ひろゆき「実数は実在 ..
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730:132人目の素数さん
23/03/11 18:07:36.60 qAPFWThY.net
>>729
テメェ、よぅ?果たして本当にハイゼンベルグの不確定性原理とゲーデルの不完全性定理を理解して>>720を書いたのか?
分かりませんでは済まされない主義主張しといて
まさか今さら分かりませんとか言わねぇよなぁ?
ゲーデルの不完全性定理の他にゲーデルの完全性定理なんてのも有るの、ちゃんと熟知して言ってんのか?

731:132人目の素数さん
23/03/11 20:39:10.38 jsxlvoOk.net
互に礼儀だけは守りましょう
いくら匿名でも
わたしは学問の現在はまだまだの段階ではないかと理解しています
不確定性原理は確定しているからこそ原理です
不完全性定理もまた決定不能と決定しているからこその定理です
不完全性定理をもってなにもかも解らないのだと早稲田数学科の院生は語ります
それでは定理ではないのでは?というのは当然の疑問です
失礼ながら理数系の方々はこれらが何を語るのか、未だに理解していないのではという疑問があるわけです

732:132人目の素数さん
23/03/11 21:03:39.56 jsxlvoOk.net
スレの主題は数とは何かです
ゼノンは師であるパルメニデスの自然観、つまり〈一〉という理解を擁護するために逆説でピタゴラス学派に応じます
競技場の逆説では最小単位があるとすればその半分があること、つまり最小単位の存在は否定されます
二分の一、アキレスと亀では大きさのない数が自然に存在したら目的地に到達することはなく、アキレスは亀を追い抜けません
飛ぶ矢の逆説では点で自然ができているのならば飛ぶ矢は静止していると論証します
自然は数ではできていない、〈一〉なのだとゼノンは師の自然観を擁護したのです
光速度一定の原理は座標原〈点〉は存在しないと示します
パルメニデスの自然観はこの原理で裏付けられたのです

733:132人目の素数さん
23/03/11 21:19:39.36 jsxlvoOk.net
科学者も光速度一定の原理が何を意味するのかは未だに理解していません
〈ここ〉からは存在しません
このことは〈ここ〉までも存在しないこととなります
〈ここ〉、始点は終点でもあります
自然には終始は存在しないのです
ビッグバン仮説はなによりも対象が宇宙非宇宙という否定関係を想定しますしエネルギー保存則、光速度一定の原理を否定します
証拠とされる観測はいずれも違う理解が可能であり決定的な証拠とは言えません
この仮説は天動説の末裔なのです
地動説は太陽が中心だとすれば間違いです
しかしこのことは論理の性格を物語っています
天動説もまたそう見えるというのならば真理です
それが自然の構造だと理解すると間違いということです
光速度一定の原理は座標原点は理解に必要だが存在しないのだということを示します
数は存在しないのです
規定は否定なのです、有は無で規定されます
クレタ人の逆説で解るように否定で規定するからこその決定不能です
クレタ人が正直者でも、自己を他として規定します
様々な例で規定は否定だと例証してきたつもりです
自然は無矛盾ですが、有を無で、つまり否定で規定します
規定することが決定不能となるわけです
ですから光速度一定の原理は規定は自然には存在しないということとなります
不完全性定理、不確定性原理の出来原因は対象をその否定で規定するからだとわたしは理解しています
数は存在しません、無なのです
有を無で、ですから決定不能は必然なのだとわたしは主張します
数は存在しません

734:132人目の素数さん
23/03/11 21:27:15.12 jsxlvoOk.net
あっ、クレタ人の逆説を書いていたら面白い視点が見つかりました
しばし休憩を

735:132人目の素数さん
23/03/12 04:22:49.57 zd4tqlAZ.net
クレタ人の逆説に初めて触れた時には吃驚しました
いや書いていて、あっと思うことに気が付きましたので
また新たな展開が出来そうなので
先日もゼノンの逆説の一側面が解明できて
というか秀才というか鋭い人ならすぐ指摘している可能性があるなと自分のボンクラさに嘆きました
ドイツ人というか欧米人なんでしょうか、その徹底性に驚くことがあります
新約聖書学は自己の文化の成立根拠まで否定するような結果を引受けるのですから、信者でもないわたしは驚きました
机の前で呆然としたことを昨日のように覚えています
マルクス主義も展開していた学者が成立しないことを暗示していて、この主義に引導を渡します
これは日本人ですが
いや、物理学は人間の根幹に触れるんだろうなと
そしてそれはかなりヤバそうな予感がします

736:132人目の素数さん
23/03/12 04:38:50.01 zd4tqlAZ.net
クレタ人の逆説は対象をその否定で規定すると決定不能になることを示します
科学は自然認識は自己言及ですが、自己言及は自己を他として、ということです
つまり規定の根本が否定なのです
クレタ人が正直者で、クレタ人は正直者だとクレタ人が言ったと規定したら決定不能にはなりません
しかし自身を他として言及するのですから、自身はクレタ人であってクレタ人ではないという決定不能となります
アガサ・クリスティはミス・マーブルに変われば変わるほどますます変わらない、変わらなければ変わらないほどますます変わると語らせます
自然は運動変化していることが変わりません
自然自体はずっと存在しますが、運動変化し続けます
これも決定不能ということです
ヘーゲルの運動規定は存在すると同時にしないことという不思議な定義です
これは規定の性格が否定だからです
運動を静止で規定するからです
規定は否定だから決定不能となるわけです
決定不能と決定するわけです
これは対象が無矛盾だからです
だからこその定理です
この定理をもって何もかもわからないのだと理解する人たちがいます
いや、わからないということは解るのです

737:132人目の素数さん
23/03/12 04:49:59.70 zd4tqlAZ.net
光速度一定の原理は座標原点、つまり運動の否定である静止は存在しないと示します
規定は対象の否定ですから、対象には存在しません
論理は対象には存在しないのです
次元は認識器官という物理状態に一である自然は多として像を結びますが、その抽象なのです
濃淡として在る自然の淡を認識器官は無として像を結びます
見たものはそのままの自然ではないのです
これが科学が貫くものです
地動説はその指摘の嚆矢です
諸生物、そして金属、空間でさえ否定関係ではなく差異です
それを否定で規定します
静止は運動の一形態ですし、生死もまた物理状態の変化という視点からは同一ですし、無もまた有の一形態なのです
そして規定こそが様々な問題の出来の原因であり、自然は無矛盾である子は規定を否定して示されます

