ひろゆき「実数は実在するが虚数は実在しない。わからない人はバカ」 at MATH
[2ch|▼Menu]
[前50を表示]
700:132人目の素数さん
23/03/05 06:39:28.99 DsWe2FCI.net
有を無で規定しますから不確定性原理となります
0に限りなく近いが0では無いということは運動を静止で規定するからです
自然はそのままでは認識できません
だから測定は近似値でしかありえません
エネルギー保存則の破れが言われますが、自然しかありません
これは測定の本質の問題です
=で認識できるという理解が誤謬なのです
不確定と確定しているからこその原理です
決定不能と決定しているからこその定理です
規定すること自身が様々な問題を出来させます
ウイルス分類もそうです
わたしの解答は繰り返し述べてきました
貴方の解答がより納得できるものならわたしの解答はもちろん捨てます
できなければ主張しつづけます

701:132人目の素数さん
23/03/05 06:49:00.58 DsWe2FCI.net
天動説は地は動かず天は大地の周りを運動していると〈見える〉という意味では真理です
それを太陽系にまで拡張したら誤謬です
認識は基準を設定しますが、それらはある範囲で真理です
認識は相対的です
認識すること自身が様々な難問を出来させます
光速度一定の原理は座標原点はどこにも存在しない、つまり基準などどこにも存在しないことにより自然は無矛盾であることを示します
規定すること自身を否定しています
規定を否定して無矛盾であることを示します
有を無で、ということです
規定は否定なのです

702:132人目の素数さん
23/03/05 06:53:50.53 DsWe2FCI.net
自己言及が鍵だとわたしは理解しています
自然の自己言及
認識の在り方の認識、つまり自己言及
認識器官に結ぶ像の相対化という自己言及
自己言及の在り方を認識論的に追究した三浦つとむ氏は真理は単純だと述べています
自然は単純そのものです
規定もまた

703:132人目の素数さん
23/03/05 06:59:57.83 DsWe2FCI.net
これらの問題がわたしが納得したい問題です
貴方の解答を示してください

704:132人目の素数さん
23/03/05 08:09:59.26 DsWe2FCI.net
いずれにしても真偽は対象が決めるのであり論理ではないとわたしは理解しています
禁酒法にしても社会主義にしても説得力はありましたが社会は混乱したり停滞しました
板倉聖宣氏は論理では納得できるのに自然がノーと回答したら却下すべきだと述べます
わたしはビッグバン仮説は否定されると予想します
観測問題は無矛盾に解決されるでしょう
あなたの論理で予想してください
ここでの議論で決定するわけではありません
貴方は自分が正しいと思うことを追究すればいいだけです
わたしと貴方が真偽を決めるわけでありませんから互に我が道を行けば良いだけです

705:132人目の素数さん
23/03/05 08:38:32.76 DsWe2FCI.net
禁酒法も社会主義も理解が足りなかったとも言えるのかも知れません
現にマルクス主義者は制度を解明してそれで国家は解体できないと結論しました
共産主義は対象の在り方から否定されたとも言えます
その学者はソ連崩壊を予想し、その通りになりました
禁酒法もまた人間とその社会の在り方を理解しなかった
わたしの理解がノーならやはり理解が足りなかったのでしょう
いずれにしても未だ解らないわけですが
貴方もまた自分の論理で理解して、対象である自然の回答を待つべきかと思います
ここで違う違うと言っても、それは真偽の基準にはなりません
それはあくまでも対象が決めるのでありわたしたちではありません

706:132人目の素数さん
23/03/05 08:51:57.27 DsWe2FCI.net
もしかすると学徒もいるのかな
わたしはディレッタントですから気楽なんですが横目で見る立場からは理数系の学問もまだまだなんだなあと思えます
それはある意味貴方たちが革命をもたらすかもしれないという希望ではないかと羨ましく思ったりします

707:132人目の素数さん
23/03/05 08:57:10.79 DsWe2FCI.net
人類もまた滅びます
地球も銀河系もまた
宇宙は滅びませんが
いやわたしは自然、人間を学問を通して理解したいだけです
自分の能力からしたら望外なほどの収穫でした
とりあえず無矛盾に理解したのですから、小さい時からの願いは叶いました
たぶん結果は見届けられないだろうなとは思いますが自己満足して逝くことにします

708:132人目の素数さん
23/03/05 09:03:43.43 DsWe2FCI.net
基本だけは抑えた結論のつもりです
って基本しか抑えられなかったとも言えます
これは現在の学の状況であり、革命があったら別ですが
・・・まあわたし自身は革命のつもりなんですが w
さて妄言はこれまでにして
学徒たちへの刺激になれば幸いです

709:132人目の素数さん
23/03/05 10:18:09.05 jCRd0QqZ.net
>>696
クレタ人による嘘つきのパラドクスは嘘つきのパラドクスとしては未完成
クレタ人による嘘つきのパラドクスは論理的にはパラドクスではない
例 Q1.1+1は2か? Q2.貴方は正直者か?
正直者 A1.Yes. A2.Yes.
嘘吐き A1.No. A2.Yes.
この例題のQ2をNoと答える者が存在する
正体は ¬正直者 と ¬嘘吐きだ。¬は否定記号。論理学的否定とは真偽解答を逆転させる事
¬正直者 A1.No. A2.No.
¬嘘吐き A1.Yes. A2.No.
この様に
¬正直者は普段は嘘吐きに等しい解答だが自己言及返答に成ると正直者に等しい解答をする者
(飽く迄も正直者の自己言及に等しい解答であって正直な自己言及返答ではない)
¬嘘吐きは普段は正直者に等しい解答だが自己言及返答に成ると嘘吐きに等しい解答をする者
(飽く迄も正直者の普段に等しい解答であって正直な普段解答ではない)
この様なイレギュラーが論理学的に存在する
よってクレタ人による嘘つきのパラドクスは
単に 嘘吐き=¬正直者 と勘違いした観念によるパラドクス解釈と成っているに過ぎず
実際は 嘘吐き≠¬正直者 正直者≠¬嘘吐き である
という教訓に過ぎない
3人掛かりで嘘吐きのパラドクスを組んで初めて、論理学的なパラドクスに至る
3人掛かりの嘘吐きのパラドクスについて知れ。

710:132人目の素数さん
23/03/05 11:28:46.91 DsWe2FCI.net
自己をその否定で規定するから逆説になるということ
再三再四述べたから
って理解する気ないでしょう w
自然科学も否定で規定している
そして規定は対象には存在しない
これが何を意味するのかは詳述している
わたしは論理ではなく対象が試金石と理解している
理解する気のない人には無駄だよなあ 
いずれにしても具体的に見解を示したくは無さそうですので
対象との関係でなく、論理の中で遊ぶのは勝手ですからご自由に
わたしは真偽は対象に問うべきだと考えています
わたしは真偽を知りたいだけです

