ひろゆき「実数は実在するが虚数は実在しない。わからない人はバカ」 at MATH
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[前50を表示]
600:132人目の素数さん
23/02/16 20:45:57.92 jFwGYhCM.net
わたしも抽象
数も抽象
いずれも認識器官に結んだ像の抽象
媒介があるが自然という対象からの抽象

601:132人目の素数さん
23/02/16 21:02:19.65 jFwGYhCM.net
有を無で規定するから0に限りなく近いが0ではないという不思議な定義になる
不確定性原理も運動を静止で、有を無で規定するから
で、測定値は近似値になるしかない
無は文字通り無い
金属、生物は差異であり否定関係では無い
どんな概念も出発点は自然
それも直接の自然では無い
認識器官という物理状態、物理条件に結んだ像
静止、生死、無は認識の在り方に結んだ像
次元もまた
幽霊もまた認識器官の在り方に起因する
規定は否定
そして規定は自然には存在しないことを科学は示す
わたしという他と否定関係は規定が否定だから
そしてわたしという規定は物理条件に結んだ像の抽象

602:132人目の素数さん
23/02/16 21:04:59.27 jFwGYhCM.net
自然は無矛盾
人間は自然の一部であり自然認識は自己言及
自己を他として認識する
有を無で 運動を静止で、などなど

603:132人目の素数さん
23/02/16 21:07:44.59 jFwGYhCM.net
自然は直接に理解できない
それは認識器官という物理条件に結ぶ像
次元があるはずも無し
そのままの自然を認識できるはずも無し
認識の在り方を理解する必要がある

604:132人目の素数さん
23/02/16 21:21:54.97 jFwGYhCM.net
こう考えれば観測問題とかいろいろ解るということ
ビックバンとか最小単位説とかは怪しい
自然を無矛盾に理解したいだけ
数は認識器官に結んだ像の抽象
ゼノンの逆説、二律背反、ヘーゲルの運動規定とかいろいろ解決するからさ
次元は、終始は無い
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発でまた新たな濃淡を生成していく過程
進化論も裏付けられるし
一元で理解したいだけ
規定するからいろいろ問題が出来する
ウイルスが分類困難なのは分類するから
規定理解することを認識する必要があるということ
絶対座標は存在しないということの意味
それで規定するがそれは存在しない
などなど
クレタ人の逆説は否定で規定するから
クレタ人が正直で、クレタ人は正直だとクレタ人が言う
この場合自己を他者として規定する
規定は否定ということは一貫する
根本として規定は否定
嘘つきの場合と正直の場合は少しまた違う問題があるけどとりあえず

605:132人目の素数さん
23/02/16 21:23:54.22 jFwGYhCM.net
自然は無矛盾
規定は否定
俺はこれでいろいろ構築するよ

606:132人目の素数さん
23/02/16 21:28:25.47 jFwGYhCM.net
互いに我が道をということで w
超ひもは崩壊する
ビッグバン仮説も崩壊する
虚数はある方が面白い理解をしていたな
かなり前だからなあ
いずれにしても根源は自然だよ

607:132人目の素数さん
23/02/16 22:15:01.82 jFwGYhCM.net
そうそう誤解する向きもあるかも知れないので
超紐からできているのではなく超紐に成るということ
物理条件が可能ならそれよりも小さくなるということです
ビッグバンも単なる遷移でしかない
宇宙非宇宙なんて否定関係が対象には存在しないということ

608:132人目の素数さん
23/02/16 22:20:51.36 jFwGYhCM.net
若い時に夢中で読んだ本を最近読んだらやはり不満がでてきた
学問もまた過程としてあるんだなあと痛感した
基本を認識したい
相対の中の絶対をということです
そういや相対が絶対とか言ってたな
ただやはり認識と対象の関係がイマイチかなと思えた

609:132人目の素数さん
23/02/16 22:23:49.84 jFwGYhCM.net
読み直している最中でしぱらく離れます
ゴールは見えたと思ったら何回も遠ざかる w

610:132人目の素数さん
23/02/19 17:26:06.19 0tbVl1la.net
>>601
> 0に限りなく近いが0ではないという不思議な定義
いつまで高校生向け子供騙し定義に拘り続けてるんだテメェは?
院生や教授や授業の貴重な時間を無駄にしてる癖に
何で大学数学科での極限の定義や他の方法での極限の定義を知らない振りしてんだテメェは?
院生や教授や授業を邪魔した時間分を当人等に返せ、金で

611:132人目の素数さん
23/02/23 05:35:19.80 m/HATSDx.net
仕切り直しです
わたしは無矛盾な自然からいろいろ考えたいわけです
学問、そして人間を
科学は無矛盾な自然理解にはすでに到達していると考えています
失礼なものいいですが、科学者が気づいていないだけで
自然科学は自己言及です
人間自身が自然の゜一部ですから
自己を他として認識する、このことが基本であり前提です
スピノザという哲学者は規定は否定としました
その前に結論らしきものを
新約聖書学というのが゜あります
これはプロテスタントがカトリックに対して優位性を示そうとして展開しました
で結論は教団初期は明らかにカトリックでイエスはキリストではなく思想として対立する可能性を示してしまいます
因みにバッハの代表作と言われるマタイ受難曲が基づいたマタイ福音書の成立過程はかなりイカガワシイ動機だったりします
でも思想としては高く評価されていると新約聖書学者は語ります
リヒターの映像版で視聴していましたら、バッハが苦手な母がだんだんのめり込んでついに三時間聴き入って聴き終えて、良い曲だねと言って台所に行ったのを今でも覚えています
ゲーテは偽物ほど人は熱狂すると言ったとかいう言葉を思い出しました
マルクス主義も三浦つとむという方が共産主義の実現を信じて学問を展開します
彼は言語学が主でしたが、社会科学も展開しました
その中で制度について論じましたが、お弟子さんの政治学者がその結論から共産主義は実現できないとソ連崩壊を予測します
七十年代のことです
数学も不完全性定理がありますし
けっきょくこれらは学者の意図に反した結論に至ります
新約聖書学を読んだキリスト教徒はそのことに触れると顔を真っ赤にしているのが判るような投稿をしますし、マルクス主義者も貸す耳をもちません
あれだけ社会実験を繰り返して成功例が無いのだから諦めろとある科学史家は語りますが信仰の域なんでしょう
先年ある物理学者が人間はどこから来てどこに行くのかを知りたいとテレビで語りました
いや、なんか不吉な予感がしてならなかったことを覚えています
でもまあ宗教者も結論を受け入れたことですし
宗教は人間が死ぬ限り不滅だろうと政治学者は語ります
共産主義幻想も不滅のような気がしています