738:132人目の素数さん
23/03/12 05:04:16.81 zd4tqlAZ.net
以前クレタ人が正直者ならこの逆説は成立しないことに気が付き、このことは何を意味するのか悩みました
論理は静的だと板倉氏は指摘します
科学史が本職の方であり、天動説は視覚の範囲では真理だと指摘されていて目が覚める思いを体験させてくれた方です
いや、相対的真理というか基準の相対性ということです
光速度一定の原理は基準を設定し規定しますが、その基準は存在しないことを示します
そしてその基準、規定自体を否定して無矛盾であるということが示されます
規定こそが宿痾とも言えるわけです
クレタ人が正直者でも、自己を他として、つまり規定は否定ということは普遍なのです
クレタ人は嘘つきといった場合とクレタ人は正直だという場合は違いますが規定は否定ということでは同じです
前者は直接に、後者は本質として決定不能ということです

739:132人目の素数さん
23/03/12 05:15:01.83 zd4tqlAZ.net
わたしは学の現在はまだまだ、つまりこれからも発展すると理解しています
失礼を承知で言えば科学者も数学者も認識の在り方を少しでも探求すれば新たな発展の道は拓かれるのだとわたしは主張します
科学者は光速度一定の原理が自然と認識の在り方の自己言及だとはまだ気が付いていません
数学者は数の本質にまだ気が付いていません
科学者は哲学を軽視するが、その実粗末な哲学に囚われているとある学者は語ります
現在にまでこの言葉は届いているのだということです
何事も初歩が一番難しいとその学者は語ります
実に単純なことなのだとわたしは主張します
自然は無矛盾であり、それを否定で規定している
規定自身の性格を理解すべきなのだということです

740:132人目の素数さん
23/03/12 05:19:49.38 zd4tqlAZ.net
わたしは自然を理解したかった
自然はただあるだけなのです
それだけなのです
理由も何もなくただ在るだけなのです

741:132人目の素数さん
23/03/12 05:27:59.41 zd4tqlAZ.net
自然は運動変化するエネルギーの濃淡であり、その親和反発でまた違う濃淡を生成していく過程としてあるだけです
このことは変わらないのです
この濃淡を規定するものとして数は観念の中に存在します
自己を他者として、そして認識器官の在り方に多として像を結ぶ
その像の抽象が数ということです
数一般が存在しないのです
・・・あっ、また厄介なことに気が付きました
少しまた本を読みますか

742:132人目の素数さん
23/03/12 05:39:00.00 zd4tqlAZ.net
自分の探求してきたことが次世代に役立てればと思っているだけです
個人的には自然とは、学問とは゜、人間とはということに手がかかったと思っています
わたしの知の目的は少しだけですが実現しつつあります
十代後半に途方にくれましたが、日本の学の現在はそれを可能にしたのだと感謝しています
三浦、板倉、山川諸氏の案内が無ければ廃人になっていたことでしょう
そういや「言語にとって美とはなにか」を著した吉本隆明氏に廃人の歌というような詩がありました
関係ありませんが、永瀬清子氏に短章集というのがあり読みましたが詩ではこの人のだけ夢中になりました
わたしの当時の感覚に合っていたのでしょう
それはともかく学の展開に携わっている方々の一助にでもなればと願っています
日本人に学の革命を実現してほしいのです

743:132人目の素数さん
23/03/12 05:48:14.60 zd4tqlAZ.net
我ながら纏めるのが下手と感嘆します
でも同じことを何回も展開するとその中でまた違うことが発見できるんです
96年に気が付いてからですから27年経ちます
深化はしているつもりですが、わたしが他人なら付き合いきれないと思えます w

744:132人目の素数さん
23/03/12 16:22:22.18 zd4tqlAZ.net
自然科学の歴史は否定関係と規定していたことが差異だと示してきた
そして規定すること自身が決定不能をもたらすのだと
フォイエルバッハが自己言及の在り方に気が付く
遡るとクレタ人、カント、ヘーゲルということになる
スピノザは規定は否定とした
数学もまた不完全性定理が示す
科学は観測問題、不確定性原理
ウイルスの分類問題
地動説も進化論もその系譜
光速度一定の原理は単純明快だが、ここからは以上のものが導ける
ゼノン・・・
そして認識器官という物理状態に結ぶ像としての静止、生死、粒子、無・・・
実に単純な話

745:132人目の素数さん
23/03/12 16:23:36.90 zd4tqlAZ.net
あと一つが・・・
うーんと、やはり見切り発車かなあ

746:132人目の素数さん
23/03/12 22:55:35.71 SBmMCnnp.net
>>731
やはり、ハイゼンベルグの不確定性原理に対してもゲーデルの不完全性定理に対しても
全き自己解釈で理解した気に成ってやがったな
結局、ゲーデルの完全性定理に関しては調べる事もスルー
潜在意識で調べる事を拒んでスルー

747:132人目の素数さん
23/03/13 02:01:50.95 mTTKW/4W.net
クレタ人の逆説に囚われたコイツは『正直者のパラドクス』を知らない

748:132人目の素数さん
23/03/13 06:17:47.95 8cUrPVJN.net
自己言及は試金石
現実は幻である
では貴方も幻
現実は脳の作り出した幻
では脳も幻
シミュレーション仮説もまた自己言及すれば
すべての欲を捨てましょう
わたしたちは諸欲の結果の産物で、またそれでいろいろ維持をしている
自然は次元でできている
そうならば無限の静止した自然と、貴方も自然の一部だから無限に存在することになります

749:132人目の素数さん
23/03/13 06:25:54.18 8cUrPVJN.net
いずれにしてもその否定で規定することで決定不能となる
自己を他として規定する
クレタ人が自己自身を嘘つきと正直に規定、つまり否定で自己を規定するから
クレタ人が正直者だとする
この場合もまた自己を他者として規定している
一貫して規定は否定

750:132人目の素数さん
23/03/13 06:31:13.77 8cUrPVJN.net
わたしは規定は否定だと主張している
生物学者は生物は生きつつかつ死につつあると語る
生物は同一であることはないから
というか物理そのものが同一であることは無い
それを同一で規定するから決定不能に
生物非生物と否定で規定する
これは物理状態の差異を否定で規定するから
宇宙もまた同一であることは無い
そして変化することは変化しない
非同一であることは同一
そうなんですよ、ミス・マーブル、貴女は正しい

751:132人目の素数さん
23/03/13 06:42:11.26 8cUrPVJN.net
自然理解は自然の一部である人間の自己認識
自己を他者として、つまり規定は否定
規定の本質は否定と理解している
そうではない場合を示せば崩壊します
数には大きさが無い
無いものは無い
対象の抽象ですから存在しません
自然という有を無で規定する
運動は静止で
物理状態の差異を否定で規定する
科学は否定で規定している対象が差異であることを明らかにしていく過程でもある
焦点はここだけです
対象である自然を認識器官という物理状態に結ぶ像で規定していく
見たものがそのままの自然ではないことを示したのが地動説
しかしある基準で対象を認識規定していく
基準は必要だが存在しないことを科学は示す
有を無、つまり規定は否定です