711:132人目の素数さん
23/03/05 11:43:59.65 DsWe2FCI.net
言っている地点が違うんだど
以前は仲裁者がいて納得してもらえたが
数学の論理そのものの相対化なんだけどね
・・・まあいいや
言っても解らないみたいだから諦めるわ

712:132人目の素数さん
23/03/05 13:57:00.43 jCRd0QqZ.net
>>710
やはりお前の矛盾観念の源泉はそれか
お前に感心したとか言ってた奴の正体を知りたい
だからお前のレスは『爆発律』が如し。素人哲学語りに逃げた大長編駄文レスを
何度も何度も書き続ける、正に『爆発律』だ。

713:132人目の素数さん
23/03/05 14:03:32.33 jCRd0QqZ.net
> 言っている地点が違うんだど
『言っている地点』?『論点』って書けや
お前の様に論点をコロコロ変える人間をペテン師と言う
お前が自身の主張『互いに関係しない物は存在しない』を示す事が出来るまで
論点をコロコロ変えたり
範疇をどんどん拡大解釈したり
等と話をゴールポストを自分の主張の都合が合うまで動かし続ける事をペテンと言う

714:132人目の素数さん
23/03/06 05:35:35.30 FvwK1CVk.net
遊びをせんとや生まれけむ 戯れせんとや生まれけん 遊ぶ子どもの声聞けば わが身さへこそ動(ゆる)がるれ

715:132人目の素数さん
23/03/06 05:47:12.88 FvwK1CVk.net
>>713
自身の理解の正否を問う気はないんだなあ
なにをもって正しいとするのかという問題意識が皆無ということ
学べば良いと思っている
なぜ科学革命が起きたのか
秀才はその現在の学の状況を固定化するから失敗する
一生勉強だけで過ごすのかなあ
学の一側面は学の相対化の歴史とも言えるんだが
まさに現代の鴎外だな
相変わらず未解決問題はスルーだし
答えられないのなら無視するだけ

716:132人目の素数さん
23/03/06 05:57:52.44 FvwK1CVk.net
ああ言えばこう言う合戦はなあ
俺は論理は対象から抽象され生まれると理解している
その正否はあくまでも対象が決めるのだと
静止は存在しないが静止で運動を規定する
生死は存在しないが生死で対象を規定する
それが何を意味するのか
考えたことがないのなら
いや提言も無駄だな
学ぶだけならAIの方が w

717:132人目の素数さん
23/03/07 02:01:04.43 xyPT4106.net
爆発律に基づいてるので理解して欲しい事たった1つを語るだけでも無限の要素が見えてしまい語り尽くせず
脳内のネタ切れを迎えないと語りが止まらない
その上、語ってる本人は察してちゃんの長文語り
(尚、察してちゃんにも関わらず相手に分かる気が無いんですねの、丸で末っ子の如き尽くして欲しい根性)
パルメニデスの唱える逆説、『一』と『全』の両面性を消化不全のまま
『科学はまだまだって事です』とほざく不遜発言を繰り出す愚か者
数学ならパルメニデスの逆説が指摘する二面性は、二面の性質を同列にしない事は勿論
それぞれの性質を同じ場面に於ける評価とする事はせず、集合論に基づく仕分けにより、それぞれ区別して解釈できる
パルメニデスの逆説は「『全』である『宇宙』は『一』である」と要約できるが
『宇宙』が『全』であるのは『要素(の数)』であり、『宇宙』が『一』であるのは『全体(の数)』
と、この様に比較基準を明確かつ細別に定める事で、結果の違いを論点の区別を以て仕分けする事ができ
『一』と『全』の区別も
『肯定』と『否定』と『規定』と『未定』と『不定』の区別も
きっちり付ける事ができる
波動は逆に、よくパルメニデスの逆説に不確定性原理や不完全性定理の名前を出して更に混沌を深めるが
確かにパルメニデスの逆説に不確定性原理や不完全性定理を絡めて語ったり関連付けて講じる事は可能だが
そもそもの原義としてはパルメニデスの逆説も不確定性原理も不完全性定理も全て別物
特に不確定性原理に対する波動の解釈は誤解過ぎかつ拡大解釈過ぎで物理学に携わる人等にとって噴飯物だし
不完全性定理に対する波動の解釈にしても誤解過ぎかつ拡大解釈過ぎで数学に携わる人等にとって噴飯物だ
誤った不確定性原理解釈、誤った不完全性定理解釈で、院生や教授に絡む波動。正に公害

718:132人目の素数さん
23/03/07 09:16:05.55 aBVw+e18.net
いやいややってみるものですね
フラットアース説批判のスレでは認識器官の在り方に自然は像を結ぶのだと気が付いた
ここでは自然理解のある視点を獲得できた
というか本質の敷衍なんだけど、やはり原理の徹底というのは凡人には甚だ困難だと思い知らされた
ヘーゲルの精神の現象学とか読んでいると、この若さである原理から展開するというのはやはり凄いと以前痛感させられた
ドイツ人の徹底性もあるのかなと勝手に思ったりしていた
新約聖書学のブルトマンなんかは自己の信仰もぶち壊して学を展開していてなんだろうな、この民族はと驚嘆した
数学のゲーデルはどうなんかなと
ヒルベルトも挫折から再起するし
日本では三浦つとむが共産主義実現のために学を展開するが弟子の滝村隆一は師の学の展開から共産主義というか国家は不滅と結論してソ連崩壊を予想した
彼は後年新しい思想をと苦闘した
最近「進化は万能である」という著書の中で、トップダウンではなくボトムアップなのだと指摘していて、この方向なんかなと思い始めている
それはともかく数は認識の側であり対象である自然には存在しないのだとわたしは理解している
この理解の正否は自然科学が示すでしょう
自然が無矛盾なら〈一〉であり〈多〉ではない、つまりパルメニデスは自然、ピタゴラスは認識の論理なのだとわたしは理解している
上にあったように自然の在り方と認識の関係から理解してその一環として数を理解したい
・・・昨日眠る前に、原理を徹底していないことに気が付かされた
また新たに書き直しだな
何回か書き直しているが原理そのものは同じで、徹底がたりない
まだ出てくるかなあ

719:132人目の素数さん
23/03/08 02:39:30.55 CHgNYPOY.net
論述の体裁を成していない
雑感言述陳列に過ぎない

720:132人目の素数さん
23/03/08 14:35:49.20 Wuykbcjt.net
端的に
観測問題、不確定性原理、ウイルス分類、不完全性定理、ゼノン、クレタ人、カント、ヘーゲルなどは規定するからこその問題
光速度一定の原理はこれらを一元的に解く鍵だということです
対象とそれを理解することが何かを示しているし自己言及ということだと