612:132人目の素数さん
23/02/23 05:50:54.65 m/HATSDx.net
これまた失礼なものいいになりますが
ある院卒の方が不完全性定理でもってなにもかも解らなくなったと投稿していました
理系の方が不確定性原理について、わたしが不確定ということは確定しているではないかと反論したら納得できる回答はありませんでした
不完全性定理にしても、定理ということですから解らないこと自身は解るわけです
でないと定理にはなりませんから
詭弁を弄しているのではありません
クレタ人の逆説は、クレタ人が嘘つきならばクレタ人は正直者だと言わなければなりませんが、クレタ人は嘘つきだと正直にいうわけです
つまり嘘つきの否定、正直に言うので決定不能になるわけです
実は正直者でも否定で規定していることには変り在りません
自己自身を他者として、つまり否定で規定しているのですから
わたしという表現は自己を他者、つまり規定は否定なのです
まだ思案しているさなかですが、認識内部と外部の違いがあるかなとも思えますが納得できる結論は出ていません

613:132人目の素数さん
23/02/23 06:02:07.30 m/HATSDx.net
科学の展開を概観すると否定で規定してきたことが実は差異であったということになるとわたしは理解します
地動説は地球は諸天体の一部で特別ではないことを示します
進化論も人間は諸生物の一部で特別では無いことをしめします
わたしもまた植物や金属が物理であるように物理存在です
で真空は何も無いかというとディラックの海があります
わたしは光速度一定の原理が絶対座標、つまり静止、始まりを意味する座標原点を否定しているから自然の存在形態は運動であり無矛盾だと示したと理解します
無は文字通り無だと
運動は存在しない座標原点、静止、つまり否定で規定します
始まりがなければ終わりもありません
自然は無限ですが有限、つまり否定で規定します
二律背反は否定で規定することです

614:132人目の素数さん
23/02/23 06:22:41.36 m/HATSDx.net
わたしの論は自然は無矛盾ですが差異としてあります
認識器官は物理でありその態様に従い自然はその像を結びます
認識器官の在り方により自然はその像が違うわけです
光しか受容しない認識器官もありますし視覚や聴覚の範囲は生物によりまた個体差もあります
それはあくまでもその認識器官の在り方に結んだ像でありどれが間違いとかいう問題ではありません
認識器官は自然をそのまま捉えません
静止、生死、無は自然には存在しませんが認識器官にに存在します
自然認識は自然の一部である生物、つまり自己言及、自己を他者として規定することです
つまり規定とは否定なのです
数には大きさがありません
それをゼノンは示しました
数もまた規定なのです
ひろゆき氏は実数は存在すると語りますが、自然は一であり多で規定するのですが数そのものが存在しません
認識器官には一である自然がその在り方から多として像を結びその抽象が数です
まだいろいろ整理していないので混乱があります
ただやはり数は認識の理論、本質として規定、つまり否定なのだとわたしは理解します
ウイルスは物理状態の差異を生物非生物という否定関係で規定するから分類困難になります
これは分類すること自身が引き起こす問題です
規定は否定です
わたしは規定することが様々な難問を出来させるのだと主張します
絶対座標の存在を否定して無矛盾となる
つまり規定は否定であり、規定は認識の側にあり自然には存在しないことにより自然は無矛盾であることを証明するのだと
自然を認識することがどういうことかを理系の方々は理解する必要があるとわたしは理解します
・・・まあ対象の否定ですから対象に在るわけもなしですが

615:132人目の素数さん
23/02/23 06:28:37.43 m/HATSDx.net
0に限りなく近いが0ではないというのは有を無で規定するからだと私は理解します
座標原点、つまり静止で運動を規定します
対象である自然には静止は無い
有を無で規定しますからこの規定になるわけです
わたしはこれを決定不能と理解します

616:132人目の素数さん
23/02/23 06:40:54.13 m/HATSDx.net
科学革命が必要なのだと語る科学者は散見します
ホーキング博士は最終に方程式にあと僅かとかたりましたが観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語りました
ライプニッツは重力方程式に敬意を表しましたがその概念は魔術的と受け入れませんでした
現代科学の傾向について半世紀前から否定的な大科学者がいたりします
時間も重力もまだ理解されていません
いや学問はまだまだ発展途上なのだとわたしは考えています
そこに絶望も希望もあるのかもしれません
ただコペルニクス、ニュートンなどになれる可能性が理系の方にはあるわけで
数一般の理解もまた自然観の確立から導かれると素人は愚考するわけです

617:132人目の素数さん
23/02/23 14:03:51.06 m/HATSDx.net
いずれにしてもわたしは納得したいだけです
自然とは、人間とは、学問とはを
それ以外ではありません
癇に障る記述があったらご容赦ください
そういえばリドレー「進化は万能である」で学問、社会の展開は進化論同様にトップダウンではなくボトムアップだと論じていました
なかなか刺激的で面白い指摘です

618:132人目の素数さん
23/02/23 14:18:47.59 iAvQv02i.net
ひろゆき配信で承認欲求ないとか、金も使わないとか言ってるのに
毎回長時間配信する理由がしりたい

619:132人目の素数さん
23/02/23 15:43:44.01 Vn79LGP2.net
ときどき、ひろゆきみたいなこと言う人に出くわすけど
そういう人に R[X]/(X^2+1)の話をすればCが実在すること理解してくれるわ

620:132人目の素数さん
23/02/23 18:47:48.97 OmTNB5rh.net
それを話してわかるレベルの人なら、
ひろゆきのようなことは言わないよ。

621:132人目の素数さん
23/02/23 19:57:28.30 m/HATSDx.net
〈ここ〉からは存在しない
つまり〈ここ〉までも
数、次元、粒子とかは存在しない
それで理解するがそれは存在しない
静止、生死、無は存在しない
規定は否定
観測問題、不確定性原理などの理解が可能ということ

622:132人目の素数さん
23/02/23 20:00:17.56 m/HATSDx.net
数一般そのものが存在しない
現代科学の基本的未解決問題が理解可能ということ

623:132人目の素数さん
23/02/23 20:56:43.70 m/HATSDx.net
ゼノンの逆説は師であるパルメニデスの自然観の擁護
パルメニデスは自然は〈一〉であり〈多〉とするピタゴラス学派と対立した
ゼノンは競技場の逆説で時空に最小単位が在ればその半分が在ることを証明する
つまり自然は数で出来ていないということ
ピタゴラス学派は数には大きさが無いとした
ならば目的地には到達できずアキレスは亀を追い抜けないことを証明する
自然が点で出来ているのなら運動は不可能だと飛ぶ矢の逆説で示す
つまり数で自然は出来ていないということ
それは絶対座標の存在を否定した科学が裏付ける
しかし数で規定、理解することは否定していない
数は実在しないのだというのがこの逆説の示すところ
科学はパルメニデスの自然観を支持する