752:132人目の素数さん
23/03/13 06:52:02.61 8cUrPVJN.net
わたしは数は自然の抽象であり存在しないと主張する
自然という有を数という自然の抽象、つまり認識器官に結ぶ像の抽象、つまり存在しない、無で規定しているのだと
運動は静止で規定している
ひろゆき氏は実数は存在すると主張する
いや、数そのものが存在しないとわたしは主張します
なんかいでも言います
自然が無矛盾であるということは規定そのものを否定していることで示されます
座標原点は自然には存在しませんがそれで対象を規定する
〈ここ〉からが無ければ〈ここ〉までも自然には存在しません
有限の存在を科学は否定します
無限は有限で規定しますが存在しません
カントの二律背反はそういうことで
ヘーゲルの運動規定もまた
規定は否定です
対象の否定ですから対象には存在しない
科学はそれを示したわけです
それによって自然は無矛盾だと示しました
自己規定は自己を他として、つまり本質はやはり否定なのです

753:132人目の素数さん
23/03/13 07:00:35.80 8cUrPVJN.net
何回目かな、同じことを書くのは w
不確定性原理にしても本質は規定は否定ということに基づきます
有を無で規定しますから、測定は近似値ということが必至です
規定は否定、運動を静止で規定します
今、此処と指示すると、今、此処は飛び去ります
今、此処と運動を静止で規定するからです
関係ないですが石田姉妹の妹が太宰治の「女生徒」朗読で、今、此処はと同様なことを呟く場面があり声質が合っていて録音消したことを後悔しています
いずれにしても論理は対象の抽出です
真偽は対象で決まります
対象がノーと言うのなら抽出した論理ないしは適用範囲の逸脱でしょう
規定は否定というのは論理の自己言及かな?
あっ、面白いかも

754:132人目の素数さん
23/03/13 07:08:45.16 8cUrPVJN.net
クレタ人の逆説は規定は否定であり決定不能とならざるを得ないことを示します
自身もまた他、つまり否定で規定する
自然の一部である人間が自然を他として規定する
本質として否定であり、無矛盾は規定が対象に存在しないことで示される
ウイルス分類の困難さは分類するからです
つまり分類が分類困難の原因です
自然が無矛盾であることは規定は自然には存在しないことでしめされます
規定こそが観測問題、不完全性定理、不確定性原理、クレタ人、ゼノン、カント、ヘーゲルの問題の本質ということです
それは規定するからこそなのだと主張します

755:132人目の素数さん
23/03/13 07:15:44.86 8cUrPVJN.net
認識論の分野では第一人者であろう三浦つとむ氏は真理は単純だと主張します
わたしもまたいろいろ読み、問題を考えていくうえで実感しました
言語は対象ー認識ー表現というのが本質と氏は述べます
科学認識もまたそうです
氏は観念的な自己分裂、つまり自己を他として認識するのがわたしという表現だと理解しています
理数系の方々は少し認識論を嗜んだほうが良いのではないでしょうか
何回でも言います
数そのものが存在しないのです
ひろゆき氏の主張は過ちです

756:132人目の素数さん
23/03/13 07:26:38.88 8cUrPVJN.net
ルナールはその著作で、蛇長すぎる、と書きました
わたしのも長すぎるというかなんというか w
ではまた

757:132人目の素数さん
23/03/13 12:42:54.02 8cUrPVJN.net
規定の在り方は認識器官に結ぶ像に規定されます
認識器官は自然をそのまま反映しません
静止、生死、無は認識器官には存在しますが自然には存在しません
その在り方を相対化して、それが差異であることを科学は光速度一定の原理で示しました
この原理は同時に静止で運動を規定することを示します
運動を前提に否定関係は導けませんが否定関係で規定、理解します
つまり規定、理解が不確定性原理、不完全性定理、観測問題のもたらすと主張します
次元は認識器官に結ぶ像の抽象です
ここからもここまでも存在しません
それは淡を像として結ばない認識器官に結ぶ像です
自然は無矛盾で理解可能だということです
否定関係で規定しますが否定関係は存在しません
わたしの主張は単純です
認識の在り方を示すことで科学は自然が無矛盾であることを示したということです

758:132人目の素数さん
23/03/13 12:50:43.98 8cUrPVJN.net
自然科学は本質として自己言及です
自己を他で、ということです
有を無でということです
実に単純です
極めて単純、極めた豊穣
タゴールの言葉です
そういや月は見ていない時に月は存在するのか
つまり見ていなければ存在しないのではと語った人だったのかな
でも家に帰ったら空き巣が入っていた、後ろから襲われて死んだとか当事者の認識には関係ありません
シーラカンスは、大腸菌は発見されるまで存在しなかったのかとか
これらは認識には関係なく存在しているということです
ん?眠っていて自己を認識していなかったら自己は存在しないのかということになるのかな

759:132人目の素数さん
23/03/13 12:55:12.16 8cUrPVJN.net
粒子は波の一形態であり、認識器官に結ぶ像の在り方が粒子だとわたしは理解します
有を無で規定するから不確定性原理なのだと
0に限りなく近いが0ではない
つまり有を無で規定するからこそです
規定は否定です
科学は一貫してそれを示してきたのだとわたしは理解しています

760:132人目の素数さん
23/03/13 14:06:15.30 8cUrPVJN.net
ゼノンの逆説が躓きの石でした
で右往左往
「ゼロの発見」の指摘でさらに混迷に 
重力の説明に???
板倉さんはこれでは解らないとあり一安心
三浦さんの観念的な自己分裂、吉本隆明氏の言語観の指摘に納得
ただヘーゲル、カントは皆目
マルクス主義は滝村さんの指摘で成立しないということに納得
いろいろと迷い数十年 
板倉氏が論理の性格を指摘、山川氏がゼノンの逆説を解説
しめたと思いましたが、まだまだいろいろあり袋小路に
板倉氏の指摘はスピノザの規定は否定とは何かが解る道に案内してくれました
ちなみに、氏は江戸時代の農民もまたコメを食っていたことを史料で証明しました
他にも鴎外がその時の科学を固定して脚気を理解したため東大医学部は陸軍の脚気の死者が戦死者より多いという事態をもたらしますが、板倉氏は彼らの科学に対する理解の欠陥を示しています
また禁煙法、社会主義は社会実験で否定されたと指摘しました
他にも仮説実験授業という現在でも影響がある方式を開発しました
いずれにしても学問の現在は未だしではないかと
失礼ながら数学も数とは何かを確立していないのではないかと
逆に言えばこれからの学徒は学問の革命に関わることができるという機会があるわけです
わたしの投稿はエールのつもりなんですが、ヤジに聞こえたら残念です