721:132人目の素数さん
23/03/10 07:04:25.99 SqOYpCm0.net
哲学スレでかなり前に静止は自然には存在しないと書いたらボールを上に投げれば静止するじゃないかという反論があり、地球は運動しているじゃないかと返したら沈黙
理系会議室で人間の生死の分岐点は解らないという反論を受けたが物理として生死は存在しないのだからと返したら理系一同沈黙
・・・まあわたしもやらかしたことがありますが w
いや、言いたいのはわたしたちの学問の現在はまだまだでそこからすべてを裁断理解すると鴎外やラプラスのような過ちを繰り返す可能性があるのではないかということです
わたしは科学の歴史的展開を概観すると一面としてですが、否定関係が差異であることを示してきたと理解します
ガリレオの自然理解に対する地球が丸いなら裏側の人はどうしがみついているのだという反論にそれは後世の人が解決してくれると答えた
歴史はガリレオの正しさを証明します
彼はその時の学の認識を絶対化しなかった

722:132人目の素数さん
23/03/10 07:17:14.74 SqOYpCm0.net
ここまでは枕です
いや、競技場の逆説は最小単位が在るのならその半分があるということを証明しています
これは物理条件が生成可能ならばいくらでも小さい物理状態、わたしの理解で言えば波が渦の状態、像としては粒子として像を結ぶということですが、それが生成するということです
超紐は最小単位ではないし、もともと最小単位は存在しないのだということです
二分の一、アキレスと亀は数に大きさが無ければこのようなことになりますが、ということです
これは有を無、つまり否定で規定するということですが、もともと規定は否定、つまり空間は無、数でできてはいないということです
数学は認識の理論です
飛ぶ矢の逆説は有を無で規定していることの端的な指摘です
点、つまり座標原点は存在しないことは科学は証明しています
運動とは存在すると同時にしないことという定義は否定で規定するから決定不能になるということです
有は無で規定されますから、数学では0に限りなく近いが0ではないとか様々な理解しがたい定義を展開してきました
吉田さんの「ゼロの発見」では数学者の理解に疑義を呈しています
・・・また読んでみますか
対象は否定で規定されます
数一般が存在しないのです

723:132人目の素数さん
23/03/10 07:38:01.51 SqOYpCm0.net
ふと夜中にゼノンと物理、数学の関係に対して新たな展開が閃きました
ひろゆき氏にはお礼言わなきゃな
フラットアース説批判のスレでも収穫がありましたし
やはり様々な問題に触れると前進というか漸進はあるものです
「新哲学入門」の論理の性格の指摘、「ゼノン4つの逆理」、そしてなによりも「弁証法はどういう科学か」の自己言及の認識論的解明がさまざまな問題の本質だということにやっと気が付きました
自己の理解が正しいかどうかはまだまだ先でしょう
たぶんそれまでは生きていない予感があります
いや、ここで今までの理解を書いていたら、また進展がありましたので嬉しくてついつい w
では

724:132人目の素数さん
23/03/10 08:05:50.08 SqOYpCm0.net
そうそうこんなの見つけたので興味があればどうぞ
図書館で借りることができるかな
新人の司書さんがなかなか感じが良くて、というか若い女性が粒ぞろいの図書館なんで、貸し出しの時にタイミングが必要かな
『四季』史上最高のエロジャケ
スレリンク(classical板)
一例です
URLリンク(eclassical.textalk.se)

725:132人目の素数さん
23/03/10 08:17:10.05 SqOYpCm0.net
誤爆です

726:132人目の素数さん
23/03/11 11:32:24.94 qAPFWThY.net
>>721
実に、ああ言えばこういうの典型
相手が学者や学生だから黙ったが昔堅気武闘派の職人だったらお前は凹々にされていた

727:132人目の素数さん
23/03/11 12:12:36.47 jsxlvoOk.net
概論です
光速度一定の原理は絶対座標が存在しないことにより自然の存在形態が運動、つまり無矛盾である、〈一〉とするパルメニデスの自然理解を裏付ける
認識器官の在り方から一である自然は多として像を結ぶ
その抽象が数であり次元
数は認識の側であり自然には存在しない
静止、生死、無が存在しないように
数には大きさが無い
規定は否定
だから不確定性原理、不完全性定理
決定不能、測定の近似値、観測問題などなどは認識の在り方であり、見たものがそのままの自然ではないことを科学は示してきた
自然は無矛盾であり自然科学は自己言及
自己を他として規定する
数とは何かはこのことを前提に理解すべきだとわたしは主張する
ひろゆき氏の理解は違うとわたしは結論する

728:132人目の素数さん
23/03/11 12:13:49.08 jsxlvoOk.net
>>726
ぼこぼこにしてください

729:132人目の素数さん
23/03/11 12:15:25.04 jsxlvoOk.net
わたしは自然、学問を通して人間を理解したい
生とは何かという

730:132人目の素数さん
23/03/11 18:07:36.60 qAPFWThY.net
>>729
テメェ、よぅ?果たして本当にハイゼンベルグの不確定性原理とゲーデルの不完全性定理を理解して>>720を書いたのか?
分かりませんでは済まされない主義主張しといて
まさか今さら分かりませんとか言わねぇよなぁ?
ゲーデルの不完全性定理の他にゲーデルの完全性定理なんてのも有るの、ちゃんと熟知して言ってんのか?

731:132人目の素数さん
23/03/11 20:39:10.38 jsxlvoOk.net
互に礼儀だけは守りましょう
いくら匿名でも
わたしは学問の現在はまだまだの段階ではないかと理解しています
不確定性原理は確定しているからこそ原理です
不完全性定理もまた決定不能と決定しているからこその定理です
不完全性定理をもってなにもかも解らないのだと早稲田数学科の院生は語ります
それでは定理ではないのでは?というのは当然の疑問です
失礼ながら理数系の方々はこれらが何を語るのか、未だに理解していないのではという疑問があるわけです

732:132人目の素数さん
23/03/11 21:03:39.56 jsxlvoOk.net
スレの主題は数とは何かです
ゼノンは師であるパルメニデスの自然観、つまり〈一〉という理解を擁護するために逆説でピタゴラス学派に応じます
競技場の逆説では最小単位があるとすればその半分があること、つまり最小単位の存在は否定されます
二分の一、アキレスと亀では大きさのない数が自然に存在したら目的地に到達することはなく、アキレスは亀を追い抜けません
飛ぶ矢の逆説では点で自然ができているのならば飛ぶ矢は静止していると論証します
自然は数ではできていない、〈一〉なのだとゼノンは師の自然観を擁護したのです
光速度一定の原理は座標原〈点〉は存在しないと示します
パルメニデスの自然観はこの原理で裏付けられたのです