624:132人目の素数さん
23/02/23 20:59:37.34 m/HATSDx.net
自然認識は自己言及
自己を他として、つまり規定は否定
数は存在しない
有を無、つまり否定で規定している
自然は無矛盾で理解可能だということ

625:132人目の素数さん
23/02/23 21:09:44.12 m/HATSDx.net
数の存在は自然科学が否定している
自然は多ではない、一です
運動を静止で、生死は物理状態の遷移であり物理としては生滅は無い
有を無で規定する
〈ここ〉からが存在しないことは〈ここ〉までも存在しないということ
対象は無矛盾でなければならない
自然は無矛盾で理解可能だが、規定は否定
二律背反、ヘーゲルの運動規定、ゼノンの逆説などなど
不確定性原理、不完全性定理は否定で規定するから
観測問題は粒子は波の一形態
科学は認識の在り方を相対化して無矛盾な自然観を獲得した
絶対を相対で、つまり規定は否定

626:132人目の素数さん
23/02/24 08:11:32.44 14pZzsaU.net
吉田さんの「零の発見」を読むと数学者のある概念についての理解に疑問を呈している
科学者でも時間や重力の存在に疑問を呈していたりする
天動説が典型で酸素を発見した科学者はそれが燃素説を否定していることに気が付かなかった
ガリレオは地球が丸いなら裏側の人はどうしがみついているのだという批判に対してそれは後世の人が解決してくれると言った
科学の展開は差異はあれど否定関係は存在しないことを示してきた
わたしは自然が無矛盾であることを示してきたのが科学であるのだと考えている
何を言いたいのかというと学者の発見したこととその理解は別だということです
わたし自身は自然科学との関係で数がどういうものかを理解したい
それは自然認識との関係で、つまり認識の在り方から理解されるべきだということです
自然科学は認識自身の自然存在を否定している
静止、生死、無は自然認識に必要ですが存在はしません
規定は否定です

627:132人目の素数さん
23/02/24 08:24:27.15 14pZzsaU.net
学問に触れてきたのは自然、人間が解りたかったからです
数は認識の側、つまり存在しないのだという理解です
静止、生死は認識には存在しますが自然には存在しない
見たものがそのままの自然では無いことを地動説は示しました
それは科学の展開を貫いているのだとわたしは理解します
ビッグバン仮説は背景放射は違う理解が可能だという指摘がありスムート博士は否定できないとコメントしました
他の証拠も他の理解が可能だということです
何よりも対象が宇宙非宇宙と否定関係を想定します
つまり対象は矛盾するという理解です
エネルギー保存則も否定しますし光速度一定の原理が否定する絶対座標の存在が想定されています
オルバースのパラドックスにはガリレオのエピソードが参考になります
いずれにしても数が存在するというのは科学の否定ではないかと
それで規定しますが、それは認識の媒介であり存在しないのだということです
数には大きさが無いのです

628:132人目の素数さん
23/02/24 08:42:26.93 14pZzsaU.net
学問に関してはディレッタントです
新約聖書学に驚倒してマルクスの方法論で共産主義は否定され数学は自身の無矛盾性は証明できないことにも似た悲劇を感じます
科学は規定することが宿痾だと告げたのだという結論ではないかと
だとしたらこれ以上の悲喜劇はないわけで
自由とは必然性の洞察とはヘーゲルの言葉ですが、 諦念もまた感じたりします
・・・まあ個人的な結論、自己満足です 

629:132人目の素数さん
23/02/24 09:46:51.98 14pZzsaU.net
去年今年貫く棒の如きもの
虚子だったんですね、失念していました
これも否定で規定していますが否定関係では無いことが指摘されているとも解釈可能かと w

630:132人目の素数さん
23/02/24 09:51:27.62 14pZzsaU.net
結論は自然は運動するエネルギーの濃淡がまた新たな濃淡を生成していく過程だと理解しています
認識器官の在り方から淡は認識できず多として自然は像を結ぶ
一を多、つまり否定で規定する
自然をという自己を他、否定で規定する
本質として決定不能であることが決定しているのだという理解です

631:132人目の素数さん
23/02/25 05:33:22.85 v+lLeSx8.net
三行で
科学は否定関係で規定してきたのが差異であることを示す歴史
一を多で規定、つまり規定は否定
多は認識器官に結ぶ一、つまり自然の像でありその抽象が数
結論 数は存在しない

632:132人目の素数さん
23/02/25 05:45:52.15 v+lLeSx8.net
変れば変わるほどますます変わらない
変らなければ変わらないほどますます変わる
両方真理だ
    アガサ・クリスティー ミス・マープルの言葉
変ることは変わらない
多は生成変化するが一であることは生成も変化もしない
自然は運動変化するエネルギーの濃淡の親和反発でまた新たな濃淡を生成する過程として在る
多は認識に結ぶ自然の像
それは生滅し一である自然は生滅しない
それは認識器官の在り方に結ぶ像
理数系は認識の在り方を考えるべき段階ではないかと

633:132人目の素数さん
23/02/25 06:03:06.11 v+lLeSx8.net
ディレッタントとしてはここまでが限界のような気がします
ゼノンの逆説に出遭い勉強に挫折しました
以来理数系学問が皆目頭に入ってこなくなったからです
半世紀ちかくそれをどう理解したら良いのか彷徨いました
とりあえずは結論が出て満足しています
ヘーゲルもマルクスもきちんと読みたかった
周辺の著作は正直理解しているとは言い難い
精神の現象学とかも序文は熟読、本論は一回だけ
マルクスは反デューリング論の自然科学の章に衝撃を受けました
ちなみに資本論を分析し方法論をそこから産み出した物理学者は当時世界的物理学者たちが否定的だった中間子理論を支持しました
彼は産湯とともに赤ん坊を流すなと警告しました
まあ人は自分の能力でしか理解できませんし
群盲象を、ですか
現在わたしの信頼している学者知識人は共産主義には否定的です
社会もまた進化論的だと指摘するのは「進化は万能である」で指摘されています
共産主義はトップダウンで全知全能でないと、つまり無理なのだと否定しています
個人的にはこの自然、学問、人間理解の結論に納得しています
・・・まああまりぞっとしなくはないですが
あっ、資本論は始めのほうで挫折しました
一回でも読んでみたいのですが

634:132人目の素数さん
23/02/25 06:08:00.38 v+lLeSx8.net
わたしはビッグバン仮説は崩壊すると予想しています
最小単位は存在せず超紐に成るというもの
物理条件が生成可能ならさらに小さい粒子、つまり渦となるという理解です
~に成るということです