761:132人目の素数さん
23/03/13 14:16:25.81 8cUrPVJN.net
茂木さんと竹内さんは現在の学問を固定して新たな学説を否定することに反対しています
気象学者の方も固定して批判する方々に疑問を呈しています
現在の学問の在り方もまた相対化すべきだと主張されています
一ディレッタントとして言わせてもらえれば学もまた混迷状況なのではないでしょう
わたしは認識論を学んでもいいのではないかと
ある数学者はブレークスルーは最前線ではなく、いたって立ち戻ることからということがけっこうあると指摘しています
地動説、進化論、集合論などなどが古代ギリシャにその芽生えがあるとか
わたしには認識の在り方の理解がブレークスルーになるような気がしてなりません
藪にらみの横目で眺めていますが、役に立てればと思います
いずれにしてもど素人のたわごとを粉砕するくらいでないと学の泰斗には成れない気がします

762:132人目の素数さん
23/03/13 20:20:33.59 8cUrPVJN.net
いずれにしても正否は自然が回答するとわたしは信じています
思想、倫理は社会、人間が答えを出します
科学というか学問もまた対象が答えるのだということです
自然科学は自然が答えをだすのだと
自然は一、無矛盾だとわたしは科学史を概観してそう判断します
さてと自然と認識の関係理解の概観を書いているのですが、また再構成しなきゃな
何回目かわかりませんが、いずれにしてもここでのはけっこう参考になりました
ありがとうございました

763:132人目の素数さん
23/03/13 22:22:37.99 bVXyuGkX.net
もし本にしてくれたら便所の紙ぐらいには役立てられるのにな
電子掲示板に書かれちゃそれすらできやしねぇ

764:132人目の素数さん
23/03/14 19:51:06.70 HTMpbKOS.net
本にしようなんて w
いや、学徒の刺激になればというだけです
意外といろいろ解っていないということが解ればという思いで書いていますから
バックボーンというか基礎はある程度確立したいんです
正統から外れていて辺境を彷徨っているディレッタントが現在の学を概観したものの感想です
これからわたしは知の革命があると思っています
わたしのは一試案です
学は過程としてありますが、過程としてあること自体は固定しています
変化すること自体は変化しない
その変化しないことを考えて確定したい
変われば変わるほど変わらない
変わらなければ変わらないほどますます変わる
ということです
規定は否定だから決定不能となるのだとわたしは理解します゜

765:132人目の素数さん
23/03/14 20:05:46.34 HTMpbKOS.net
日本の学徒に知の革命を成し遂げてもらいたいだけです
足を引っ張るつもりはありませんので、それは判ってもらいたい
新たな視点を提供しているつもりです
自然は一であり、有を無で規定すると光速度一定の原は示しているのだとわたしは主張します
認識器官に結ぶ像はそのままの自然ではないのだと
理論はある基準を設定して展開されますが、有効範囲を外れると無効になります
運動が否定されることはあり得ません
「ビッグバンはなかった」のラーナーは方程式の性格を指摘していますが同意します
物理学の自然は撓んだ自然だと朝永博士は指摘します
その通りなのだと思います

766:132人目の素数さん
23/03/14 20:13:06.65 HTMpbKOS.net
誰にでも目が触れるところです
不特定多数の方々に知られるわけですから、反発も多いことは承知しています
少しでも刺激になれば、そして参考になればという思いです
それだけです

767:132人目の素数さん
23/03/15 08:14:58.73 1KOrHwW9.net
竹宮恵子さんの「地球へ・・・」のラストのコマで茫漠たる宇宙空間が描かれています
ふと人間のいない自然を考えました
わたしたちの場合はすべて認識器官という物理条件に結ぶ像です
生物の数だけ自然像は違うわけですが、対象は同じです
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発でまた新たな濃淡を生成する過程だとわたしは理解しています
その生成過程で自己言及可能な意識を持つ物理状態、つまり生物が生成される
自然が視覚という物理状態に自然の一形態である光を媒介に像を結びます
それは視覚の諸形態でそれぞれの像を結びますが、それはどれが正しいということではありません
こうしたら、こうなった、ああしたら、こうなったというだけです
この意味で像も物理の一形態と言えます

・・・ああ、やはり親和反発の過程で生成されると一貫しています

768:132人目の素数さん
23/03/15 08:45:21.11 1KOrHwW9.net
生物、植物とかいろいろ規定しますが、これも物理状態としては差異です
親和反発の過程でまた新たな濃淡が生成される
摂取、つまり食べて肉体の一部になったり排泄されたり、または生物の状態を急激に変化させたりします
物理状態は同一であることはありません
それを同一と規定しますし、他とは差異ではありますが否定で規定します
意識とは自然が自己言及可能な物理状態だとわたしは理解します
究極としてなぜそのような物理状態となるのかは解りません
自然に何故はありません
ミュンヒハウゼントリレンマは、なぜなぜは無限に遡及されることを示します
何故は人間の意識の問題です
自然はただ在るだけです

自然を自己言及、つまり意識もまた物理の親和反発で自然の像を結ぶ・・・
「地球へ・・・」の最後のコマを認識論として考えたら、親和反発で像を結のですから、一貫しています

いやフラットアース説批判を考えていましたら、本質を考えなければならないと気が付きました
地球は丸いとする人たちは地動説的ではありますが、やはり座標原点があると理解しているという意味ではフラットアース説の変種です

769:132人目の素数さん
23/03/15 08:57:17.45 1KOrHwW9.net
正直コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインみたいな変革者が日本の学徒から出現することをディレッタントのわたしは期待しています
リドレー、タレブ、ラーナーも諸分野の理解では卓越しているとは思えますが、欧米文化の枠からは今一歩抜け出せないでいるのではと思っています
数学の学徒の方々、数とは何かという基本は判っていません
ある学者は、何事も初歩が一番難しいと述べています
ある学者は真理はとても単純なのだと
武道家は奥義は睫みたいなもので近すぎて解らないと
険しい山道を辿っていったら元の人里に、というのがありました
自然も、自然認識も睫みたいにその本質は近過ぎて、ということではないかと

770:132人目の素数さん
23/03/15 09:02:51.93 1KOrHwW9.net
理数系の学徒の方々、睫、つまり認識の在り方を少し探求してみませんか?