733:132人目の素数さん
23/03/11 21:19:39.36 jsxlvoOk.net
科学者も光速度一定の原理が何を意味するのかは未だに理解していません
〈ここ〉からは存在しません
このことは〈ここ〉までも存在しないこととなります
〈ここ〉、始点は終点でもあります
自然には終始は存在しないのです
ビッグバン仮説はなによりも対象が宇宙非宇宙という否定関係を想定しますしエネルギー保存則、光速度一定の原理を否定します
証拠とされる観測はいずれも違う理解が可能であり決定的な証拠とは言えません
この仮説は天動説の末裔なのです
地動説は太陽が中心だとすれば間違いです
しかしこのことは論理の性格を物語っています
天動説もまたそう見えるというのならば真理です
それが自然の構造だと理解すると間違いということです
光速度一定の原理は座標原点は理解に必要だが存在しないのだということを示します
数は存在しないのです
規定は否定なのです、有は無で規定されます
クレタ人の逆説で解るように否定で規定するからこその決定不能です
クレタ人が正直者でも、自己を他として規定します
様々な例で規定は否定だと例証してきたつもりです
自然は無矛盾ですが、有を無で、つまり否定で規定します
規定することが決定不能となるわけです
ですから光速度一定の原理は規定は自然には存在しないということとなります
不完全性定理、不確定性原理の出来原因は対象をその否定で規定するからだとわたしは理解しています
数は存在しません、無なのです
有を無で、ですから決定不能は必然なのだとわたしは主張します
数は存在しません

734:132人目の素数さん
23/03/11 21:27:15.12 jsxlvoOk.net
あっ、クレタ人の逆説を書いていたら面白い視点が見つかりました
しばし休憩を

735:132人目の素数さん
23/03/12 04:22:49.57 zd4tqlAZ.net
クレタ人の逆説に初めて触れた時には吃驚しました
いや書いていて、あっと思うことに気が付きましたので
また新たな展開が出来そうなので
先日もゼノンの逆説の一側面が解明できて
というか秀才というか鋭い人ならすぐ指摘している可能性があるなと自分のボンクラさに嘆きました
ドイツ人というか欧米人なんでしょうか、その徹底性に驚くことがあります
新約聖書学は自己の文化の成立根拠まで否定するような結果を引受けるのですから、信者でもないわたしは驚きました
机の前で呆然としたことを昨日のように覚えています
マルクス主義も展開していた学者が成立しないことを暗示していて、この主義に引導を渡します
これは日本人ですが
いや、物理学は人間の根幹に触れるんだろうなと
そしてそれはかなりヤバそうな予感がします

736:132人目の素数さん
23/03/12 04:38:50.01 zd4tqlAZ.net
クレタ人の逆説は対象をその否定で規定すると決定不能になることを示します
科学は自然認識は自己言及ですが、自己言及は自己を他として、ということです
つまり規定の根本が否定なのです
クレタ人が正直者で、クレタ人は正直者だとクレタ人が言ったと規定したら決定不能にはなりません
しかし自身を他として言及するのですから、自身はクレタ人であってクレタ人ではないという決定不能となります
アガサ・クリスティはミス・マーブルに変われば変わるほどますます変わらない、変わらなければ変わらないほどますます変わると語らせます
自然は運動変化していることが変わりません
自然自体はずっと存在しますが、運動変化し続けます
これも決定不能ということです
ヘーゲルの運動規定は存在すると同時にしないことという不思議な定義です
これは規定の性格が否定だからです
運動を静止で規定するからです
規定は否定だから決定不能となるわけです
決定不能と決定するわけです
これは対象が無矛盾だからです
だからこその定理です
この定理をもって何もかもわからないのだと理解する人たちがいます
いや、わからないということは解るのです

737:132人目の素数さん
23/03/12 04:49:59.70 zd4tqlAZ.net
光速度一定の原理は座標原点、つまり運動の否定である静止は存在しないと示します
規定は対象の否定ですから、対象には存在しません
論理は対象には存在しないのです
次元は認識器官という物理状態に一である自然は多として像を結びますが、その抽象なのです
濃淡として在る自然の淡を認識器官は無として像を結びます
見たものはそのままの自然ではないのです
これが科学が貫くものです
地動説はその指摘の嚆矢です
諸生物、そして金属、空間でさえ否定関係ではなく差異です
それを否定で規定します
静止は運動の一形態ですし、生死もまた物理状態の変化という視点からは同一ですし、無もまた有の一形態なのです
そして規定こそが様々な問題の出来の原因であり、自然は無矛盾である子は規定を否定して示されます

738:132人目の素数さん
23/03/12 05:04:16.81 zd4tqlAZ.net
以前クレタ人が正直者ならこの逆説は成立しないことに気が付き、このことは何を意味するのか悩みました
論理は静的だと板倉氏は指摘します
科学史が本職の方であり、天動説は視覚の範囲では真理だと指摘されていて目が覚める思いを体験させてくれた方です
いや、相対的真理というか基準の相対性ということです
光速度一定の原理は基準を設定し規定しますが、その基準は存在しないことを示します
そしてその基準、規定自体を否定して無矛盾であるということが示されます
規定こそが宿痾とも言えるわけです
クレタ人が正直者でも、自己を他として、つまり規定は否定ということは普遍なのです
クレタ人は嘘つきといった場合とクレタ人は正直だという場合は違いますが規定は否定ということでは同じです
前者は直接に、後者は本質として決定不能ということです

739:132人目の素数さん
23/03/12 05:15:01.83 zd4tqlAZ.net
わたしは学の現在はまだまだ、つまりこれからも発展すると理解しています
失礼を承知で言えば科学者も数学者も認識の在り方を少しでも探求すれば新たな発展の道は拓かれるのだとわたしは主張します
科学者は光速度一定の原理が自然と認識の在り方の自己言及だとはまだ気が付いていません
数学者は数の本質にまだ気が付いていません
科学者は哲学を軽視するが、その実粗末な哲学に囚われているとある学者は語ります
現在にまでこの言葉は届いているのだということです
何事も初歩が一番難しいとその学者は語ります
実に単純なことなのだとわたしは主張します
自然は無矛盾であり、それを否定で規定している
規定自身の性格を理解すべきなのだということです

740:132人目の素数さん
23/03/12 05:19:49.38 zd4tqlAZ.net
わたしは自然を理解したかった
自然はただあるだけなのです
それだけなのです
理由も何もなくただ在るだけなのです

741:132人目の素数さん
23/03/12 05:27:59.41 zd4tqlAZ.net
自然は運動変化するエネルギーの濃淡であり、その親和反発でまた違う濃淡を生成していく過程としてあるだけです
このことは変わらないのです
この濃淡を規定するものとして数は観念の中に存在します
自己を他者として、そして認識器官の在り方に多として像を結ぶ
その像の抽象が数ということです
数一般が存在しないのです
・・・あっ、また厄介なことに気が付きました
少しまた本を読みますか