635:132人目の素数さん
23/02/25 06:18:33.89 v+lLeSx8.net
現在取りまとめている最中ですがこれが難しい
今のところは一つ問題が残っているのですが見切り発車します
四半世紀前にヒントを得てこれで解決と思ったら次々と問題が
規定は否定ということを理解したのはつい数年前ですし
認識器官に結ぶ像の問題に気付いたのは半年くらい前ですか
二十年以上前にわたしに付き合ってくれたある理系会議室の方々には迷惑掛けました
より進展したわたしの理解を読んでいただきたいのですが、閉鎖して皆さんバラバラに
どこかで判るように発表したいのですが、仕方ありません
年齢もあり色んな意味で限界を感じています
とりあえず言いたいことは言えたかな
読んでくれた人もいると思います
その方々にお礼申し上げます

636:132人目の素数さん
23/02/25 06:31:25.19 BybWLvYS.net
>>631
つまり、ひろゆき氏の発言
「実数は実在するが虚数は実在しない…」は、そもそも数が存在しないので根本的に間違っている
「実数も虚数も存在(実在)しない」が正しい
と、貴方はいいたいのですか?

637:132人目の素数さん
23/02/25 12:31:50.55 v+lLeSx8.net
>>636
そうです

638:132人目の素数さん
23/02/25 12:33:13.76 v+lLeSx8.net
それが自然科学の結論だとわたしは理解しています

639:132人目の素数さん
23/02/25 12:37:54.15 v+lLeSx8.net
自然は無矛盾だと自然科学は証明したのだと理解しています
否定関係は存在しません
無は文字通り無だということです
以前の投稿を読んでいただければと思います
・・・まあくどいことは承知していますので御寛恕を

640:132人目の素数さん
23/02/25 12:43:10.71 v+lLeSx8.net
光速度一定の原理が否定されれば持論を撤回します
静止は存在しないのだということです
これだけが根拠だったりするので此処を殲滅してくれれば良いわけです
本当にこれだけなんです

641:132人目の素数さん
23/02/25 13:34:45.03 v+lLeSx8.net
もちろん一試論です
自然が無矛盾ならばということです
そうすれば観測問題も解決できます
無矛盾なら自然科学は自己言及、否定で規定するということです
ならばゼノン、二律背反、ヘーゲルの運動規定、不確定性原理、不完全性定理は規定は否定という観点から理解可能だと考えています

642:132人目の素数さん
23/02/25 15:35:50.83 It/HKVhE.net
>>637
ただそれだけの事なのに
それっぽっちの事なのに
お前は他の雑多を極めた話も絡めて十数万文字も書いて何してんの?スレ潰し?
規定は否定なら
お前の思考も非思考
お前の認識も非認識
お前の感覚も非感覚
デスソース舐めて辛い感覚も辛くない感覚、何故なら規定は否定とお前は言ってしまったから

643:132人目の素数さん
23/02/25 16:29:49.54 v+lLeSx8.net
対象は無矛盾、理解可能だと自然科学は示した
だから自然科学は自己言及です
自己言及についての認識論の構造は述べましたので遡って下さい
有を無で、運動は静止で規定します
・・・ってまた繰り返しにしかならないな
思考非思考とかはいろいろ違うんですが
まあ理解する気が無いようだから放置します

644:132人目の素数さん
23/02/25 17:04:06.84 XsMt4m2v.net
> 規定は否定なら
> お前の思考も非思考
フム、対象の自然は非思考
> お前の認識も非認識
対象の自然は非認識
> お前の感覚も非感覚
対象の自然は非感覚
確かに否定ですな
パチパチパチ

645:132人目の素数さん
23/02/25 19:17:47.64 It/HKVhE.net
>>644
さぁぁぁるぅぅぅいぃぃぃしぃぃぃ
第六天猿デカMaraオナホでシゴキおっPaっpiーyas大魔王他化自在天めぇぇぇ

646:132人目の素数さん
23/02/25 20:52:26.48 v+lLeSx8.net
わたしは自然、学問、就中人間とは何かを知りたいだけです
わたしには数が実在するとは思えないのです
哲学、科学、などなど
とりわけ科学の展開は瞠目すべきです
ただ発見した事象の理解を受け入れても良いのかは躊躇します
科学は自然には否定関係は存在しないということを証明してきたのだと
無は存在しないのだ、終始は存在しないのだということです
粒子は存在しないのだ、生死は存在しないのだと
なによりも対象に自然非自然は存在しないのだと示したのだと
数学者にしても認識論から言えば疑問があるのです
どうしても納得できる理解には思えないのです
決定不能は決定しているのです
不確定だと確定しているのです
無矛盾な対象を否定で規定するからです
いずれにしても単純に納得したいだけです
それがわたしの目的なのです
揶揄とか冷やかしではありませんのでご了承してください

647:132人目の素数さん
23/02/25 21:05:23.93 v+lLeSx8.net
変れば変わるほど変わらない
わたしは変わらないところを確定したいのです
座標原点、終始、存在しないもの、無で対象である有を規定します
これは有効範囲があります
生死はどこからと指示できません
それは無いからです
運動を静止で規定する
物理として存在しないここからここまでと有効範囲は定められます
無限は有限で規定され

648:132人目の素数さん
23/02/25 21:10:57.82 v+lLeSx8.net
去年今年く棒の如きもの
これを探求発見したいだけです
まだ上手く纏まっていませんが、学徒の参考になれば幸いです
正統な学問から大きく外れた者の戯言に過ぎないかもしれませんが役立つことを切に祈ります

649:132人目の素数さん
23/02/25 22:14:37.35 v+lLeSx8.net
小学生低学年のの時に空を見上げてその向こうに壁があるのかな、その壁の向こうには何があるのかなと思い怖くなり家に逃げ帰った思い出があります
ヘーゲルは「哲学入門」だったか序文で対象を過程として捉えるべきだと記しています
学問も過程である意味完成はありません
わたしは単純に勉強していけば辿り着くのだと思っていました
いろいろ読んでいくうちに実は学問は未だ発展途上だということが解りました
かなり前から現代の学問の在り方に疑義が呈されています
現状を変わらないものと捉えると鴎外のように脚気の原因が究明できなくなるわけです
新たな学問の在り方を模索、つまり科学革命が必要な段階だと主張する科学者たちは散見します
わたしもまたそう思います
認識論分野では尊敬する三浦つとむ氏は真理は単純なんだと主張されていました
わたしはその主張に同意します
・・・まあ一ディレッタントの戯言と言われても不満はありません
ただやはりこれからの学徒にわたしの戯言を始末して欲しいのですが
まあ始末するほどのものでは無いと言われればそれまでです w