771:132人目の素数さん
23/03/15 09:11:11.43 1KOrHwW9.net
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか, 仏: D'ou venons-nous ? Que sommes-nous ? Ou allons-nous ?)は、フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた絵画。ゴーギャンの作品のうち、最も有名な絵画の1つである。絵画の左上にはフランス語で「D'ou Venons Nous Que Sommes Nous Ou Allons Nous」と題名が書かれ、右上には「P. Gauguin 1897」と署名および年が書かれている[
わたしにとって学問とは何よりも人間とは、ということをわかりたい手段です
人により違うのでしょうが、自然、つまり客観を媒介にして、ということです
それが可能な理解で、わたしの理解が過ちであることが証明されたら、今すぐ放擲します

772:132人目の素数さん
23/03/15 18:51:59.37 5haPPr5j.net
傲慢だな
人に諭す前に自分を勉強し直しな

773:132人目の素数さん
23/03/15 19:57:24.23 1KOrHwW9.net
諭す?
そんなつもりはありません
わたしが学び考える目的を表明しただけです

774:132人目の素数さん
23/03/15 20:12:27.01 1KOrHwW9.net
まずは宇宙がどういうものか解りたかった
数学と物理を学べばと思い勉強しました
学ぶうちにわからないことだらけに
解るかもしれない諸学を彷徨い、さらにチンプンカンプンに
解ったのは、学の現在は科学でさえ、ということでした
何人かの科学者たちは科学革命が必要な段階だと主張している
わたしはあなた方学徒に道を切り拓いて欲しい
わたしのはあくまでも一試論に過ぎません
あなた方もこれを踏み台にするのもよし、まったく違う視点を探しても良いわけです
あなた方は学を新たに展開する可能性があるとわたしは主張します
出来れば日本の学徒にと思う一ディレッタントです
・・・まあわたしには先鞭をつけたいという願望があったりしますが w

775:132人目の素数さん
23/03/15 20:14:32.27 1KOrHwW9.net
わたしは数とは何かは自然理解を媒介にして理解すべきだと主張します

776:132人目の素数さん
23/03/15 22:53:12.59 1KOrHwW9.net
音楽だとやはり感覚が変わります
古楽器で半音低い演奏が紹介された時違和感がありました
絶対音感の持主らしき指揮者が気持ち悪いと言っていました
そんなのは無いわたしなんかはだんだん慣れてきましたがそれでも違和感はあったりしました
モーツァルトも滅びる可能性を指摘した学者がいて反発したファンもいました
学も傾向があり、ハイゼンベルクや武谷三男氏らは批判していました
最近の邦楽、クラシックとかもちと付いていけなかったりします
ブルーハーツは三十年前なんですね
衝撃的だったですが、以降はありませんでした
わだつみの歌がありましたか
新しい傾向のはここまでくらいかな
アイドル系統はベビメタくらい
いや、もう感覚が違うみたいです
学もまたその時代の傾向というのがあるのでしょう
クラシックも美音、美声なんですが、なんか物足りない
でも美音傾向は半世紀前から徐々にという感じかな
音楽は判りませんが、好きです
ああ、学問もそうかも w

777:132人目の素数さん
23/03/15 22:58:38.97 1KOrHwW9.net
学徒の皆さん、学の傾向を創造したくはありませんか?
本質ー構造ー現象だったかな
武谷さんの三段階理論は若いときは皆目でした
再読しようかな
学問の本質、学の本質・・・
学問はまだまだであり、そこに希望もあるのでしょう
いえ、わたしだけの思いかもしれませんが、こういうのもアリかと

778:132人目の素数さん
23/03/16 08:15:06.72 pM0FCh4i.net
今じゃスマリヤンの論理学の邦訳が普通に書店に売ってるレベルなのに、それすら手に取らず数学板で不完全性定理に言及しようとするとか知性が終わってるわ

779:132人目の素数さん
23/03/16 09:03:17.28 9rO1Dcm/.net
夜中に思いついたことを忘れてしまった・・・
うーんと、けっこう深化して、しめたと思ったんですが
いずれにしても未だに数とは何かが解らないということは確かではないでしょうか
基礎を築く機会が貴方たちにはあるのではと

780:132人目の素数さん
23/03/16 09:09:44.97 9rO1Dcm/.net
夜中に思いついたことを忘れてしまった・・・
うーんと、けっこう深化して、しめたと思ったんですが
いずれにしても未だに数とは何かが解らないということは確かではないでしょうか
基礎を築く機会が貴方たちにはあるのではと

781:132人目の素数さん
23/03/16 09:11:10.10 9rO1Dcm/.net
ですから、わたしは規定の本質から考えたいのです
自然ー認識ー理解になるのでしょうか
数とは何かを自然理解を媒介に考えたいのです
規定は否定、この理解を否定すれば撤退します
数は認識器官に結ぶ像の抽象です
一である自然は多としてその像を結ぶ
淡は像を結ばない
次元は存在しません
四次元が存在したら無限の静止した自然、そして自己が在ることになります
対象を無で規定します
無は文字通り無で、数は存在しません

782:132人目の素数さん
23/03/16 09:20:15.02 9rO1Dcm/.net
すべては幻という認識の場合は対象が幻という規定です
存在、あるものが無いということです
認識主体もまたすべての中に入りますから、また幻でありこの認識もまた
全ては脳の作り出した幻説もまた同じです
シミュレーション説もまた自己言及でノーです
自己言及、つまり自己を他として規定する、このことが認識には貫いているのだということです
嘘つきの場合はもちろん、クレタ人が正直者である場合も自己を正直だと規定しても自己を他として規定します
数とは一である自然・・・、いやもういいですね
ひろゆき氏は間違っています

783:132人目の素数さん
23/03/16 09:25:56.35 9rO1Dcm/.net
すべては幻という認識の場合は対象が幻という規定です
存在、あるものが無いということです
認識主体もまたすべての中に入りますから、また幻でありこの認識もまた
全ては脳の作り出した幻説もまた同じです
シミュレーション説もまた自己言及でノーです
自己言及、つまり自己を他として規定する、このことが認識には貫いているのだということです
嘘つきの場合はもちろん、クレタ人が正直者である場合も自己を正直だと規定しても自己を他として規定します
数とは一である自然・・・、いやもういいですね
ひろゆき氏は間違っています

784:132人目の素数さん
23/03/16 09:27:34.51 9rO1Dcm/.net
FM、今週はマタイ受難曲を今日まで放送
久しぶりですが、やはり名曲です
マタイ福音書というイカガワシイ動機から書かれた書物から大傑作が生まれる
人は偽物ほど熱狂する、ですか
実に面白いですが、また悲劇で喜劇でもあるのでしょうか
いや学問もさまざまな視点があるわけです
科学でさえの段階です
新たな展開があるのだとわたしは予想します

785:132人目の素数さん
23/03/16 09:29:30.35 9rO1Dcm/.net
夜中に少し考えていたんで、なんか・・・
少し休むことにします

786:132人目の素数さん
23/03/16 10:07:11.68 9rO1Dcm/.net
そうそう、気になることが一つ
運動は静止で規定されます
ボールを投げ上げたら頂点で静止するが地球自体は運動している
つまり静止は運動の一形態
生死は存在しないが生死で規定する
エネルギー保存則です
屁理屈ではありません
生死、静止は認識には存在しますが自然には存在しません
それは認識の在り方の問題だとわたしは理解します
絶対座標は存在しませんが座標で規定します
それが何を語るのかは考えられてよいのではないのでしょうか
有は無で規定される、つまり規定は否定だとするスピノザは正しいのだと思えます
そして規定を否定することにより無矛盾であることとなります
ヘーゲルの否定の否定の法則もまた根源なのだということになります
自然は無矛盾で理解可能だということです
一は多として認識器官に像を結びます
数は自然には存在しません
多は一、大地は運動しますが認識器官にはその否定、静止として像を結ぶのと同じことです
静止が存在しないように数もまた