742:132人目の素数さん
23/03/12 05:39:00.00 zd4tqlAZ.net
自分の探求してきたことが次世代に役立てればと思っているだけです
個人的には自然とは、学問とは゜、人間とはということに手がかかったと思っています
わたしの知の目的は少しだけですが実現しつつあります
十代後半に途方にくれましたが、日本の学の現在はそれを可能にしたのだと感謝しています
三浦、板倉、山川諸氏の案内が無ければ廃人になっていたことでしょう
そういや「言語にとって美とはなにか」を著した吉本隆明氏に廃人の歌というような詩がありました
関係ありませんが、永瀬清子氏に短章集というのがあり読みましたが詩ではこの人のだけ夢中になりました
わたしの当時の感覚に合っていたのでしょう
それはともかく学の展開に携わっている方々の一助にでもなればと願っています
日本人に学の革命を実現してほしいのです

743:132人目の素数さん
23/03/12 05:48:14.60 zd4tqlAZ.net
我ながら纏めるのが下手と感嘆します
でも同じことを何回も展開するとその中でまた違うことが発見できるんです
96年に気が付いてからですから27年経ちます
深化はしているつもりですが、わたしが他人なら付き合いきれないと思えます w

744:132人目の素数さん
23/03/12 16:22:22.18 zd4tqlAZ.net
自然科学の歴史は否定関係と規定していたことが差異だと示してきた
そして規定すること自身が決定不能をもたらすのだと
フォイエルバッハが自己言及の在り方に気が付く
遡るとクレタ人、カント、ヘーゲルということになる
スピノザは規定は否定とした
数学もまた不完全性定理が示す
科学は観測問題、不確定性原理
ウイルスの分類問題
地動説も進化論もその系譜
光速度一定の原理は単純明快だが、ここからは以上のものが導ける
ゼノン・・・
そして認識器官という物理状態に結ぶ像としての静止、生死、粒子、無・・・
実に単純な話

745:132人目の素数さん
23/03/12 16:23:36.90 zd4tqlAZ.net
あと一つが・・・
うーんと、やはり見切り発車かなあ

746:132人目の素数さん
23/03/12 22:55:35.71 SBmMCnnp.net
>>731
やはり、ハイゼンベルグの不確定性原理に対してもゲーデルの不完全性定理に対しても
全き自己解釈で理解した気に成ってやがったな
結局、ゲーデルの完全性定理に関しては調べる事もスルー
潜在意識で調べる事を拒んでスルー

747:132人目の素数さん
23/03/13 02:01:50.95 mTTKW/4W.net
クレタ人の逆説に囚われたコイツは『正直者のパラドクス』を知らない

748:132人目の素数さん
23/03/13 06:17:47.95 8cUrPVJN.net
自己言及は試金石
現実は幻である
では貴方も幻
現実は脳の作り出した幻
では脳も幻
シミュレーション仮説もまた自己言及すれば
すべての欲を捨てましょう
わたしたちは諸欲の結果の産物で、またそれでいろいろ維持をしている
自然は次元でできている
そうならば無限の静止した自然と、貴方も自然の一部だから無限に存在することになります

749:132人目の素数さん
23/03/13 06:25:54.18 8cUrPVJN.net
いずれにしてもその否定で規定することで決定不能となる
自己を他として規定する
クレタ人が自己自身を嘘つきと正直に規定、つまり否定で自己を規定するから
クレタ人が正直者だとする
この場合もまた自己を他者として規定している
一貫して規定は否定

750:132人目の素数さん
23/03/13 06:31:13.77 8cUrPVJN.net
わたしは規定は否定だと主張している
生物学者は生物は生きつつかつ死につつあると語る
生物は同一であることはないから
というか物理そのものが同一であることは無い
それを同一で規定するから決定不能に
生物非生物と否定で規定する
これは物理状態の差異を否定で規定するから
宇宙もまた同一であることは無い
そして変化することは変化しない
非同一であることは同一
そうなんですよ、ミス・マーブル、貴女は正しい

751:132人目の素数さん
23/03/13 06:42:11.26 8cUrPVJN.net
自然理解は自然の一部である人間の自己認識
自己を他者として、つまり規定は否定
規定の本質は否定と理解している
そうではない場合を示せば崩壊します
数には大きさが無い
無いものは無い
対象の抽象ですから存在しません
自然という有を無で規定する
運動は静止で
物理状態の差異を否定で規定する
科学は否定で規定している対象が差異であることを明らかにしていく過程でもある
焦点はここだけです
対象である自然を認識器官という物理状態に結ぶ像で規定していく
見たものがそのままの自然ではないことを示したのが地動説
しかしある基準で対象を認識規定していく
基準は必要だが存在しないことを科学は示す
有を無、つまり規定は否定です

752:132人目の素数さん
23/03/13 06:52:02.61 8cUrPVJN.net
わたしは数は自然の抽象であり存在しないと主張する
自然という有を数という自然の抽象、つまり認識器官に結ぶ像の抽象、つまり存在しない、無で規定しているのだと
運動は静止で規定している
ひろゆき氏は実数は存在すると主張する
いや、数そのものが存在しないとわたしは主張します
なんかいでも言います
自然が無矛盾であるということは規定そのものを否定していることで示されます
座標原点は自然には存在しませんがそれで対象を規定する
〈ここ〉からが無ければ〈ここ〉までも自然には存在しません
有限の存在を科学は否定します
無限は有限で規定しますが存在しません
カントの二律背反はそういうことで
ヘーゲルの運動規定もまた
規定は否定です
対象の否定ですから対象には存在しない
科学はそれを示したわけです
それによって自然は無矛盾だと示しました
自己規定は自己を他として、つまり本質はやはり否定なのです

753:132人目の素数さん
23/03/13 07:00:35.80 8cUrPVJN.net
何回目かな、同じことを書くのは w
不確定性原理にしても本質は規定は否定ということに基づきます
有を無で規定しますから、測定は近似値ということが必至です
規定は否定、運動を静止で規定します
今、此処と指示すると、今、此処は飛び去ります
今、此処と運動を静止で規定するからです
関係ないですが石田姉妹の妹が太宰治の「女生徒」朗読で、今、此処はと同様なことを呟く場面があり声質が合っていて録音消したことを後悔しています
いずれにしても論理は対象の抽出です
真偽は対象で決まります
対象がノーと言うのなら抽出した論理ないしは適用範囲の逸脱でしょう
規定は否定というのは論理の自己言及かな?
あっ、面白いかも

754:132人目の素数さん
23/03/13 07:08:45.16 8cUrPVJN.net
クレタ人の逆説は規定は否定であり決定不能とならざるを得ないことを示します
自身もまた他、つまり否定で規定する
自然の一部である人間が自然を他として規定する
本質として否定であり、無矛盾は規定が対象に存在しないことで示される
ウイルス分類の困難さは分類するからです
つまり分類が分類困難の原因です
自然が無矛盾であることは規定は自然には存在しないことでしめされます
規定こそが観測問題、不完全性定理、不確定性原理、クレタ人、ゼノン、カント、ヘーゲルの問題の本質ということです
それは規定するからこそなのだと主張します