650:132人目の素数さん
23/02/26 04:50:18.40 a2cXWtJ+.net
天動説は地球を中心に自然は運動していると〈見える〉というのなら真理です
それを自然の構造だと拡張したら偽になるわけです
太陽中心、銀河系中心もそうです
認識は基準、座標原点が必要だがそれは存在しないと科学は示します
認識はそういうことです
クレタ人の逆説はその中で直接否定で規定しています
クレタ人は嘘つきだとクレタ人がその否定、つまり真を述べるから決定不能になります
ではクレタ人が正直者なら、クレタ人は正直者たという命題は決定不能になりません
しかし認識の構造として、クレタ人は自身を他として、自己を他として規定します
つまり自己自身を規定することは根本的に否定ということになります
静止で運動を規定します
ヘーゲルは此処、今と指示すると此処、今は飛び去ると記します
つまり、此処、今という規定が運動の否定なのです
運動という有を静止という無で規定するからです
此処も今も運動を静止で規定している言葉です
運動は存在しますが、存在という規定が静止なのです
運動はその否定である静止で規定されます
科学というか規定自体が否定ということです
認識主体である人間は自然であり、自然科学は自己を他者として規定します
つまり科学は根源として決定不能なのですが、それは自然が無矛盾であり規定は否定だからです
理解可能であるが故に、無矛盾であるが故に決定不能なのだとわたしは理解しています
自然には規定は存在しません
規定は対象の否定ですから
決定不能だということは決定しているのです

651:132人目の素数さん
23/02/26 04:57:24.75 a2cXWtJ+.net
数が自然に存在するという主張は自然は多であるというピタゴラス学派の末裔です
わたしは基準、ここからここまでは存在しないという科学が示すことは数が存在しないということだと理解します
パルメニデスの主張の裏付けであるのだと
多であるというのは、認識の理論だということです
多で規定するが、規定は否定ですから存在しません
ひろゆき氏の理解は根本的に過ちだとわたしは考えます

652:132人目の素数さん
23/02/26 05:10:32.85 a2cXWtJ+.net
タゴールという詩人は極めて単純極めて豊穣と歌います
スーパーのエスカレーターから二階と一階の商品を眺めていたらこれは全て同一である自然の差異としての物理状態であり、空間、自身も含めすべてがそうなのだという理解に目眩を覚えました
自然に存在理由はありません
自然はただ在るだけです
あっ、解決していないことを思い出しました
つごうが悪いのでここまで w

653:132人目の素数さん
23/02/26 05:14:25.08 a2cXWtJ+.net
未解決問題を考えていますとある少女漫画の最後のコマを思い出したりします
いずれにしてもそれを解決したいのが今の生きがいだったりします
時間が無い気がしますのでいろいろ余裕がありませんがやり遂げたいです
では

654:132人目の素数さん
23/02/26 08:20:29.76 a2cXWtJ+.net
自己言及は自己を他者として認識規定することです
自然認識はそういうことです
静止で運動を規定する、無で有を規定する
そしてこの認識の在り方と対象の関係で決定不能になる
一を多で規定する
認識器官は淡を認識できず多として自然像を結びます
その抽象が数であり次元です
四次元が存在したら無限の静止している自然と自身が存在することになります
四次元は有を無で規定、つまり直接には捉えられず量を媒介にするしか理解できないから必要になります
次元もまた存在しないのです
現在、現に在るものしか存在しません
そしてそれは無で規定されます
存在という規定もまた静止です

655:132人目の素数さん
23/02/26 08:21:19.18 a2cXWtJ+.net
無限は有限で認識する
不完全性定理では有限を無限で、ということだと解説本にありました
無限は直接扱えません
いずれにしても規定は否定です

656:132人目の素数さん
23/02/26 08:46:34.09 a2cXWtJ+.net
ラジオ音楽の泉がウクライナ紛争で潰れましたか
故皆川達夫さんの軽やかな口調が快かったです
バッハ コーヒーカンタータ解説は女性の語り口が面白くて笑えました
二回放送したと記憶しています
学問も音楽も現実の前では副次的な存在ですがわたしなどには欠かせません
科学も含めてボトムアップだという指摘があり目から鱗というか生物も社会もボトムアップでありトップダウンではないとありました
人間は産まれた時はタブララサという理解は前世紀の遺物の様です
やはり特性があるのだということのようです
日陰でありながら法則性を認識することで人間は自由を獲得するということに学問は貢献します
それはともかく日曜日、安息日っていうのかな
イエスが畑の麦の粒を取り食べると労働だと言って咎められると人間の為に安息日がありその逆ではないという話があります
教条的なことに対する批判です
これは社会の決まり事ですね
まあ秩序を乱さなければということもありますし決まり事自身が社会に害を及ぼしたら改正するというこでしょう
禁酒法や社会主義は社会に混乱、停滞をもたらしてアウト
この場合は社会が基準ですか
いや認識問題にはいろいろあります
これは観念内の話かな
いろいろ錯綜してしまうなあ
整理しなきゃ
いずれにしても失礼な言い方かも知れませんが理数系でさえまだまだの段階なのではないかと一趣味人は思ったりします
ソ連崩壊を予想した政治学者は科学の足元に及ばない経済学にも政治学は及ばないと嘆きました
でも学問に携わる人たちはそこに希望も失望もあるのかなと外野には思えます
時として野次、時として応援したいです
いろいろ理解して生を終えたいのです
悟りたいのかな www

657:132人目の素数さん
23/02/26 08:57:04.01 a2cXWtJ+.net
万物は流転する
食物は態様を変えて行く
周りの全てがそうです
自然はそのようなものとしてある
そして流転すること自身は流転しません
変化すること自身は変化しない
このこと自身は認識に属することです
規定するからこその決定不能です

658:132人目の素数さん
23/02/26 09:34:00.79 a2cXWtJ+.net
すいませんね
今纏めているんですが上手く行かなくて小休止しています
グダグダ書きすぎていることは承知しています
半年近く思案しかねていて、愚痴のはけ口になっている
申し訳ない
いや参考になればという思いもあるので免罪してください w
三浦つとむ 弁証法はどういう科学か
板倉聖宣   新哲学入門
山川偉也   ゼノン4つの逆理
直接の出発はこれらからです
三浦さんは自己言及の認識論的構造
板倉さんは論理とは
山川さんはゼノンの逆説がどういうものか
それぞれ参考にしました

659:132人目の素数さん
23/02/26 09:38:39.10 a2cXWtJ+.net
個人的には日本からコペルニクス、ニュートン、アインシュタインの出現を期待する者です
エールになれば良いのですが
いずれにしても真偽を判断してもらい片付けていただきたいのです
真なら欣喜雀躍
偽なら当り前ですが消えるだけです

