【ワケルくん】宮城県知事村井嘉浩【実は関西人】 at MAYOR
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725:名無しさん@お腹いっぱい。
17/09/12 23:23:33.70 U1TNxbn+0.net
伊達政宗が支倉常長を使節としてメキシコ、スペイン、ローマ教皇に派遣した。
1613年に出発し、1620年に帰国したが目的は達成できなかった。
仙台藩主伊達政宗は、1613(慶長18)年9月、メキシコとの通商の開始、
さらにスペインとの同盟締結をめざし、家臣の支倉常長らを派遣した。
一行は支倉以下の日本人と、
政宗に使節派遣を提案したフランシスコ会の宣教師
ルイス=ソテロらスペイン人あわせて180人であった。
使節団の乗船サン=ファン=バウティスタ号は
仙台藩の月ノ浦で日本人の船大工が建造した。
月ノ浦を出航した使節は、太平洋を横断してアカプルコに上陸、
常長ら31名がメキシコを経由してスペインに赴き、
マドリードで国王フェリペ3世に面会した。
スペイン王フェリペ3世は通商を認めなかったため、
ローマ教皇からスペイン王を動かしてもらうためにローマまで行った。
その間、支倉らの何名かはカトリックの洗礼を受けて信者となった。
1615年11月、教皇パウロ5世に謁見したが、天正少年使節と異なり、
正式なものではなかった。
結局、ローマ教皇からの働きかけも得られず、スペインに戻り、
なおも国王への面会を求めたが果たせず、1620年にマニラを経由して長崎に帰着した。
<以下は、大泉光一『支倉常長』1999 中公新書 による>
慶長遣欧使節/支倉常長
URLリンク(www.y-history.net)


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