755:132人目の素数さん
23/03/13 07:15:44.86 8cUrPVJN.net
認識論の分野では第一人者であろう三浦つとむ氏は真理は単純だと主張します
わたしもまたいろいろ読み、問題を考えていくうえで実感しました
言語は対象ー認識ー表現というのが本質と氏は述べます
科学認識もまたそうです
氏は観念的な自己分裂、つまり自己を他として認識するのがわたしという表現だと理解しています
理数系の方々は少し認識論を嗜んだほうが良いのではないでしょうか
何回でも言います
数そのものが存在しないのです
ひろゆき氏の主張は過ちです

756:132人目の素数さん
23/03/13 07:26:38.88 8cUrPVJN.net
ルナールはその著作で、蛇長すぎる、と書きました
わたしのも長すぎるというかなんというか w
ではまた

757:132人目の素数さん
23/03/13 12:42:54.02 8cUrPVJN.net
規定の在り方は認識器官に結ぶ像に規定されます
認識器官は自然をそのまま反映しません
静止、生死、無は認識器官には存在しますが自然には存在しません
その在り方を相対化して、それが差異であることを科学は光速度一定の原理で示しました
この原理は同時に静止で運動を規定することを示します
運動を前提に否定関係は導けませんが否定関係で規定、理解します
つまり規定、理解が不確定性原理、不完全性定理、観測問題のもたらすと主張します
次元は認識器官に結ぶ像の抽象です
ここからもここまでも存在しません
それは淡を像として結ばない認識器官に結ぶ像です
自然は無矛盾で理解可能だということです
否定関係で規定しますが否定関係は存在しません
わたしの主張は単純です
認識の在り方を示すことで科学は自然が無矛盾であることを示したということです

758:132人目の素数さん
23/03/13 12:50:43.98 8cUrPVJN.net
自然科学は本質として自己言及です
自己を他で、ということです
有を無でということです
実に単純です
極めて単純、極めた豊穣
タゴールの言葉です
そういや月は見ていない時に月は存在するのか
つまり見ていなければ存在しないのではと語った人だったのかな
でも家に帰ったら空き巣が入っていた、後ろから襲われて死んだとか当事者の認識には関係ありません
シーラカンスは、大腸菌は発見されるまで存在しなかったのかとか
これらは認識には関係なく存在しているということです
ん?眠っていて自己を認識していなかったら自己は存在しないのかということになるのかな

759:132人目の素数さん
23/03/13 12:55:12.16 8cUrPVJN.net
粒子は波の一形態であり、認識器官に結ぶ像の在り方が粒子だとわたしは理解します
有を無で規定するから不確定性原理なのだと
0に限りなく近いが0ではない
つまり有を無で規定するからこそです
規定は否定です
科学は一貫してそれを示してきたのだとわたしは理解しています

760:132人目の素数さん
23/03/13 14:06:15.30 8cUrPVJN.net
ゼノンの逆説が躓きの石でした
で右往左往
「ゼロの発見」の指摘でさらに混迷に 
重力の説明に???
板倉さんはこれでは解らないとあり一安心
三浦さんの観念的な自己分裂、吉本隆明氏の言語観の指摘に納得
ただヘーゲル、カントは皆目
マルクス主義は滝村さんの指摘で成立しないということに納得
いろいろと迷い数十年 
板倉氏が論理の性格を指摘、山川氏がゼノンの逆説を解説
しめたと思いましたが、まだまだいろいろあり袋小路に
板倉氏の指摘はスピノザの規定は否定とは何かが解る道に案内してくれました
ちなみに、氏は江戸時代の農民もまたコメを食っていたことを史料で証明しました
他にも鴎外がその時の科学を固定して脚気を理解したため東大医学部は陸軍の脚気の死者が戦死者より多いという事態をもたらしますが、板倉氏は彼らの科学に対する理解の欠陥を示しています
また禁煙法、社会主義は社会実験で否定されたと指摘しました
他にも仮説実験授業という現在でも影響がある方式を開発しました
いずれにしても学問の現在は未だしではないかと
失礼ながら数学も数とは何かを確立していないのではないかと
逆に言えばこれからの学徒は学問の革命に関わることができるという機会があるわけです
わたしの投稿はエールのつもりなんですが、ヤジに聞こえたら残念です

761:132人目の素数さん
23/03/13 14:16:25.81 8cUrPVJN.net
茂木さんと竹内さんは現在の学問を固定して新たな学説を否定することに反対しています
気象学者の方も固定して批判する方々に疑問を呈しています
現在の学問の在り方もまた相対化すべきだと主張されています
一ディレッタントとして言わせてもらえれば学もまた混迷状況なのではないでしょう
わたしは認識論を学んでもいいのではないかと
ある数学者はブレークスルーは最前線ではなく、いたって立ち戻ることからということがけっこうあると指摘しています
地動説、進化論、集合論などなどが古代ギリシャにその芽生えがあるとか
わたしには認識の在り方の理解がブレークスルーになるような気がしてなりません
藪にらみの横目で眺めていますが、役に立てればと思います
いずれにしてもど素人のたわごとを粉砕するくらいでないと学の泰斗には成れない気がします

762:132人目の素数さん
23/03/13 20:20:33.59 8cUrPVJN.net
いずれにしても正否は自然が回答するとわたしは信じています
思想、倫理は社会、人間が答えを出します
科学というか学問もまた対象が答えるのだということです
自然科学は自然が答えをだすのだと
自然は一、無矛盾だとわたしは科学史を概観してそう判断します
さてと自然と認識の関係理解の概観を書いているのですが、また再構成しなきゃな
何回目かわかりませんが、いずれにしてもここでのはけっこう参考になりました
ありがとうございました

763:132人目の素数さん
23/03/13 22:22:37.99 bVXyuGkX.net
もし本にしてくれたら便所の紙ぐらいには役立てられるのにな
電子掲示板に書かれちゃそれすらできやしねぇ

764:132人目の素数さん
23/03/14 19:51:06.70 HTMpbKOS.net
本にしようなんて w
いや、学徒の刺激になればというだけです
意外といろいろ解っていないということが解ればという思いで書いていますから
バックボーンというか基礎はある程度確立したいんです
正統から外れていて辺境を彷徨っているディレッタントが現在の学を概観したものの感想です
これからわたしは知の革命があると思っています
わたしのは一試案です
学は過程としてありますが、過程としてあること自体は固定しています
変化すること自体は変化しない
その変化しないことを考えて確定したい
変われば変わるほど変わらない
変わらなければ変わらないほどますます変わる
ということです
規定は否定だから決定不能となるのだとわたしは理解します゜