660:132人目の素数さん
23/02/26 10:33:43.10 a2cXWtJ+.net
>>656
タブララサで思い出しました
幼女はお人形に、男の子は自動車とかに行くとありました
猿もそうだとありました
ならばやはりフェミにもある程度枠があるようです
差別ではない区別は必要だということではないかと

661:132人目の素数さん
23/02/26 11:23:26.57 a2cXWtJ+.net
一つの課題として教養とか頭が良いとかは何なのかということがあります
現在の学校制度の優等生が社会や歴史としての観点なら絶対ではありませんし
わたしの年代だと教養主義がまだ蔓延っていました
音楽評論で教養主義丸出しの評論家がいて反面教師として学びました
夏目漱石の「わたしの個人主義」では明治の知識人たちに、それは西洋の人たちが良いからと言っているから良いと言っているだけではないかと主体性の無さを批判していたりします
その批判は残念ながら現在にも届いているのではないでしょうか
ある思想家は日本の文化は海辺の砂の城のようなもので、海の向こうから波が押し寄せると洗い流されまた新たな城を築いているのが実情ではないかと書いていました
知人でFランも落ちた人は商売では上手いし人の扱い方も賢かったりする
どこで咲くかという話ではないでしょうか
ある程度は現行教育制度で学ぶ必要はあるわけですが
板倉氏は仮説実験授業を提唱し、その系譜は未だ連綿としてあります
いろいろ欠陥はあるのでしょうがわたしには魅力的に映りました
それはともかく人間はいろいろな面でまだまだであるのだと理解しています
たぶん科学は最先端なのでしょうが、その科学も基礎は未だに確立していません
そのことだけは認識する必要はあるのではないかと
・・・バッハはイカガワシイマタイ福音書に基づき大傑作をものします
学問はある基準設定で展開しますが、それを超えると偽になるとわたしは理解します
その枠の範囲でやれば良いということでしょう
関係ありませんが大数学者が俺にも音楽くらい出来ると作曲し指揮したら死ぬほど退屈したというのを読んだことがあります
真偽は判りませんが有りうるかな
医者よ汝自身を治せ 反省します
そういやフィルポッツにそんな推理小説がありました
この作家なかなか面白いです
お薦め
あっ、ルクレティウスは良いですよ
パルメニデスで補完する必要はありますが西洋の学者、知識人に多大な影響を与えました
ボッティチェリのヴィーナスの誕生だったかな、ルクレティウスの思想の移し替えだという指摘があり驚きました

662:132人目の素数さん
23/02/26 11:31:58.26 a2cXWtJ+.net
わたしとしては一試論を提案しているだけです
誤謬でもなんでも粉砕する価値があるのなら良いと思っています
パガニーニというバイオリニストは自身の技巧に酔っているところがありますが、見事な曲芸という印象で楽しいです
わたしもパルメニデスの自然理解に酔っているだけかも知れません
誰かが俎上にあげ見事に料理していただければと思っていますが
そうだパルメニデスにまた挑戦するかな
若いと時に触れたら皆目理解出来ませんでした
読む本一杯あるなあ

663:132人目の素数さん
23/02/26 11:42:11.47 a2cXWtJ+.net
喋り過ぎですな w
でも日本の学徒に理数系の基礎を築いて欲しいという思いがあります
それは信じていただきたい
一趣味人の独り言ですが
纏められるかなという不安もあり、今まで考えてきたことを生でぶつけました
さてとまた挑戦してみますか

664:132人目の素数さん
23/02/26 21:27:12.06 a2cXWtJ+.net
クレタ人の逆説には正直戸惑いました
この納得できる理解は最近です
ある中学生向きの解説は、それは無いと思えたりしました
次元理解は解決したと思ったのですが、もう一枚噛ませる必要がありました
フラットアース論争で思い当たりました
なんかまだまだ出てきそうで怖いんですが、とりあえず
昔吉本隆明氏の「言語にとって美とはなにか」という本の批評でそこそこ著名な評論家が評したのが気になりましたが、けっきょく解りませんでした
どういうことか今でも気になります
芸術は古典ーロマンー印象ー抽象がアウトラインです
言葉は対象認識ですが名詞は認識主体は表現に現れません
感嘆詞は認識主体の感情表現で対象は表現には現れません
形容詞は中間でしょうか、認識主体の感覚表現と対象のバランスが取れています
芸術一般は対象と認識主体のバランスが推移していく
初期は表現に認識主体は表れない
だんだん認識主体が表現に現れてくる
ついには対象は表現には現れなくなる
いやこれも自己が対象ですから自己言及ですね
基本はこうだと思っています
AIは考えることが可能かということにははなはだ懐疑的です
それは人間の認識の置き換えに過ぎないと考えています
いや本質を理解したいだけです
科学認識は自己言及であり、自己を他者として規定するから決定不能になるのだと理解します
それは対象が無矛盾だからこそだということです
でなければ決定不能と決定することはできないのだと考えています

665:132人目の素数さん
23/02/26 21:32:22.97 a2cXWtJ+.net
認識は自己言及ですね
いやいや、また深化できたかな
なんかいろいろ面白くなりました
自己言及は鍵ですね
というか基本ですか

666:132人目の素数さん
23/02/26 21:47:14.80 a2cXWtJ+.net
自然理解は自己言及
認識に対する認識、自己言及
対象が無矛盾であることに起因する矛盾
まだいろいろ読まなきゃいけないようです
充電しなきゃいけないのは当たり前ですね

667:132人目の素数さん
23/03/01 19:10:11.78 Av81mbLY.net
趣味人なんですが
日本人に学問というか科学革命成し遂げて欲しいんです
繰り返しますがわたしの自然観は運動するエネルギーの濃淡で親和反発で新たな濃淡が生成していく過程として在るというものです
最小単位も粒子も在りません
力も次元も存在しません
認識はその在り方で自然の像を生成します
数はその抽象です
規定は否定です
自然科学は自己言及です
認識の在り方を言及したのが認識論です
数学は認識の理論であり直接自然には関係しないのだと理解しています
おおまかにですが
意識は自己言及です
自然科学も自己言及です

668:132人目の素数さん
23/03/01 20:43:23.24 ZhhV7TFX.net
おい波動
科学に限らず哲学が矛盾律と対峙し続ける学問だって事は昔の学者も言ってた事だが
そこからお前はお前独自で話を膨らませてるわけだが
お前の膨らませ方はノッケから狂ってるぞ
まだ分からないか?

