこい濃さの映画だった。雰囲気は冷たい熱帯魚に近いか

中年以上の人は映画見るのに事前に予約する習慣ない人も多いよ
昔の映画館は自由席が当たり前だったから 指定席もあったけど別料金だったから

16:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/01 17:35:29.06 1gan7VSN0.net
観て来たけど、周りに明らかにヤクザの人が何人かいて、途中で一般人には分からないとこで何度も爆笑してて、それが臨場感溢れてて怖かった。

17:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/03 14:47:58.82 V1BF7RgW0.net
ソナチネが海外で評価された時に「ジャンル映画をアートフィルムにした」という評があったけど、「やくざ映画をヌーヴェル・ヴァーグ風に撮った」ということだと思う
ここがメルクマールになって青山が『Helpless』を撮れたしくすぶっていた黒沢清が確変できるヒントを与えたと思う
シネフィル気取りの蓮實一派の監督が「ビートたけしから影響を受けた」なんてカッコ悪くて絶対に言わないだろうけどw
兎にも角にも殿の初期作品がなければその後の日本のアート系フィルムの発展はないし出発点にはなったと思う
それまでの日本映画はダサくてまともにデザインされてない汚らしい日本の街並みの風景をどう撮っていいか手をこまねいていたけど(白黒時代はいざ知らず)、『あの夏、
いちばん静かな海。』みたいに撮る手法は同時代の作家に可能性を与えた(アジアの原初的な風景をみずみずしいカラーで撮る手法は台湾のホウ・シャオシェンやエドワード・ヤンが先行していたけれどこの時点で殿が見ていたとは思えない)
だって青山と黒沢清の90年代後期の作品なんてほぼ北野風やくざ映画ないしそのヴァリアントだからね
2000年をまたぐあたりからその影響から脱していくわけではあるけど
影響は脱しても手法は捨てたわけではないのでレガシーは引き継がれているのだ
そのレガシーを顕在化させねばならない

18:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/03 14:49:36.22 V1BF7RgW0.net
たけし、タランティーノ、コーエン兄弟(この並びを嬉々として挙げる奴は全員ダメ)辺りからモロに影響されたつまらない邦画群にこそ罪がある。
たけしにしても、森田芳光「ときめきに死す」をリアルタイムで絶賛し、監督作はその作風の模倣と言われても仕方ないほど
特徴を箇条書きした場合の類似点は多い。
ちなみに黒沢清は森田の代表作「家族ゲーム」(蓮實は年間ベストに入れてる)をつまらないと言いきり、青山は森田芳光全否定だ。
森田を最も激しく批判した文章を残しているのは、意外にも高橋源一郎。何やってもわざとらしい自称「天才」とまでこき下ろしている。
現代日本の貧しい風景に対する抵抗は黒沢にも青山にも備わっているもので
潔癖症とも言えるおのれの感性から脱皮すべく黒沢清は建て売り住宅や畳のアパートや古い日本家屋をノワールの舞台にしたり
現代の建築物を利用してツギハギの(リアリティに反するが、吉田喜重ほど露骨にシンプルで無機質な「アート」でもない)ロケセットとしてみたり。
「勝手にしやがれ!」シリーズの悪趣味な服装やゴチャゴチャしたセットにも、審美性を排する積極的な意思を感じられる。
よく語られる廃墟の多用も、映像美狙いや終末思想?とは関係ないと思われる。
山本政志がタルコフスキーにハマると長回しでスピリチュアル風な廃墟を撮り、侯孝賢にハマる(日本で知られる前から気に入ってたと言う)とそれっぽい風景を撮ったような安易さはない。
処女作では美術スタッフによってデコレーションされたヤクザ事務所から装飾をほとんど取っ払わせたたけしが
後期になるとそこらへんのこだわりを失っていかにもヤクザなあれこれを平気で画面に映すようになったのは
黒沢とは逆に、なんでもありのだらしなさのように見えてならない。
これはキャスティングなどにも言える事だけど。

19:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/03 22:39:54.88 V1BF7RgW0.net
非意味的なコミュニケーションがある。ここでいう「非意味」とは「無意味」とは少し異なる。すなわち「無意味」は「意味がなくなる次元」をいいますが「非意味」とは
「意味ではない次元」をいう。慎二も美香も不安に駆られて非意味的に言葉を発し、
時にはお互いの発する非意味な言葉同士が衝突したりもする。けれども、このような衝突からやがて2人の間に「分かり合えなさを分かりあう」
という逆説的なコミュニケーションがもたらされることになる。
こうした本作が描く非意味的なコミュニケーションのあり方には、おそらく原作である最果さんの詩と共通するアプローチを見出すことができると思う。

20:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/04 13:12:44.96 7JpNQcPc0.net
昨年の邦画の公開本数
613本
昨年興行収入10憶円を超えた邦画の本数
31本
昨年興行収入20憶円を超えた邦画の本数
12本
約1200憶円の総興行収入を約600本の公開本数で割れば、単純に一本当たりの興行収入は2憶円くらいにしかならない。
しかし、あくまで興行収入であり、半分は映画館の取り分なので配給収入は興行収入の半分。
配給収入から配給会社の取り分を差っ引き、製作費のペイに充てられるのはさらに少なくなる。
平均の製作費なんてどれだけ充てられることが出来ようか。
日本で10憶も製作費をかけられる映画なんてごくわずかでしかない。それがペイできるような興行成績の作品がごくわずかしか生まれないから。
近年では破格の製作費をかけたと言われるシンゴジラですら10〜15憶程度だと言われてる