765:132人目の素数さん
23/03/14 20:05:46.34 HTMpbKOS.net
日本の学徒に知の革命を成し遂げてもらいたいだけです
足を引っ張るつもりはありませんので、それは判ってもらいたい
新たな視点を提供しているつもりです
自然は一であり、有を無で規定すると光速度一定の原は示しているのだとわたしは主張します
認識器官に結ぶ像はそのままの自然ではないのだと
理論はある基準を設定して展開されますが、有効範囲を外れると無効になります
運動が否定されることはあり得ません
「ビッグバンはなかった」のラーナーは方程式の性格を指摘していますが同意します
物理学の自然は撓んだ自然だと朝永博士は指摘します
その通りなのだと思います

766:132人目の素数さん
23/03/14 20:13:06.65 HTMpbKOS.net
誰にでも目が触れるところです
不特定多数の方々に知られるわけですから、反発も多いことは承知しています
少しでも刺激になれば、そして参考になればという思いです
それだけです

767:132人目の素数さん
23/03/15 08:14:58.73 1KOrHwW9.net
竹宮恵子さんの「地球へ・・・」のラストのコマで茫漠たる宇宙空間が描かれています
ふと人間のいない自然を考えました
わたしたちの場合はすべて認識器官という物理条件に結ぶ像です
生物の数だけ自然像は違うわけですが、対象は同じです
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発でまた新たな濃淡を生成する過程だとわたしは理解しています
その生成過程で自己言及可能な意識を持つ物理状態、つまり生物が生成される
自然が視覚という物理状態に自然の一形態である光を媒介に像を結びます
それは視覚の諸形態でそれぞれの像を結びますが、それはどれが正しいということではありません
こうしたら、こうなった、ああしたら、こうなったというだけです
この意味で像も物理の一形態と言えます

・・・ああ、やはり親和反発の過程で生成されると一貫しています

768:132人目の素数さん
23/03/15 08:45:21.11 1KOrHwW9.net
生物、植物とかいろいろ規定しますが、これも物理状態としては差異です
親和反発の過程でまた新たな濃淡が生成される
摂取、つまり食べて肉体の一部になったり排泄されたり、または生物の状態を急激に変化させたりします
物理状態は同一であることはありません
それを同一と規定しますし、他とは差異ではありますが否定で規定します
意識とは自然が自己言及可能な物理状態だとわたしは理解します
究極としてなぜそのような物理状態となるのかは解りません
自然に何故はありません
ミュンヒハウゼントリレンマは、なぜなぜは無限に遡及されることを示します
何故は人間の意識の問題です
自然はただ在るだけです

自然を自己言及、つまり意識もまた物理の親和反発で自然の像を結ぶ・・・
「地球へ・・・」の最後のコマを認識論として考えたら、親和反発で像を結のですから、一貫しています

いやフラットアース説批判を考えていましたら、本質を考えなければならないと気が付きました
地球は丸いとする人たちは地動説的ではありますが、やはり座標原点があると理解しているという意味ではフラットアース説の変種です

769:132人目の素数さん
23/03/15 08:57:17.45 1KOrHwW9.net
正直コペルニクス、ガリレオ、ニュートン、アインシュタインみたいな変革者が日本の学徒から出現することをディレッタントのわたしは期待しています
リドレー、タレブ、ラーナーも諸分野の理解では卓越しているとは思えますが、欧米文化の枠からは今一歩抜け出せないでいるのではと思っています
数学の学徒の方々、数とは何かという基本は判っていません
ある学者は、何事も初歩が一番難しいと述べています
ある学者は真理はとても単純なのだと
武道家は奥義は睫みたいなもので近すぎて解らないと
険しい山道を辿っていったら元の人里に、というのがありました
自然も、自然認識も睫みたいにその本質は近過ぎて、ということではないかと

770:132人目の素数さん
23/03/15 09:02:51.93 1KOrHwW9.net
理数系の学徒の方々、睫、つまり認識の在り方を少し探求してみませんか?

771:132人目の素数さん
23/03/15 09:11:11.43 1KOrHwW9.net
『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』(われわれはどこからきたのか われわれはなにものか われわれはどこへいくのか, 仏: D'ou venons-nous ? Que sommes-nous ? Ou allons-nous ?)は、フランスの画家ポール・ゴーギャンが1897年から1898年にかけて描いた絵画。ゴーギャンの作品のうち、最も有名な絵画の1つである。絵画の左上にはフランス語で「D'ou Venons Nous Que Sommes Nous Ou Allons Nous」と題名が書かれ、右上には「P. Gauguin 1897」と署名および年が書かれている[
わたしにとって学問とは何よりも人間とは、ということをわかりたい手段です
人により違うのでしょうが、自然、つまり客観を媒介にして、ということです
それが可能な理解で、わたしの理解が過ちであることが証明されたら、今すぐ放擲します

772:132人目の素数さん
23/03/15 18:51:59.37 5haPPr5j.net
傲慢だな
人に諭す前に自分を勉強し直しな

773:132人目の素数さん
23/03/15 19:57:24.23 1KOrHwW9.net
諭す?
そんなつもりはありません
わたしが学び考える目的を表明しただけです

774:132人目の素数さん
23/03/15 20:12:27.01 1KOrHwW9.net
まずは宇宙がどういうものか解りたかった
数学と物理を学べばと思い勉強しました
学ぶうちにわからないことだらけに
解るかもしれない諸学を彷徨い、さらにチンプンカンプンに
解ったのは、学の現在は科学でさえ、ということでした
何人かの科学者たちは科学革命が必要な段階だと主張している
わたしはあなた方学徒に道を切り拓いて欲しい
わたしのはあくまでも一試論に過ぎません
あなた方もこれを踏み台にするのもよし、まったく違う視点を探しても良いわけです
あなた方は学を新たに展開する可能性があるとわたしは主張します
出来れば日本の学徒にと思う一ディレッタントです
・・・まあわたしには先鞭をつけたいという願望があったりしますが w

775:132人目の素数さん
23/03/15 20:14:32.27 1KOrHwW9.net
わたしは数とは何かは自然理解を媒介にして理解すべきだと主張します

776:132人目の素数さん
23/03/15 22:53:12.59 1KOrHwW9.net
音楽だとやはり感覚が変わります
古楽器で半音低い演奏が紹介された時違和感がありました
絶対音感の持主らしき指揮者が気持ち悪いと言っていました
そんなのは無いわたしなんかはだんだん慣れてきましたがそれでも違和感はあったりしました
モーツァルトも滅びる可能性を指摘した学者がいて反発したファンもいました
学も傾向があり、ハイゼンベルクや武谷三男氏らは批判していました
最近の邦楽、クラシックとかもちと付いていけなかったりします
ブルーハーツは三十年前なんですね
衝撃的だったですが、以降はありませんでした
わだつみの歌がありましたか
新しい傾向のはここまでくらいかな
アイドル系統はベビメタくらい
いや、もう感覚が違うみたいです
学もまたその時代の傾向というのがあるのでしょう
クラシックも美音、美声なんですが、なんか物足りない
でも美音傾向は半世紀前から徐々にという感じかな
音楽は判りませんが、好きです
ああ、学問もそうかも w