787:132人目の素数さん
23/03/16 10:40:19.22 9rO1Dcm/.net
WBCで日本のファンの行動が賞賛されていました
野球観戦の雰囲気らが良くなるかもと期待します
自分が信じていたことを否定されるのは愉快なことではありません
統一教会の東大生の信者に聖典の生物の理解が過ちであることを指摘したら、それまで頑なだったのが少ししたら笑い出して棄教したということを読んだ記憶があります
これはかなり稀な例でしょう
いや、こういうのもギスギスしがちです
わたしもまた規定は否定という理解が過ちだと解れば、笑って〈〉棄教します
わたしにはまだそれが解らないわけです

788:132人目の素数さん
23/03/16 10:47:57.01 9rO1Dcm/.net
わたしは自然とは、学問とは、人間とはが解りたいだけです
それ以外ではありません
科学と数学はやはり学問の最前線であり最先端です
ただやはり学もまた発展途上、つまり可能性に満ちているのだと思えます
もう一つの願いは日本人学徒が道を拓くことです
それ以外ではありませんので、癇に障る表現があったならひらにご容赦を

789:132人目の素数さん
23/03/16 12:01:31.59 xd80U2V5.net
ほら諭してるじゃねぇか結局
若い世代に託さんとグダグタ駄弁を連ねてた事を自らゲロっといて諭してる気は、ねぇ?はぁ?
レスを纏められない『言葉のサラダ』一歩手前の長文
一と全の区別が付かない『統合失調症』一歩手前の判断力
やはり波動観念依存症のお前の思考は『オッカムの剃刀』が足りない
論理判断能力を問う以前の支障が波動観念依存症には在る
『AKIRA』の登場人物『鉄雄』の無際限肥大化する身体異常が如し
思考が無際限肥大化している状態が今の波動観念依存症

790:132人目の素数さん
23/03/16 12:19:21.22 xd80U2V5.net
そもそも、波動観念依存症は勘違いしている
> わたしは自然とは、学問とは、人間とはが解りたいだけです
> それ以外ではありません
その問いに完全無欠な解を与える答えは永遠に無い、『人間とは』を評価する方法の数だけ限り無く増えていく
> 科学と数学はやはり学問の最前線であり最先端です
おこがましい。何を『“学”術的に“問”うか』により何が最前線最先端かは、変わる
> ただやはり学もまた発展途上、つまり可能性に満ちているのだと思えます
当たり前だ。だがお前の考える理由による無限性ではない
学問学術は無限大多数のテーマが有るから可能性に無限性が生じている
お前の理念に基づく無限性では決して、ない。お前の理念に基づく無限性は、単に『爆発律』を踏襲している為
『AKIRA』の登場人物『鉄雄』の身体の異常無限再生の様に、お前の思考も『爆発律』に基づき異常無限展開している為
一方で学問学術宇宙は『爆発律』無してテーマのネタの無限性を成している
決してお前の思っている理由による無限性では断じて無い

791:132人目の素数さん
23/03/16 15:47:56.30 9rO1Dcm/.net
諭してはいませんよ
わたしの目的です
目的は達成しつつあるので満足です
科学、数学、とくに科学は自然が答えを出しますからやはり羨ましい
思想となると未だにマルクス主義信奉者がいたりする
あれだけ社会がノーと答えを出しているのに
スレの主題です
ひろゆき氏は間違っています
数一般は存在していません

792:132人目の素数さん
23/03/16 16:23:06.84 3LhGDBCG.net
何を以て「存在する」とするかだな
局所的実在論は量子力学で否定されちゃってるし

793:132人目の素数さん
23/03/16 17:00:20.76 9rO1Dcm/.net
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発で新たな濃淡を生成する過程です
それ以外ではありません
粒子と波動の二重性という認識そのものが違うと主張します
粒子は波が渦の状態という理解です
ある物理条件では波に、ある物理条件では波が渦の状態を呈し粒子として認識されるだけで、否定関係ではないのだと
静止が運動の一形態であるように
否定関係と理解されてきたことが実は差異であることを示してきたのが科学だということです
自然に否定関係は存在しません
座標原点は存在しないのです
自然は無矛盾です

794:132人目の素数さん
23/03/16 17:02:01.80 8RoWAk7F.net
エネルギーってなんですか?

795:132人目の素数さん
23/03/16 17:09:48.87 9rO1Dcm/.net
自然認識は認識器官という物理条件に結んだ像です
認識の在り方を科学は相対化します
規定は対象の否定です
運動を静止、つまり存在しないもので対象を規定します
規定は自然には存在しないと示したのが光速度一定の原理です
運動を前提に否定関係は導けません
つまり自然は運動するエネルギーの濃淡です
波しか存在しません
淡は認識器官には像を結びません
自然はパルメニデスが語るように〈一〉ですが、この認識器官の在り方で〈多〉として像を結びます
粒子は存在しません

796:132人目の素数さん
23/03/16 17:15:54.04 j9rmt3q9.net
エネルギーってなんですか

797:132人目の素数さん
23/03/16 17:18:55.11 9rO1Dcm/.net
光速度一定の原理を理解すれば無矛盾な自然観が得られたのだとわたしは理解しています
それをしなかったから観測問題、不確定性原理とかが未だに立ちふさがっているのだと
ビッグバン仮説が主流なのは否定された座標原点を前提にしている
前提が宇宙非宇宙ということになり矛盾してしまうのです
エネルギーは自然そのものです
それは運動し親和反発してあらたな濃淡を産み出します
それ以外ではありません
力も次元も存在しません

798:132人目の素数さん
23/03/16 17:20:38.69 j9rmt3q9.net
エネルギーって何ですか
『自然そのもの』じゃ答えになってませんよ
どんな性質があってどんな振る舞いをするんですか?