ある資料によると、映画市場規模(興行収入)は概ね次の通りです。
・米国1兆2千億円(内 国産映画8千億円、国外映画4千億円)
・中国9千億円(内 国産映画5千億円、国外映画4千億円)
・日本2千5百億円(内 邦画1千4百億円、洋画1千1百億円)
中国は国産映画の比率が上がっているそうですが、それでも約4割はハリウッド映画だそうです。
米国国産映画+中国国外映画だけでも邦画の10倍近い市場規模ですから、そこに他の諸国を加えれば、少なくとも邦画の10数倍はあるでしょう。
ですから、ハリウッドの超大作は予算が百億円でも大コケしない限りペイ出来ますが、邦画は10億円かけるのも大バクチです。
そこで、邦画ではある程度の予算を掛ける映画を制作する際は「○○制作委員会」を立ち上げ、テレビ、出版社などのメディアや一般企業に出資させ、コケた場合のリスク分散を図っているそうです。

21:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/05 12:21:07.72 8zwC6lSu0.net
進撃の巨人もそうだけど、日本人は「リアルな戦場描写=グロ描写」と勘違いしてるような気がする
そこよりも人物の内面を掘り下げて欲しかった
説教めいたスタンスで実話を交えて作っちゃったから
ドキュメンタリー”臭”がぷんぷんする
何も知らない人はみーんな実話に基づいた話だと思うよね
ライトはイメージ的なものかと
記憶ってのはおいおい大袈裟になってしまうものだから
それに作中でも夢と現を行ったり来たりだし。
悪夢として描くなら許容範囲
個人で背負いきれないほどの人間の業
逆説的に見えてくる人としての尊厳
なんか作為に凝って文化人のアート表現の踏み絵みたいに使われてると個人的には胸糞悪いんだよな
FMJはその辺りすごいバランスでブラックユーモアを含めて尚あのフラットな虚無感を映したのがさすがキューブリックだと思った
加害者側に自由にやらせて作品作るってアプローチは確かに作為的だと思うけど、無理やり反省促すとかそういうマイケル・ムーア的な関わり方は特に感じなかったな
あの異様な状況を加害者主観で見せながらあくまで冷徹に映像に収めるやり方は野火にも通ずるものがあると思った

22:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/05 12:42:45.66 8zwC6lSu0.net
ホラー的演出に近いグロシーンや突発的なショックシーンが多くて、
心理描写部分が少ないから(説明的な描写はいらないけど)
観た瞬間は圧倒されても、何故か後に残らないんだよね
市川版の上っ面だけ掬い取って派手な演出施しました感はあるよな
現代的な娯楽映画としてホラーサスペンス的なところで
観客を画面に引きつける魅力はあったんだけど、
野火をリメイクをしたという話題性以上の、必然性とかその意義とか
深い部分まで感じるまでには至らなかった
力作なんだけど、ビデオ丸出し画質なのがなぁ
今は低コントラストのRAWからカラーグレーディングでいくらでもフィルムルックにできるんだから、
もうちょっと画質へのこだわりを持ってほしいわ
フィルムっぽくすれば良いというものではない
劇場で観た時はあの毒々しいほどのビデオコントラストが中々強烈に活きてた
塚本監督はいつもながら安易だ。
昔からいつも一発かましてやろうというモノしか表現出来ていない。
対象物はこれまでの既存の映画たちだ
リリーフランキーが息子の話してる時なんか切なくなったよな
嘘のか本当なのか分からないけど「航空隊に志願した、あれだな、この辺飛んでるかもしれねーな」
とか笑ながら言ってたけどそんな訳無いって分かってるのに
あの世界じゃあのオッサンも戦争が無ければ良い親父さんだったのかもしれない

23:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/06 11:53:17.24 6Q0Et0+f0.net
稲垣は死を恐れてないのは生きる意味を見つけられず生に執着が湧いてなかっただけで
実際、自分が死ぬと理解した時に素直に生きたいと言う渇望が生まれた
最後、「死にたくない、痛いよ」
山男がセックスが抜群に強いというのはキャラとしてOKだと思う
だが一徳まで掘ってしまうのは逸脱というか悪ノリになってしまうと思う
小弥太のキャラクターは脚本の天願大介にとっては
武家社会に対する非武家階層目線からのアンチテーゼ的存在。
ラストの蘇生も侍はあっさりと討ち死にたけど
どっこい生き残る下層民のしぶとさ、生命力の強さの象徴・・・
と父親イマヘイ譲りの土民讃歌の要素にするつもりだったんだろうけど
三池が現場の独断で得体の知れないキャラに変えちゃったくさいな。
たぶん首に小太刀貫通も脚本の段階ではなかった設定だと推測する。
松方弘樹の人を斬った後のドヤ顔はたまりません
殺陣は手の内は早いですが体幹部が遅れていますので、手振りの感があります。
体重と年齢でしょうねぇ・・・
伊原剛志・・・人物・性格・雰囲気は大好きです。
ですが、刃筋が外れています。居合いのシーンが冒頭でありますが・・・
あれでは「見事な腕前です」とはいえません。腕力使いすぎです・・・・。
腕力を使っては刃筋が立たないです。
この映画の「白眉」は・・・・
島田新六郎こと山田孝之さんです。
刀を柔らかくかつ厳かにあつかっています。

24:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/06 12:19:17.85 6Q0Et0+f0.net
13人もいるんだから誰かひとりくらい役所広司を裏切るんだろうと思っていたけど、案外団結力が高かった。
山田は元々侍を嫌悪してる(捨てきれない)侍
最後に笑みをうかべるシーンがあるが
これで戦いがやっと終わった(パンフより)という安堵感もよく表している
生きて妻の元に帰ってても別に不思議ではない
「将軍家光の乱心 激突」
千葉さんの著作によるとアクション監督だった自分にスタッフが付いてこなくて、
同じ撮影所に居た深作監督に泣きを入れたそうです・・
誰だ…この映画B級っつったヤツ。間違いなく秀作だろ
山窩に興味持ったら山窩が活躍する時代活劇も読んで欲しい。
「血路」
戦国時代を背景に山窩として身に付けた特殊技能を駆使して暗殺、
救出を生業とする「七ツ家」の面々が武田家に滅ぼされた芦田家の遺児、喜久丸を助けて、武田家が要する暗殺軍団「かまきり」と対決。
「死地」
「七ツ家」で戦士として成長した喜久丸が秀吉の配下の錣一族とこれまた激闘を展開。
「嶽神忍風」
武田家の遺児・竹千代護衛の任を負った男、多十が武田家の埋蔵金を狙う真田・風魔・伊賀の忍者軍団とノンストップの追撃戦を展開。
キャラ的には小弥太を山男にした感じ。
全然話し飛ぶが、松本幸四郎が切腹するとこで介錯の刀が首を通過してたね
時代劇におけるCGの使い方として、あれは素晴らしいと思った

25:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/06 12:43:38.21 6Q0Et0+f0.net
稲垣が落合村に入ったとき
子供がおしっこしてたのに笑ってたんだけど
自分はおしっこの自由がないのにいいなあ〜って笑い?
あれで油断したんだな
稲垣殿のあの気味悪さは、あの端正な顔立ちで姿勢や所作、身のこなしも整っているのに、
ことごとく鬼畜な行いを繰り返す、っていうところからくるんだと思う。
ステレオタイプでいけば、ガハハ親父的だったり、バカ殿だったり、単に粗暴だったり、
ってところに落ち着くんだろうけど、それらのどこにも当てはまらなかったのが新鮮だった。
で、妙に悟ったような口ぶりがやや鼻についたのも事実だけど、
ラストのあの演出で納得できたわ。そっちに反転させるか、っていう感じで。
北村一輝だともっとわかりやすいキチガイ芝居しただろうな

26:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/06 12:56:35.29 6Q0Et0+f0.net
三池監督がこの映画を選んだ理由が「この映画なら男女の恋愛を入れろとか
うるさく言われないだろうと思った」
時代劇でも10代や腐女子に媚びたキャスティングをしたり無理矢理恋愛要素を前面に出し、それを売りにしたけど
肝心の女子供には見向きもされず、時代劇好きの高齢者にも敬遠されて
結果、興行大コケ・批評もボロクソって駄作が何作も続いたからなあ。
芝居というよりは、役者じゃない人が映画で役を演じる場合、
その人の風貌を含めた存在感が役に嵌ってるかどうかが重要だと思うんだけど、今回の稲垣はホントにどんぴしゃだったと思うよ。
暴君を演じられる俳優をキャスティングして、ありがちな演出をするよりは、
今回のやり方の方がずっとサプライズがあるし、成功してると思う。
悪霊島は冒頭からしてリーマンになってる古尾谷雅人がジョン・レノン射殺のニュースを見て
ビートルズが解散してLet it beがヒットしていた
1970年に自分が巻き込まれた、あの忌まわしい孤島での事件を思い出す・・・
って気取ってるのか、単に馬鹿なのか良く分からない構成の映画だったな
武士道に則った者が死に、侍社会のアウトサイダーだった2人が生き残り
日本は新しい時代を迎えるのであった……
CG牛のシーンがなぁ・・・・失笑もんだよ
トム・クルーズとキャメロン・ディアスの「ナイト&デイ」では
アクションシーンで牛とCGをうまく使い分けながらダイナミックな映像を作ってた。

27:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/06 13:32:40.27 6Q0Et0+f0.net
後半のアクションの長さは監督自身が「もうちょっと観たい」じゃなく客がヘトヘトになって「もう勘弁してくれ」と思うくらいやることを目指したそう
舞台をまじめにやるとどうしてもオーバーアクト気味の大きな芝居になっちゃうんだよね
内野聖陽や藤原竜也はモロにそう
でも声優やらせると舞台系の人は上手くやるんだよね
佐藤さんは大物二世タレントのお坊ちゃまイメージから抜け切れてないんだよね。
お茶の間はかなり忘れているけど スタッフや周りが忘れてないかんじ。
だからどうしても振り切れない。
ハリウッドだったらもっと主要人物少なくなってたろうな
結構キャスト絞る方向にいってるから(ハリウッド関係ないけど)
役柄の得意分野を描写するのは無かったね、それをあの人数やったら
間延びしてしまうと思うけど勿体無いのは同意
「松方さんは(殺陣のスキルが凄すぎて)誰にも切れない」
って監督が判断して、最後は誰かに致命傷を入れられたのではなく精も根も尽きて倒れるって演出にしたとのこと。
井筒の週刊現代のコラムの一番の問題は何十年も前に見たオリジナルを必要以上に持ち上げる一方
過去を美化してるだけで絶対にオリジナルを見返した上で論じてないこと。
でなければオリジナルのチャンバラは物凄い迫力だったけどリメイクは全くの迫力不足なんて間の抜けたことだけは書けない。
むしろキネ旬最新号に刺客評を書いている山根貞男や上野昂志といった
井筒よりもずっと上の世代の人たちの方が、さすがまともな評論家だけに
必要以上に過去を美化したりせず、オリジナルとの比較をきちんと踏まえた上で
リメイクにもきちんとした評価を与えている。個人的には
普段邦画の大作には辛辣な意見を書くことがほとんどの上野先生が絶賛に近い評を書いているのが意外だし、なんか嬉しかった。
太平の世の中で、「生きてる実感」に飢えている。
ぬるま湯はイラナイ。奇麗事はイラナイ。強烈な何かが欲しい。
眠っている血を滾らせてくれる強烈な何かが。命を燃やせる「祭り」が。
民草のために立つ・・・なんてのはそのための口実に過ぎない。
だからこその、あの時点での武者震いだ。
柳田國男は、日本の深山には日本民族とは異なる先住民が住み着いていて
それを見た里の人々がその人達を「山人」と呼んだと様々な書物に書いているし
柳田自身「山人の存在」を頑なに信じていた。
が、しかし、柳田自身が隊長を勤め大掛かりな山人捜索を何度となく繰り返したが
山人の痕跡を発見する事はできず、柳田自身、山人説の看板を下ろしてしまった。
ようするに、山人などというまとまった集団は存在しなかったのだ。
山に迷い込んで里に帰らなくなった知的障害者や精神病患者、あとは地方を渡り歩く泥棒などなど、
山窩もそうであるが、柳田が仮定したような記紀に現れる異民族のような存在は、少なくとも明治期以降には
存在しない事を柳田自身が証明してしまったわけだ。昭和60年代、70年代になると
この先住民説が再び日の目を見ることになる。それは、皇室の存在に異を唱える左翼勢力が天皇は侵略者である、
と言いたいが為の苦肉の策として「日本の先住民は山人、山窩、アイヌである」と歴史的根拠も無いことを
言い出して各方面で論破され続け、今や月刊ムーに時々掲載されるだけになってしまった

28:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/06 13:57:39.03 6Q0Et0+f0.net
江戸は暗黒時代で鎖国してて身分制度があって封建的でとクソミソだったな、戦後の40年代までは。
明治政府中枢の長州人の系譜が現政府でも健在だから、義務教育では
明治が日本の夜明けで、江戸は暗黒時代とするのが通例
長州出身の娯楽小説家たちは、江戸幕府や旗本を悪役にしたチャンバラ小説を
たくさんベストセラーにしてる。昔の映画も旗本や幕府の役人は悪役が多い。
江戸時代がよい時代だったという風潮は、20年くらい前からかな。
ずっと江戸というか江戸文化は否定されてきた、三味線音楽や日本舞踊は
通俗的で下品な過去の芸能扱いだったよ。江戸を否定するために西洋崇拝してきた
傾向すらあるんじゃないのかな
平和な世界での侍って、持ってる刀に意味なくなってくる
だから一回も人を斬ったことがないから「葉隠れ」みたいな観念論を支えにしたりする
将軍と自分の家を守るために戦う建前なのに、絶対に戦争禁止で内乱できず
個人的なことで刀を抜くと厳罰が待っていて、家がつぶされ自分は死刑になる。
公的にも私的にも刀が使えない状況なのに、剣術修行は激烈にやらされる。
軍人として何十年も訓練されてるのに戦闘禁止の自衛隊同様。
矛盾の中で暮らしてるから暗殺指令が「千載一遇」のラッキーになる。
小弥太はギャグ担当の「チャリ場」専門キャラでしょ。
息継ぎ、場面転換の箸休めがなかったら、流れがかえってとどこおってたと思う
武士社会を外からながめてる現代人視点の存在でもあるでしょ
外国人の評論家は小弥太視点で見てる人もいたようだったし必要不可欠だと思う
小弥太で息抜きはいいんだけどやりすぎ
箸休めの漬物を山盛りで出されても困る 箸休めに唐揚げ山盛りグエーってなったw
多くの映画なら、小弥太のあまりの絶倫に一徳が呆れてシーン終わりだけど、三池の味付けだと、さらに突き進んでカマ掘りまで行ってしまうってとこかな
着物がペラペラなのは洋服生地だから
パンフレットに衣裳の方が書いてるよ
着物用の布だと厚地で重くて、夏は暑くて大変だし高価だと思われる
無地の着物ばっかりで、色はモノトーンばっかりだよ、雰囲気よかったし
センスよかったけどお金かかってる感じがしなかった
芸者と土井様は、もうちっと豪華な着物がいいなあ
殿はエキセントリックで変な奴だからあの着物が似合ってた
宇多丸のダメだし
・牛は残念
・一徳のアナルシーン無用
・矢が尽きてからの特攻は理由付けが欲しい

29:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/06 14:10:09.47 6Q0Et0+f0.net
見ていた時、着物が何か違和感があったんだけど今日桜田門見てきて分かった!
裃の幅とか着物の布の張りがこの映画おかしくないか?予算ケチったのかな?
時代劇で着物がたらーんとした印象受けるの初めてだったから気になったんだ
三池の場合、最初に大まかな全体図をプロデューサー、脚本家と打ち合わせた後は
脚本製作段階では一切口出しなし(他の作品を撮影中で忙しいから)。
登場人物のキャラ設定なんかもほぼ脚本家に丸投げらしい。
これはパンフのインタビューで天願大介自身がそう言ってる。
その代わり撮影中、三池の思いつきで脚本を勝手にいじっても文句は言うなってスタンス。
だから荒井晴彦みたいな脚本改編にグチグチ言ってくるタイプとは絶対に仕事できない人。
小説版、原作とチェックした
今回の映画見た時も思ったんだけど、やっぱり小弥太の改変はやりすぎだったよーな気がするんだよね
最初から最後まで侍の生き方は馬鹿らしいってスタンスで、そこがちょっと強く出すぎたように思う
侍の生き方に少し共感するような場面があればなと思った
小説ラストだと、新六郎が刀捨てて江戸に帰るんだけど、そのくらいでよかったんじゃないかなぁ
侍も侍も生き方も嫌いだって言ってるし
天願にとって小弥太は自分自身の考えを投射した人物設定なんだと思う。
三池崇史って一時は忙し過ぎて編集にほとんど参加してなかったらしいけど、今もそうなのかな?
元々映像に関するリズム感はあまり良くない人ではあるけど、ここ最近の作品って目に見えてテンポ悪いよね。
特に一騎打ちの前後辺りからやたらダラダラ喋り続けなのが少し気になった。
昔は多少の間の悪さも強引に乗り切っちゃうパワーがあったんだけどな

30:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/06 14:13:39.70 6Q0Et0+f0.net
荒井の批判
伊勢谷友介は要らないと思った。岸部一徳を犯す件りは悪フザケにしか思えない。一人、女にする手は
なかったのか。霧隠才蔵は女、という映画もあった。伊勢谷が武士批判の役なんだという人がいた。
それをやるなら、村を買うのではなく、村人を虐殺すればいい。最後に稲垣吾郎の暴君は病死と
されたと出るが、村人がしゃべるに決まってる。口封じだ。役所広司が天下万民のためとか言ってるが
市村正親が言うように武士は主君のために死ぬ。役所だって命令でやったことではないか。
幽霊映画だと言って面白がってる人がいる。伊勢谷と山田孝之が幽霊だったからと言って
面白いと思う人の気が知れない。幽霊映画の傑作は『妹』と『チィゴイネルワイゼン』だ。

31:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/06 14:49:23.68 6Q0Et0+f0.net
AIは統計に過ぎない(故に知性ではない)」という人は結構いるけど、では逆に、人間の知性が統計以上の超越的な何かである
という確信はどこからくるのだろうか、と、VECTIONのリモート会議ででいつも話題になる。人間は、何を根拠にそんなに
自分を過大評価(特別視)しているのか。「AIは理解していない」と言うが、ならば「人間は理解している」と言えるのはなぜなのか。AIを礼賛したいわけではないが、
AIのような明らかな(異星人のような)他者が出てきた時に、なぜ自分(人間)を疑わないのか、というか、なぜ疑わないままでいられるのか、と思ってしまう。

32:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/07 16:36:07.86 AU2vVc7k0.net
邦画はずっと苦手で避けて来たけど、この人のは見られる。
心の動きがじっとりベタベタしてたり、行間を読めみたいなのを過剰に要求されるの苦手で。

内田監督は理詰めでプロットを考える
西川監督はプロットはシンプルだけど、心象を映像で表現する
男性監督(脚本)には結末にゴールがあって
女性監督(脚本)には結末がその後も日常につながっていく的な

キャラクターが弱いんだよね
人間にストーリーがあるのではなくて、ストーリーに人間が付随してる感じ
だからどういう筋だったかということしか後に残らない
しかし登場人物への感情移入と笑えたかは別問題
むしろ登場人物を客観視できないと笑えないから

感情移入という視点だけで映画を楽しもうとすると楽しめない映画は多いぞ。
この作品はストーリーを楽しむ映画だから。


セリフや演技は内田監督がやって見せたのを真似させてる。
口調が変なのは内田監督の口真似してるからだそうな。

33:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/07 16:59:49.17 AU2vVc7k0.net
時系列をいじった複雑な構成が単に観ている側をビックリさせる仕掛けだけじゃなくて
そのたびにキャラクターや出来事の一つ奥の面を描く機能を果たしてる。
演出とか笑いとか人情とかいろんな要素が全てハイレベル。
時間軸交錯だけじゃなく様々なタイプの映画が撮れそう。

今更こういう構成法に新鮮味はないし、それが見事に成功している程度のことで
たいした感心も出来ないけれど、この映画の場合は、この構成法が登場人物のキャラを
豊かにすることと密接に繋がっているので、その鮮やかさに拍手を送りたい気分。
序盤では軽薄な奴に映った神田が実は友達思いのいい奴だと分かってくる気持ちの良さ!
ただ、個人的にヤクザネタは好きじゃない。
映画の中で金銭的に最も得をしたのは、現金100万円と、いい金づるを引っ張ってくる女と
タダで使える探偵を手に入れたヤクザの親分ってのは、いまひとつすっきりしない。
あゆみが、やがてこのヤクザ組織をガタガタにするであろうことの暗示や伏線を一つ
入れてくれていたら、と思う。

どっかのブログで、低予算(2500万くらい)で作られた映画とあるけど、
低予算でも2500マンもかかるのね。。
ロケーションのごくごく普通の東京の住宅街って感じでいいなあと。
あの真新しいスロープ階段とかリアルだったな。
邦画ってやたらノスタルジックだったり粗野だったりする舞台設定が多いので。

人物毎の章立てなんかパルプフィクショ
ン的だけど、あの映画にある無駄な過剰な面白みは無い。きれいに
収束してく感じはバックトゥザフューチャー1みたいな感じがした。

ハリウッド大作の脚本は最初の15分内に第1の山場を持ってきて・・・とかパターンが決まってる
最初の方はもたもたしてるけど二十分ぐらい過ぎると俄然面白くなる良い脚本だな。
映画的な感覚が優れているところが三谷あたりとは決定的に違う
感動消費型のあざとい難病モノやノスタルジックな情緒刺激映画に客が殺到する今の状況は
正直気持ち悪いのでこの監督には頑張って欲しい。

34:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/07 17:03:45.91 AU2vVc7k0.net
日本には、演劇でも映画でも一番オーソドックスでウェルメイドなはずの物があまりにも軽視されてたので
「異端」として三谷さんが出てきた。彼みたいな存在がいなければ、大谷健太郎も内田も出て来れなかったかもしれない。

ベッド下とかレストランの撮影だけど、後の種明かしの場面で使うカメラは、最初のアングルでどうして写りこまないんだろう?
せりふは同一みたいだから、同時に撮影しているように見えるけど。
実は音声だけ同じものを重ねたのかな。
この監督は只者じゃないと思った。上の方で三谷最近作の言及があったが、有頂天ホテルなんてアヒルの使い方が不自然で見ちゃいられなかった。

35:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/07 22:08:56.68 AU2vVc7k0.net
よくできてるけど回収の仕方が下手。
やくざの始末も地味すぎ。エンディングをもっとスマートに派手にできりゃなぁ。
やっぱニール・サイモンには叶わない。せめて、筒井康孝的なエンディングにできりゃなぁ。
てか筒井康孝>ニール・サイモンだなw
邦画としては傑作の方。昼間のシーン多すぎ。ラストは夜にするべきだった。ぎりぎり90点

。筒井は筆力あるからシチュエーションコメディのもりあがりがすごい。
脱走と追跡のサンバ 最高傑作だと思う。
マイルスのビッチェズブリュー フェリーニの81/2みたいな、前衛でありながら娯楽。

内田けんじただものじゃないな
面白い本が書けて尚且つ撮るのが上手くセンスがある
抑えた演出が良いんだよな
他の監督がこの脚本で撮ったら大方過剰に演出して糞寒いことになると思う

良い時のガイ・リッチーを彷彿とさせるね
まぁガイ・リッチーはもっと過剰だけど

浦沢や園みたいに風呂敷を拡げまくって回収できなくなる奴とは違う

変に広げ過ぎたり掘り下げ過ぎたりしないのが内田作品の良いところでもあるしな。
クドカンはともかく、最近の三谷作品はくどい。

36:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/08 11:10:04.44 +bXl70OE0.net
カウリスマキって絶望してる人が淡々としてるんだよね。他の国の映画だったら、大声で騒いだり、誰かを傷つけたりするのに、この国の風土でしょうか、静かに運命を受け入れるんだよね。じゃぁそんな国だったら、みんな優しいのかって言ったら、「人生は美しい」とか
言う殺し屋が殺人現場で彼に罪をなすりつけたり、結局、損する人は損をするんだろうね。彼の映画はホント、そう。損する人は損するんだけど、ある限界点が来たら、犯罪でも自殺でも淡々と実行する、
そんな人たちを見つめてる。結局、どこの映画にもあるパターンなんだけど、彼はそれをのんびりしたテンポで描くもんだから、こちらとしては、そんなに気が荒まないんだよね。不思議な感性だね。

37:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/08 23:41:09.16 +bXl70OE0.net
矛盾点指摘してる人ってリアルでもそういう性格なのかな。
疑問点が解決してスッキリするのは分かるけど
作りが甘いが故に出た矛盾があったら駄作扱いになるのか?
多少のご都合主義は物語だから

内田監督作品は伊坂作品と造りが似ていると思う

桜井が元カノ(が捨てようとしたゴミ袋)から回収した昔の写真。
いくつかの写真を桜井が泣きながらめくり助手席の窓から写真を投げ捨てたが、元カノとのツーショットの写真だけが助手席足元に残っていた。
それをコンドウは拾い、その幸せそうな写真を眺め、自分の昔の貧乏でも幸せだった日々を思い出し、佳苗のことを考えた。

内田けんじの、話がちょっと感動的になりかけると
大慌てでなーんちゃって!と茶化してみせる語り口のさじ加減が好きだ
今回のラストシーンはセンスを感じたな
感動的なシーンでスローモーション+大音量BGM+涙+大絶叫・・・という演出が
多すぎる邦画界でこの軽妙さは貴重だなあと思った

観覧後の爽やかな余韻は共通するが、
アフタースクールは見る側の予想を裏切ろうという意欲が強くてわざと謎をばら撒く感じ
鍵泥棒の方は自然に点が線に繋がっていく感じだな

デビュー作の「WEEKEND BLUES」は映画研究会みたいなノリだけど、内容は面白い。

38:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/09 00:32:52.62 cMLSfDB60.net
監督のインタビューによるといろいろと理由をつけて小難しく考える大人の恋愛と、
一瞬で恋に落ちる事が出来る若い子の恋愛を対比させたかったらしい。

39:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/09 02:00:55.80 b2ePyfOu0.net
運命じゃない人』は、あまり良い感じではなかった。人物が皆、物語の都合でしか動いていない、というのがその理由なのだが、
それだけでなく、一見、とても複雑に入り組んでいるような話にみえるのだけど、最初の男女のエピソード以外は、全て後付けの説明を拡大していっただけで、
話の隙間にあてはめ易い要素をはめ込んでいるだけなので、そのやり方がみえてしまうと、とたんに退屈になる。実際、映画の中盤以降で新たに付け加えられることと言えば、
お札に関する偽装のエピソードだけと言ってもよいくらいで、
後半に向かって、(既にあるものの読み換えや言い訳だけになってしまうので)映画はどんどんつまらなくなってゆく。同一のシーンが、
ことなる意味をもって何度も反復される、と言えば聞こえはいいが、結局は、ある限定された要素を提出して、
その内部でのみ、その解釈をひっくり返したりして読み換えてゆく、というだけのことで、技法としては単純すぎるくらいだろう。
それに、こういう「お話」でヤクザを介入させるという手が凄く安易で、そうするとお話として
簡単に「面白っぽく」展開させることが出来るのだが、その分、薄っぺらになるだろう。(例えばタランティーノみたいに、
この薄っぺらさを意図的に馬鹿げた規模にまで拡大させたりすれば、また別のものが見えてくるかも知れないのだが。)それぞれの人物、
それぞれのシーンが、パズルのピース以上の意味も厚みももたず、かといって、その関係の複雑さや密度のみで人を納得させるには足りない。演出もきわめて手際が良いが、それ以上ではない

40:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/09 13:58:30.71 b2ePyfOu0.net
キネ旬ベストテンは昔「仁義なき闘い」を1位にしたくなくて
翌年公開の「津軽じょんがら節」という作品の試写会開催を早めさせて前年の対象とし
仁義を押し退けて無理矢理1位にさせた前科がある

41:淀川長治
23/07/09 16:03:28.50 b2ePyfOu0.net
主役4人全体が気張りすぎた。つまりオーバー・アクト。これはひとえに監督の滝田洋二郎の、いうならば観客への御親切ごころがうらめに出たというわけだ。
なぜ、も少し押さえなかったのか。これは原作・脚本(一色伸幸)が心して、深刻になる
日本独特のお涙を避けたからであろうが、この良さが説明までをも呑気に走らせたきらいが、この映画をマイナスに落としている。
真田はじめ岸部一徳、嶋田久作、山崎努の4名の個性個性個性をあまりにも鮮やかにと思ってか、
この4人がいうならばレコード盤の早廻しとなって、私は途中3回4回、演技を台詞を押さえろと心のうちで叫んだ次第。
けれども、日本映画がこのように浜田毅の撮影監督でジャングルとその土地を実感させて撮影。そのキャメラの動きはすばらしい。
さてこの4人、裸身でさらに私たちをくすぐらせるか。このあたり、どこかいつの間にかさらり身をかわされて、立派なラストが物足りないよ

42:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/10 10:44:50.99 kNRYrRrw0.net
「結婚をしないで、なんて私は馬鹿だったんでしょう。
これまで見たものの中で最も美しかったものは、腕を組んで歩く老夫婦の姿でした」グレタ・ガルボ

43:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/10 21:16:16.11 kNRYrRrw0.net
ビートたけしなんかは若者(チンピラ、高校生とか)の描き方はうまいよね。リアリティがある若者が登場する。
その辺時代とのズレを感じない。たぶん「おじいちゃん」になってもその辺はソツなくやれると思う。
しかし深作はズレまくりなんだよな・・・。
「いつかギラギラ」は駄作といいきってしまうのにはもったいない
おもしろい部分もあるんだけど。「若者」のリアリティのなさが
致命的。でその辺に気付いてない深作はやっぱり終わってるよ。
木村のオーバーアクション目立つし、荻野目には参ったな、としか言い様無いな。
アクションシーンの為に、拵えた筋書きのように見えた。本末転倒の感がする。
かつての深作作品「解散式」その他、においては、登場人物の(行動の)動機付けはもっと明快だったな。
荻野目の役って本当は難しい役だと思うんだよね。無茶苦茶だけど繊細で可愛くて、男を夢中にさせる女。
なのに、荻野目が演じると、ただのクレイジーな女になっちゃう。
「暴走パニック」の杉本美樹とか「資金源強奪」の渡辺やよいとかはそういう女を演じるのが上手かった。
奥山和由の熱気に押されてアクション映画を久しぶりにやろうとしたものの、
90年代にアクション映画をやるということはどういうことか、というモチベーションを
突き詰められなかったんじゃないのかね。実際に丸山昇一に何度も脚本を直させたことからもわかるように、
それは深作自身がいちばんわかってたことだろう。撮影所システムの時代ならば
簡単にやれたアクション映画の企画を、需要のないところでアクションを
やるということの難しさ……。それだからこそ、「ドーベルマン刑事」を
最後にアクション映画から遠ざかっていたのも正しい選択だし、ある意味、作家として誠実だと思う。
「バトル・ロワイアル」という「素材」にめぐり合った時は、これでアクションが撮れる、と
嬉しかったんじゃないのかね
苦しい企画ではあったんだろう。もっとも、この必然性の問題は、80年代以降の日本映画の大半について回る訳だが。

次々に展開されていくアクションシーンは、あまりにも現実離れしている。
   (かつての深作作品にあった)現実との整合性、そしてこれの土台となるべく
   機能していたロジックの入り込む余地が無くなっている。
従って、単なるエンターテインメントと捉えた場合においても、駄作。
ハリウッドのキレのいいアクション描写を見慣れた観客にすれば「いったい、こい
つらは今ごろ、何をやっているんだ?」感が強かった。
ハリは物量だけじゃない、やはり編集などに工夫があるもの
例えばマイケル・マンなんか緩急にキレがあるし緊張感もある。「ヒート」の冒頭の
輸送車襲撃シーンを観て、「いつギラ」を思い出して悲しくなったんだよな・・・。

44:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/10 21:24:08.65 kNRYrRrw0.net
深作より落ちると思っていたフランケンハイマーやフリードキンあたりの方がマシに思えた。
不調時のペキンパー的な凄みもないし、野暮さで押すジョン・ウーに勢いではかなわない。
何より登場人物たちの相克を描いて「恐喝こそわが人生」(68)の頃のようなシャープさが
もう無いのが辛い。みんなちっとも切実に見えない、遊んでいるようにしか見えないんだ

45:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/10 22:19:14.66 kNRYrRrw0.net
ハッピーアワーでやったワークショップもその手法らしいね
まず感情も排して平坦にセリフを読めるよう練習する
徹底的に排した後で、自然に滲み出てきた本当に必要なニュアンスだけ微妙に足す
庵野がシンゴジラで俳優に感情を込めさせるとろくなことにならんから異常な早口にして込める隙間を無くしたと言っているが近いアプローチだな
日本人はほとんど感情を出さないのが自然な姿だからそっちの方がリアルに見えるのかもしれん
普通の邦画が大げさすぎるんだよ
普通の日本人の話し方に戻してるだけ
ハッピーアワーを見れば理解できるようになってるから見ろ
映画というのは無表情の顔が写っても前後のカットによってその人が何を考えているように見えるかが変わり、それを的確に積み上げる事で感情表現ができる
濱口えいがは編集に時間を掛けてモンタージュを緻密に計算している
そしてハッピーアワーを見れば確かに上手い俳優が感情を込めて読むより素人が無表情で読む事が濱口映画にとって効果的である事がわかる

46:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/10 22:46:39.71 kNRYrRrw0.net
白石:上林の原動力である「怒り」の表れですね。実録ヤクザ映画をずっと書いていた脚本家・笠原和夫さんが、ヤクザを掘れば掘るほど、
在日と被差別部落に行き着くと。逆にそこを描かずヤクザは描けないから、(タブーに触れることを恐れて)みんなヤクザ描くのを辞めていくんですね。
エンタテインメントとして面白いものを作るのは当たり前なんですけど、そこに1秒でもそうした問題意識を入れるのは、今の作り手としての誠意だと思ったんです。
─そこで上林が在日だってことが分かるし、日岡のスパイとして彼の懐に入りこむチンタ(村上虹郎)と、その姉の真緒(西野七瀬)も在日。同じ民族としての繋がりみたいなものと愛憎がしっかり描かれる。
白石:この映画のなかで何かしらの犠牲になっていく人たちは、「差別される側の人たち」ということが分かれば、何か感じてもらえるんじゃないかなって。

47:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/10 23:32:39.43 kNRYrRrw0.net
千葉ちゃんの大友はそれこそめちゃくちゃやってたけど、行動原理がちゃんと伝わる整理の仕方がされてたからなー
北大路の破滅の過程もしっかりと描かれてたしやっぱホンて大事よな
笠原さんは、天才的 台詞に躍動感まで感じてしまう

ヤクザと家族は昔の任侠モノリバイバル
本当は心優しく家族(親)思い、仲間思い
でもヤクザとして義理通すために暴れるていう
演出や舞台立ては今風だけど物語の構造は割とまんまリバイバル
こちらもモロにその後に来た実録物リバイバルだが実録物の演出を再現しつつドラマ性の部分
刑事とスパイの正義感だったり悲しき怪物上林だったりはエンターテイメントに振り切ってる
良い悪いじゃなくな
どちらもけして革新的であろうと目指しても成功してもいないけど娯楽作として十分成立してる

何かを彷彿とさせるとか何かのオマージュとかだけで映画を作るなよ
そんなのは作品の一要素以上のものになったらダメだろ
この制作者たちに言いたいのは今の時代に東映の実録路線を復活!なんてことではなく今の時代に新たなヤクザ映画を作ることだろ

48:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/11 15:35:28.63 QAvNHskw0.net
あんな段階で致命的ミスに気付き
バイト大学生連中が文句いわず超献身的
天使のような妻も含めて主人公に都合が良すぎる展開ばかり

受賞後泣きながら1曲歌う
その他の優秀賞の人もステージに上がって
福山の肩はげますように叩いたり一緒に歌ったりする
客席に来ている両親が時々スイッチで抜かれる
そんな昭和テイストエンディング

日本の役者はコメント下手だよなぁw
どうでもいいことぼそぼそ言ってありがとうございましただけ
まぁこんな賞で過剰に喜ぶのも恥ずかしいだろうけど

49:名無しさん@お腹いっぱい。
23/07/11 17:51:57.27 QAvNHskw0.net
三谷は歴史物は好きで映画でも舞台でも歴史物はずいぶんやってるから
喜劇的な演劇にまとめられるのよ。
そこが喜劇になりきれないコント止まりの宮藤官九郎との大きな違い
クドカンとか大泉洋とか松尾スズキとか
あの辺をナンか「ちょっと変わったオモシロイケてるモノ」と思って観てるレベルの連中が
老人世代と共に現在のTVの主要ターゲットなんだよ
吉本のお笑い芸人を面白いと思って見ている人たちと同じで、
日本の手枷足枷の連中なんだよな、本当の事を言えば。
それでも無残に切り捨てるわけには行かないとすればどうするか。
例えば、ご老人には、新作大河ではなく、過去作を見放題にしてあげるとか、
吉本しか笑えない人には、吉本劇場の舞台映像を放映してあげるとか、
安価な形の選択肢を増やせっつーの。
脚本は一人では仕上がらない。
プロデューサー、演出家と脚本家の三人が話合いをして大枠と流れを決める。
初稿の段階でプロデューサーは主演クラスの俳優に内容を見せて俳優の意向を聞いてから
撮影稿に仕上げるから撮影の段階で俳優が「聞いてない」なんてことはない
NHKは俳優の意向なんて聞いてくれないよ
大昔っから今に至るまでNHKお断りの俳優やスターが何人もいるのはその為
大河ドラマの脚本料は一本250万
つまりクドカンはおよそ一億円を手にしたことになる


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