669:132人目の素数さん
23/03/01 20:50:38.72 cAcPmGQe.net
>>668
科学は違うだろう

670:132人目の素数さん
23/03/02 06:10:04.31 MRfa3vA5.net
科学は否定関係で理解してきたことが差異であることを示してきた歴史だから
地球と諸天体、人間と諸生物
光速度一定の原理が何を示したかというと自然に絶対座標は存在しないことにより静止は存在しない、つまり自然の存在形態は運動ということとになる
自然は無矛盾であり、運動するエネルギーの濃淡が親和反発でまた新たな濃淡を生成する過程ということになる
認識器官という物理条件の在り方から〈一〉である自然は〈多〉として像を結ぶ
その抽象が次元であり数ということになる
自然はいわば海ということになる
数そのものが存在しない
〈ここ〉からというのは存在が否定されているのだから〈ここ〉までも存在しない
〈ここ〉からと〈ここ〉までは同一

671:132人目の素数さん
23/03/02 06:16:21.41 MRfa3vA5.net
人間は自然の一部だから科学は自然の自己言及
〈わたし〉という表現は自己を他者として認識した言葉
運動は静止、物理状態の変化は生滅、有は無でそれぞれ規定される
わたしは貴方でも金属でもないと規定するが物理としては否定関係では無く差異
わたしは運動変化が恒常だから同一であることは無いが同一の〈わたし〉
ウイルスは生物非生物と分類されるが物理として生物非生物は差異であり否定関係では無い
つまり規定は否定ということをこれらは示している

672:132人目の素数さん
23/03/02 06:21:53.43 MRfa3vA5.net
認識器官に結ぶ像としての静止、生死、無は自然には存在しない
認識の在り方を相対化してきたのが科学
座標原点は存在しないが座標原点、つまり静止で運動を規定している
規定は否定だから当然自然には存在しない
規定の存在を否定して自然は無矛盾であることを科学は証明した
規定すること、理解することが様々な矛盾をひき起こす
ウイルスは分類し難いが、それは分類、つまり否定できていするから
規定することが原因ということになる

673:132人目の素数さん
23/03/02 06:31:12.48 MRfa3vA5.net
ディレッタント、素人の結論です
具体的にどこがおかしいのか指摘していただければ
生で、整理されていないから繰り返しとかあり、自分でもチト w
無限宇宙論はオルバースのパラドックスがありますがガリレオの逸話は参考になります
対象に宇宙非宇宙と矛盾したら理解は不能ではないでしょうか
エネルギー保存則、光速度一定の原理が否定されているビッグバン仮説にはちと
これも言及していて、それは遡って下さい
規定は否定という観点から、ゼノン、クレタ人、カント、ヘーゲル、不確定性原理、不完全性定理の一元的理解が可能だと主張します
観測問題もまた
たぶんこの認識の正否はかなり後にならないと判明しないと予測しています
でももの言わぬは、ですから
いや、かなり否定的な意見が出ましたので、概略を提示しました
繰り返していますから、書いている方もちと w

674:132人目の素数さん
23/03/02 06:36:25.83 MRfa3vA5.net
いや一つちとナニな問題がありまして
書いていたりするとふと解決策が浮かんだりすることが多いので、似たようなことを何回か
申し訳ない
ブレークスルーは意外とあまり関心がなかった問題からということも何回かありましたので
むろんこれは素人の一試案ですので、真理とは言いますまい
叩き台としての価値があればとてもうれしいのですが
日本の学徒がこの理解をどう思うのか
とりあえず生のままで提示しました
完成形では無いのは迷惑ですよね
それは承知していますので御寛恕のほどを
ではまた

675:132人目の素数さん
23/03/02 10:54:47.09 ZDwyXk8f.net
>>599>>688のレスは此れの事を書いたんだよ
_________________________________________
>>576: 132人目の素数さん [sage] 2023/02/10(金) 22:33:02.22 ID:9uGym0CW
自然をそのままで認識できない
数は認識を媒介にした自然の抽象
無関係であるはずがない
自然と無関係なんてそんなのは無いよ
幽霊とかにしても存在はしないが無関係ではない
いろいろ勘違いしていないかな
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
酷い。波動にとっては、充足理由律も、矛盾律も、未知の矛盾律も、発見される事が有り得ない矛盾律も、更には矛盾以前の理非律も、
全て一切合財が関係者だ。波動は般若心経の「空即是色 色即是空」を典型的な誤読している
空即是色・色即是空を典型的な誤読してるが故の「規定は否定・否定は規定」発言
ユダヤキリストイスラム最下層のコキュートス(首から下を永久氷床か永久氷壁か永久氷天に埋める地獄)や
仏教最下層の無間地獄にもユダヤキリストイスラムのコキュートスにも滑り止め出来なかった外道の迷言
無間地獄とコキュートスの苦しみを掛け算しても足らぬ外道界の苦しみ
迷言。正に波動のレスは迷言だ。真も偽も矛盾も全て見境なく関係融合体と見做す観念で今日も迷言を続ける
パルメニデスの言った『一』を過失拡大解釈。
『全て』は『多世界解釈上全世界下全宇宙』で『分類』すれば『1』であり『要素の差異』で『分類』すれば『∞』だが
いつも、波動は『分類』も『見境』もコロコロ論点シフトし
『全てが全てを“同一かつ別物”』なる完全無欠な真っ向矛盾こそ真理と信念し続け
答えが絶対に見つからない、新しい答えも発明する事が原理的に不能な、疑問の日々を重ね、迷言を繰り返し続ける
話の土俵を変えて同じ、と言い張る、波動の悪業は
理論と理論のシャムの双生児を量産する行為と戒めなければならない

676:132人目の素数さん
23/03/02 11:13:58.03 lHNJ1uRR.net
>>675
わ、わからん
誰か翻訳お願い

677:132人目の素数さん
23/03/02 12:36:08.75 MRfa3vA5.net
・・・なんかもうね、としか言いようがない
脱力します

678:132人目の素数さん
23/03/02 15:16:24.53 ZDwyXk8f.net
>>669
インターネットが普及し始めた辺りの時代まで
デカルトやライプニッツの矛盾律の扱いを誤解したり
それらを正しく理解している哲学教授とかも
「科学は“数学や矛盾律の正しさ”を元に発展していった」的な文章で解説してたりしてたんで
  矛盾律・即・真  
と誤解し、波動みたいな無限ループ迷言地獄論説する一般人被害者もマイナー量産された
無論
“数学や矛盾律の正しさ”は舌足らずで『数学や矛盾律の回避または解消により至る理由律の正しさ』
が発言者当人や類似発言各者当人一同の本意で
全発言者とも誰も矛盾律を科学的真理などとは少しも思っていない、夢にも思っていない
波動の脳内思念は『刈り込み不足』で『関係』の土俵を別の土俵も持ち出して『関係する』と信念する糞味噌状態
波動は是非とも糞は糞、味噌は味噌で別分類である事を仕分けられつつ
両者を関係すると言うには話の中の分類の枠組みを広げる改竄つまり話の改竄を必要とする事に気付かなければならない
だが未だにラッセル&ホワイトヘッドの『プリンキアマセマティカ』とは真逆の道を往く波動
正に波動の信念する数学や集合論や論理学は『規定は否定』と唱えシャムの双生児にしてしまう
それどころか規定と否定をもシャムの双生児にしてしまう