799:132人目の素数さん
23/03/16 17:24:54.63 9rO1Dcm/.net
諸生物の認識器官は様々です
それはある物理状態をそのあり方で様々な像を結びます
これもまたそれぞれの物理条件と認識媒介が親和反発の過程で生成する像です
対象は同一ですが、物理条件が違いますから差異があるわけです
つまり一貫して親和反発の過程にあるということです

800:132人目の素数さん
23/03/16 17:27:03.24 koCTbMDR.net
親和反発って何ですか

801:132人目の素数さん
23/03/16 17:30:15.16 9rO1Dcm/.net
性質はあるエネルギーの状態、つまり条件ではこういう物理状態に生成されるということです
親和反発の過程で、ということです
対象である自然には論理はありません
こういう物理条件に対してある物理状態がなぜこうなるかは解りません
ミュンヒハウゼントリレンマです
原因は無限に遡及可能ですから
自然には理屈は無いのです
この状態はこの条件だと理屈は解らないがこうなるというだけです

802:132人目の素数さん
23/03/16 17:34:18.77 9rO1Dcm/.net
>>800
そうです、このように無限に遡及可能なのです
自然は無矛盾で理解可能です
ある前提で理解を展開していきます
前提は仮にこうしましょうということです
存在もまた前提です
そして無矛盾であると示されることによりこの前提が成立するというだけです

803:132人目の素数さん
23/03/16 17:38:08.30 9rO1Dcm/.net
対象を存在として前提する
この前提は無矛盾だと科学は光速度一定の原理で示します
そして規定は否定だと示します
有を無で規定するのだと
無は文字通り無です
自然はただ有る、在るだけです

804:132人目の素数さん
23/03/16 17:39:58.66 9rO1Dcm/.net
わたしは数は実在しないと理解しています

805:132人目の素数さん
23/03/16 18:04:20.28 2UCGCxXN.net
いや親和反発の根元を聞いているのではなく親和反発とはどのような現象を表しているか聞いているのですが
具体的にどのような現象か簡潔に教えて下さい

806:132人目の素数さん
23/03/16 20:17:04.43 9rO1Dcm/.net
ん?親和は基本浸透です
反発は逆です
それ以上は w
浸透とはと無限に遡及可能ですが勘弁してください w
わたしは自然は無矛盾、一だと理解しています
わたしたちも含めて自然は濃淡の親和反発の過程でまた新たな濃淡となります
濃の一状態がわたしたちでまた親和反発の過程で他の物理状態にという理解です
繰り返しますが存在という前提は無が否定され、成立するのだということです
自然には規定は無いのです

807:132人目の素数さん
23/03/16 20:22:40.76 9rO1Dcm/.net
ある前提で規定していきます
天動説も地動説もその前提は有効範囲があります
前提が相対化されて無矛盾に収斂していきます
・・・まあ存在という前提もまた規定なんですが
ヘーゲルは存在すると同時に存在しないことと運動を定義します
対象は存在と規定されますが、決定不能と決定しますがそれは対象が無矛盾だからです
規定こそが決定不能をもたらすのです

808:132人目の素数さん
23/03/16 20:29:42.04 9rO1Dcm/.net
六時くらいからクリスティーの小説を半世紀ぶりに要約版で読みました
一時間半くらいで読了しましたが、全然覚えていない
ひと月で50冊くらい読んだ中の一冊ですから
犯人は判りませんでした w
ちと疲れましたので寝ます
図書館には二十冊くらい要約版があり、ひと月くらい楽しめそうです

ああ、わたしのも要約版みたいなものかと
きっちりとしたのは学徒に任せます
いずれにしてもわたしには数の実在は信じられません

809:132人目の素数さん
23/03/16 22:41:31.73 uVasgrWE.net
浸透と脱浸透による具体的な現象論を記述してください
現象のより原理的な遡及は求めていません
浸透/脱浸透レベルそのままで良いので、実在する物理現象に対する浸透/脱浸透モデルによる説明の一例を具体的に挙げてください

810:132人目の素数さん
23/03/16 22:44:43.72 uVasgrWE.net
>>809
ここで言う「実在する物理現象」とは「観測事実として周知されている現象」の事を差します。
「『形而上学的に実在』する物理現象」を意味している訳ではありません

811:132人目の素数さん
23/03/17 05:52:41.66 xn6qAoGA.net
目の前、自身もまた浸透反発の過程として在ると理解しています
水分摂って排泄、肉体の一部に
紙が水分含んで、程度によっては形態を失うとか
いずれにしても生々流転の過程にあるのだと
金属も長期間には腐ったりするのはそこから逃れるわけではないのだと
自身も自然もその過程にあると理解していますが
ヘラクレイトスの自然観です
そして変化すること自体は変化しません

812:132人目の素数さん
23/03/17 06:09:12.04 xn6qAoGA.net
集合論や地動説、原子論とかほとんどが古代ギリシャに遡れると読んだことがあります
フロイト心理学もそうだと読んだことがありますが
数学者がピタゴラスの定理が前の文明の継承であると書いていて驚きました
聖書とかも源流があるとか
わたしのはかなり素朴な理解です
でも間違っているとは思えません
元々ゼノンの逆説が数非実在説の根拠です
点は光速度一定の原理が実在を否定していてパルメニデスの自然は〈一〉であり数は存在しないという理解を裏付けていると理解しています
終始も無いし、何も生まれない無くならないということです
また規定は自然には存在しないということです
パルメニデスとスピノザが正しいことを科学史は示しているのだということです
自然は実に単純です
わたしにもそれは実感できます
目の前の自然と自身もまた差異であり否定関係は存在しません
否定関係は頭の中にだけ、つまり物理としては存在しません
有を無、存在を非存在で規定します
規定は否定で、規定自体が否定され自然は無矛盾であることが明かされます
ウイルス分類が困難なのは分類するからです
規定が対象の否定、つまり有に無が存在しないことを示して対象である自然は無矛盾となります

813:132人目の素数さん
23/03/17 06:18:19.46 xn6qAoGA.net
この自然観と論理観なら様々なアポリアが解明可能だと考えています
いずれにしても正否は対象が出します
ビッグバン仮説はわたしの理解では認識上に必要な終始が自
然にも存在するという過ちです
静止、生死、無がそうです
それで自然を規定しますが、それは存在しません
ビッグバン仮説は天動説の誤謬の末裔だということです
対象が宇宙非宇宙、エネルギー保存則、光速度一定の原理の無視
ありえません

814:132人目の素数さん
23/03/17 06:23:14.01 xn6qAoGA.net
理数系、とくに科学者の方々
科学は自然〈認識〉です
ならば認識論もまた考察すべきかと
科学は見たものがそのままではないということを証てきたのですから
数学の学徒の方々
数は一である自然が認識の在り方で多として像を結びますがその抽象であり存在しないとわたしは理解します
ひろゆき氏は間違っています

815:132人目の素数さん
23/03/17 06:46:46.95 xn6qAoGA.net
815は終戦記念日、ナポレオンの誕生日ですね
ある数学科卒の数の拘り方がさすが数学科と感嘆したので
わたしの母とわたしの誕生日はバッハとモーツァルトの名曲中の名曲の作品番号だったりします
もっとも母はバッハは苦手で誕生日が逆ならばと思ったりしますが
それはともかく
わたしにとって学問は自然と人間とはという理解の媒介、手段で目的ではありません
芸術至上主義は採れないのと同様に学問至上という価値観は採れません
人それぞれですから、至上主義も有りですが、そこは多様性ということで御寛恕のほどを
幼いころからの疑問をとりあえずは納得する形で解決しました
あまりゾッとしないのですが、必然の帰結なら受け容れなければなりません
マルクス主義者とか宗教信徒の頑なさは反面教師です
三浦さん、板倉さん、滝村さんの学問も相対化できた・・・かな
むろん大家ですが、彼らもまた時代の子供です
・・・まあ学者としては足元どころか、ですが
マルクスもまた時代が相対化したわけですし