777:132人目の素数さん
23/03/15 22:58:38.97 1KOrHwW9.net
学徒の皆さん、学の傾向を創造したくはありませんか?
本質ー構造ー現象だったかな
武谷さんの三段階理論は若いときは皆目でした
再読しようかな
学問の本質、学の本質・・・
学問はまだまだであり、そこに希望もあるのでしょう
いえ、わたしだけの思いかもしれませんが、こういうのもアリかと

778:132人目の素数さん
23/03/16 08:15:06.72 pM0FCh4i.net
今じゃスマリヤンの論理学の邦訳が普通に書店に売ってるレベルなのに、それすら手に取らず数学板で不完全性定理に言及しようとするとか知性が終わってるわ

779:132人目の素数さん
23/03/16 09:03:17.28 9rO1Dcm/.net
夜中に思いついたことを忘れてしまった・・・
うーんと、けっこう深化して、しめたと思ったんですが
いずれにしても未だに数とは何かが解らないということは確かではないでしょうか
基礎を築く機会が貴方たちにはあるのではと

780:132人目の素数さん
23/03/16 09:09:44.97 9rO1Dcm/.net
夜中に思いついたことを忘れてしまった・・・
うーんと、けっこう深化して、しめたと思ったんですが
いずれにしても未だに数とは何かが解らないということは確かではないでしょうか
基礎を築く機会が貴方たちにはあるのではと

781:132人目の素数さん
23/03/16 09:11:10.10 9rO1Dcm/.net
ですから、わたしは規定の本質から考えたいのです
自然ー認識ー理解になるのでしょうか
数とは何かを自然理解を媒介に考えたいのです
規定は否定、この理解を否定すれば撤退します
数は認識器官に結ぶ像の抽象です
一である自然は多としてその像を結ぶ
淡は像を結ばない
次元は存在しません
四次元が存在したら無限の静止した自然、そして自己が在ることになります
対象を無で規定します
無は文字通り無で、数は存在しません

782:132人目の素数さん
23/03/16 09:20:15.02 9rO1Dcm/.net
すべては幻という認識の場合は対象が幻という規定です
存在、あるものが無いということです
認識主体もまたすべての中に入りますから、また幻でありこの認識もまた
全ては脳の作り出した幻説もまた同じです
シミュレーション説もまた自己言及でノーです
自己言及、つまり自己を他として規定する、このことが認識には貫いているのだということです
嘘つきの場合はもちろん、クレタ人が正直者である場合も自己を正直だと規定しても自己を他として規定します
数とは一である自然・・・、いやもういいですね
ひろゆき氏は間違っています

783:132人目の素数さん
23/03/16 09:25:56.35 9rO1Dcm/.net
すべては幻という認識の場合は対象が幻という規定です
存在、あるものが無いということです
認識主体もまたすべての中に入りますから、また幻でありこの認識もまた
全ては脳の作り出した幻説もまた同じです
シミュレーション説もまた自己言及でノーです
自己言及、つまり自己を他として規定する、このことが認識には貫いているのだということです
嘘つきの場合はもちろん、クレタ人が正直者である場合も自己を正直だと規定しても自己を他として規定します
数とは一である自然・・・、いやもういいですね
ひろゆき氏は間違っています

784:132人目の素数さん
23/03/16 09:27:34.51 9rO1Dcm/.net
FM、今週はマタイ受難曲を今日まで放送
久しぶりですが、やはり名曲です
マタイ福音書というイカガワシイ動機から書かれた書物から大傑作が生まれる
人は偽物ほど熱狂する、ですか
実に面白いですが、また悲劇で喜劇でもあるのでしょうか
いや学問もさまざまな視点があるわけです
科学でさえの段階です
新たな展開があるのだとわたしは予想します

785:132人目の素数さん
23/03/16 09:29:30.35 9rO1Dcm/.net
夜中に少し考えていたんで、なんか・・・
少し休むことにします

786:132人目の素数さん
23/03/16 10:07:11.68 9rO1Dcm/.net
そうそう、気になることが一つ
運動は静止で規定されます
ボールを投げ上げたら頂点で静止するが地球自体は運動している
つまり静止は運動の一形態
生死は存在しないが生死で規定する
エネルギー保存則です
屁理屈ではありません
生死、静止は認識には存在しますが自然には存在しません
それは認識の在り方の問題だとわたしは理解します
絶対座標は存在しませんが座標で規定します
それが何を語るのかは考えられてよいのではないのでしょうか
有は無で規定される、つまり規定は否定だとするスピノザは正しいのだと思えます
そして規定を否定することにより無矛盾であることとなります
ヘーゲルの否定の否定の法則もまた根源なのだということになります
自然は無矛盾で理解可能だということです
一は多として認識器官に像を結びます
数は自然には存在しません
多は一、大地は運動しますが認識器官にはその否定、静止として像を結ぶのと同じことです
静止が存在しないように数もまた

787:132人目の素数さん
23/03/16 10:40:19.22 9rO1Dcm/.net
WBCで日本のファンの行動が賞賛されていました
野球観戦の雰囲気らが良くなるかもと期待します
自分が信じていたことを否定されるのは愉快なことではありません
統一教会の東大生の信者に聖典の生物の理解が過ちであることを指摘したら、それまで頑なだったのが少ししたら笑い出して棄教したということを読んだ記憶があります
これはかなり稀な例でしょう
いや、こういうのもギスギスしがちです
わたしもまた規定は否定という理解が過ちだと解れば、笑って〈〉棄教します
わたしにはまだそれが解らないわけです

788:132人目の素数さん
23/03/16 10:47:57.01 9rO1Dcm/.net
わたしは自然とは、学問とは、人間とはが解りたいだけです
それ以外ではありません
科学と数学はやはり学問の最前線であり最先端です
ただやはり学もまた発展途上、つまり可能性に満ちているのだと思えます
もう一つの願いは日本人学徒が道を拓くことです
それ以外ではありませんので、癇に障る表現があったならひらにご容赦を

789:132人目の素数さん
23/03/16 12:01:31.59 xd80U2V5.net
ほら諭してるじゃねぇか結局
若い世代に託さんとグダグタ駄弁を連ねてた事を自らゲロっといて諭してる気は、ねぇ?はぁ?
レスを纏められない『言葉のサラダ』一歩手前の長文
一と全の区別が付かない『統合失調症』一歩手前の判断力
やはり波動観念依存症のお前の思考は『オッカムの剃刀』が足りない
論理判断能力を問う以前の支障が波動観念依存症には在る
『AKIRA』の登場人物『鉄雄』の無際限肥大化する身体異常が如し
思考が無際限肥大化している状態が今の波動観念依存症


次ページ
最新レス表示
スレッドの検索
類似スレ一覧
話題のニュース
おまかせリスト
▼オプションを表示
暇つぶし2ch

402日前に更新/378 KB
担当:undef