679:132人目の素数さん
23/03/02 19:01:53.35 ZDwyXk8f.net
>>676
だろ、「『分からん』事が分かる」だろ?
波動の言ってる事は此の世の理屈にも彼の世の理屈にも引っ掛からない理非でしかないんだよ。何故なら
> 数は認識を媒介にした自然の抽象 > 無関係であるはずがない > 自然と無関係なんてそんなのは無いよ > 幽霊とかにしても存在はしないが無関係ではない
と、万物一切合財相関信念どころじゃない、存在万物および非存在万物一切合財相関信念、なんだから
波動、そんな事を言うなら
お前の全資産はスレ中の人間に関係してるんだから全部よこせ。俺達の全資産は少しもよこしてやらないけどな
こういう理屈が罷り通る。これが地獄道にも引っ掛からなかった外道に堕ちた者の責め苦

680:132人目の素数さん
23/03/02 19:17:15.30 ZDwyXk8f.net
>>677
何を脱力してんだ?関係するんだろ?何でもかんでも関係する
数も非数も糞も味噌も何でも見境なく関係する、それが波動お前の理念
脱力して返す筋合いは無い…たあ、そっか『規定は否定』主義のお前からしたら有るも無いも同じだな
物の分別・事の分別を、その時々によって規定と否定の蝙蝠的なすげ替え詭弁で自ら迷いを濫造する波動の理屈
そう言えば、波動はコテハン『学問』だった時代から
『1は1であり1ではない』とか『定数は定数であり定数ではない揺らぎを有する』とか言ってたな
『人として軸がブレている』思考により『常にブレた論説を繰り返す』のが波動のスタイル
理念と言うか信念、確信が有ろうが無かろうが『信念する』事で
更に波動の軸をブレさせる論説は泥沼化に陥っている
それを仏教上の階層に例えて言えば『地獄道にも引っ掛からない外道に陥った者の思想』って事なんだよ

681:132人目の素数さん
23/03/02 19:53:02.30 MRfa3vA5.net
>>678
( ^ω^)・・・
もうさあ笑うしかない

682:132人目の素数さん
23/03/02 20:01:01.49 MRfa3vA5.net
わたしの予想は粒子は波の一形態
最小単位も次元も無い
力も無い
ビッグバン仮説は否定される
わたしの論理の帰結
なんだかんだで自然が検証する
予想で正否が決まるってこと

683:132人目の素数さん
23/03/02 21:00:57.76 ZDwyXk8f.net
まさかここまで書いてやって、未だに波動の他に>>576の壊れ具合が分からない奴が居るなんて事は無いよな?
>>681
いやいや、お前が導く世界だよ。現在のお前が、未来のお前自身を導いている世界、つまりお前が向かっている世界。
規定は否定、だの、この世に関係しない物は存在しない、だの言って
話の枠組みや土俵をコロコロすげ変え続け
お前は正に「A≠¬AでありA=¬Aでもある」「Aは集合Bと全く別の集合でありながら同じ集合」を主張し続けてるんだよ
論理的比較の話だったのに途中から集合的比較に改竄して「関係する」と言ってみたり
集合的比較にしたってAと全く別の集合Bを集合Aが別は別、って話だったのに「どちらも全体集合Uの中の集合」と
途中から集合比較のクラスを改竄して「どちらも関係する」と言ってみたり、と
何でもかんでも「全ての物事は関係する」と結論する事を大前提とした比較方法の改竄を繰り返し続けている
だから言ってるんだよ
「お前の『規定は否定』の理屈により『お前の金はお前の金でありお前の金ではない』、よってよこせ」という
『地獄道』でも起こり得ない要求が、普通に罷り通る『外道』の世界の物言いだぞ、って
波動の論説は学問ではない
「全ての物や事は関係している」と結論する為の詭弁講義に過ぎない

684:132人目の素数さん
23/03/02 22:11:40.22 MRfa3vA5.net
「お前の『規定は否定』の理屈により『お前の金はお前の金でありお前の金ではない』、よってよこせ」という
『地獄道』でも起こり得ない要求が、普通に罷り通る『外道』の世界の物言いだぞ、って

もうねぇ
話す気が無くなるわ

685:132人目の素数さん
23/03/02 22:17:18.04 MRfa3vA5.net
あっ中島みゆきだ
久しぶりに堪能するか

686:132人目の素数さん
23/03/03 00:52:17.56 SsLrVVQZ.net
波動は物理としてのわたし、金属としての金を規定しているんじゃないのかな
わたしも金属も物理としてなら差異だな
私は金属ではないと否定で規定する
波動は物理の視点から考察している

687:132人目の素数さん
23/03/03 10:07:31.00 Aiu03Tjm.net
> 私は金属ではないと否定で規定する
これ、「私は金属ではないと否定で規定する」は「規定は否定」でも「否定は規定」でもないな
「私は金属ではないと否定」と否定した時の規定or否定

「で規定する」と規定した時の規定or否定
は互いに同列同ランクの規定or否定ではない
『規定により否定する事』≠『規定は否定』
同様に
『否定により規定する事』≠『否定は規定』
しかも、より正確に書けば
『規定により“各要素の肯定と各要素の否定”をする事』
同様に
『“各要素の肯定と各要素の否定”により規定する事』
に成る
そもそも 規定≠肯定 否定の対義語は規定ではない
つまり対義比較として本来の形に直せば肯定的規定と否定的規定
及び規定準拠肯定と規定準拠否定
とに別れる
これが波動の思考の刈り込み不足により細分化未達だった領域
規定の対義語は未規定か規定不在か規定不能かのケースバイケースで何れかに成る
規定の対義語の例がケースバイケースで変わる事なんて有り得ない、もしくは言い分けだ、と断言する人間が存在するが
数学では1÷0なんかが典型例で、未規定か規定不在か規定不能とされる
規定する例も有るには有っても強引にならざるを得ず
1÷0に解を敢えて強引にでも与える系は『体』(『身体』の意味でも『体裁』の意味でも無く
早逝の天才科学者ガロアが創始した群論の中で定義された『体』)の性質が失われる
波動に群論だの群・環・体だのと言っても誤解必至だから解説を省けなくなり余計に長文化する
群・環・体を見た事も聞いた事も無い人間が何で数学板に居るんだって言いたくなるのが数学板住人の人情だが
波動はズケズケと数学板に立ち入った余所者であり挑戦者ならぬ挑発者だ


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402日前に更新/378 KB
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