日本の場合は国ガチャは比較したらマシだと思います
親ガチャもまあまあかなと
わたしは客観的に悟りたかったのかなと思えます
古代ギリシャが健康な子供のように、わたしもまたそうでありたいのです
素朴だが正しい、正しいが素朴
わたしもその位置に上りたいし、またディレッタントですからそれしか出来ないと自覚しています
あくまでもこういう自然観、論理観ならこれらが理解できるという試論の性格でしかありません
興味ある方は検討してください

816:132人目の素数さん
23/03/17 07:05:11.75 xn6qAoGA.net
クリスティーまた全部読みたいなあ
一日に三冊読んだことがありますが、内容はほとんど覚えていません
思い出した、象は忘れないという題名がありました
宮沢賢治、夏目漱石などなど
楡家の人々とか意外に面白かったです
三島由紀夫の賞賛はわりあいとマジなのかなとも思えます
ファウストも意外に面白く手塚治虫が拘ったのも判りました
聴きたい読みたい名作は数限りなくありますが時間が・・・

わたしの試論の正否はたぶん生きているうちには出ないだろうなあ・・・
それが不幸なことなのかはたまた幸運なことなのかは判りません
でも自分なりの試論を上梓することが出来るなんてことは夢にも思いませんでした
至福状態で逝けます
勝手に大満足 w

817:132人目の素数さん
23/03/17 11:31:12.94 JNULJU0g.net
波動は何で論理的推論をしないの?全部のレスが理性に到達していない悟性で止まる観念論じゃん
感知で感性を会得、知覚で悟性を会得、理解で理性を会得
カントも感性→悟性→理性の順で知を深めるとしている

818:132人目の素数さん
23/03/17 12:44:50.99 xn6qAoGA.net
予想をすることをお勧めします
若き学徒も真偽が何で決まるかを模索することを少し考えても良いのではと
とにかくわたしは人間がどういう存在なのかを知りたい
様々なアポリアは理解するからです
規定こそが原因です
わたしは自然との関係理解を基礎にいろいろ考えたい
その否定もありでしょう
わたしは最小単位も力も存在しないと理解します
終始ももちろんありません
あなた方の理解で観測問題、不確定性原理、不完全性定理、哲学の基礎的諸問題を解決案を出してください
それが納得できるのなら、いつでもわたしの理解は放棄します
わたしのは一元論と認識論で理解可能だと主張しています
二律背反、ゼノン、クレタ人、ヘーゲルがスピノザの理解から解決可能だとわたしは主張します
理数系の基礎もまた
そこから数とはを理解したわけです

819:132人目の素数さん
23/03/17 13:48:03.44 xn6qAoGA.net
さてとクリスティの縮約版を読みますか
図書館はいろいろ便利ですが、老人ホーム化していて
数か月に一回くらい認知症の男性が理不尽なことで暴れていて
決まって女性司書に絡むんですが、なんか卑怯で
わたしも名前が思い出せなくなって、うむ初期症状かなと不安になったりします
否定する方々も、認知症理論で片付けてもかまいませんが
それなりに決着をつけてもいいかもとは思います
・・・まあわたしはとにかく未解決問題を決着したかっただけです
図書館の司書さん高身長で浮世絵美人みたいなと母が評した人がいます
わたしは少し太った笑顔の可愛い司書さんと、オバサン顔だが初々しい新人司書さんがお気に入りです
五年前に美人で可愛い司書さんが転勤になりまして残念でしたが
んじゃ、繰り返しにしかなりませんので
いや、先日丑三つ時くらいに目覚めて、ふと新しい展開の手がかりがと思ったので、ついつい懲りずに投稿しまして
歳なんで見切り発車して纏めなきゃなと思います
今日は何にしようかな
ミス・マーブルのあの科白はなんだったかな
巡り合えれば良いのですが
ではでは

820:132人目の素数さん
23/03/17 20:33:38.13 xn6qAoGA.net
いずれにしても学は発展途上であることは確かではないでしょうか
『道程』
僕の前に道はない
僕の後ろに道は出来る
ああ、自然よ
父よ
僕を一人立ちにさせた広大な父よ
僕から目を離さないで守る事をせよ
常に父の気魄を僕に充たせよ
この遠い道程のため
この遠い道程のため

この詩は学徒にふさわしいと思えます

821:132人目の素数さん
23/03/17 21:06:46.13 mRHfvxRN.net
>>809です
>>811を見るに、つまり貴方は、現代物理における原子説(より根本的には標準理論/Standard Modelを代表とする素粒子説)による描像を完全に否定し、
エネルギー某(なにがし)による浸透反発モデルを採用すべきと主張しているのですか?

822:132人目の素数さん
23/03/19 07:01:19.04 qWneVzAU.net
( ^ω^)・・・
今日は法事なんですが、五時頃に目が覚めました。
少女漫画の最後のコマの理解の結論が出ました。
以前出した自然理解の適用でした。
いや、もうブルトマンのキリスト教理解と滝村隆一の共産主義理解の結論くらいの衝撃です。
一元論的に理解を達成したことには満足ではありますが。
ちなみに母の法事ですが、わたしは幻覚体質で母の葬式の少し後に部屋のベッドのすぐ側に立つ着物姿の母がわたしを見つめて、スッと消えていくのを観ました。
普段は幻覚体質の厄介さに悩みましたが、この時は感謝して、また出てきてねと思いました。
いや、やはり人は幻想で生きていた方が幸不幸を痛切に体験できるのかなと。
今は残った生を愉しんで生き抜こうと思います。
母は昔の人なので、家を守ろうと必死でした。
良い時には悪い時の、悪い時は良い時の準備をしていて、生きる知恵では足元にも及ばないと痛感しました。
それは生きることに必要なことですし。
しかし知恵というのは伝わりにくいのかなと思えます。
・・・纏めるのが怖いのですが、生きた証ですから最後までと思っています。
学問至上主義は芸術至上主義と同じように現在のわたしには映っています。
人は幻想に生きるのが良いかななんて思ったりします。
ああ、もう、いや、人は自分なりの価値観で生きていけば良いのかなと。
それが社会や地域、家庭を乱さない限りということですか。
でも学問は人を、社会を根本的におかしくする可能性もあるわけです。
欧米キリスト教文化圏の根底を新約聖書学は揺るがしました。
むろん学者だけというか、学者もその認識を共有しようとは考えませんでした。
科学もまたそのようなことになりそうです。

支離滅裂がよけいに支離滅裂になりました。w


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