ひろゆき「実数は実在 ..
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576:132人目の素数さん
23/02/10 22:33:02.22 9uGym0CW.net
自然をそのままで認識できない
数は認識を媒介にした自然の抽象
無関係であるはずがない
自然と無関係なんてそんなのは無いよ
幽霊とかにしても存在はしないが無関係ではない
いろいろ勘違いしていないかな

577:132人目の素数さん
23/02/10 22:39:57.99 9uGym0CW.net
静止は運動の一形態だが、それは認識器官に像を結ぶ自然の在り方
生死は物理としては存在しない
無もまた
自然認識は自己言及
自己を他として規定する
否定で規定するから決定不能に
運動は静止で
有は無で
だから不確定性原理、不完全性定理
認識器官には真空は無として像を結ぶ
静止は光速度一定の原理で否定されるから
つまり自然は運動するエネルギーの濃淡
粒子は波の一形態、渦
真空はエネルギーの基底状態
観測問題は本質として静止が運動の一形態と変らない
現代科学は認識の在り方を少し考察したらよいのでは?
科学は自然認識なのだから

578:132人目の素数さん
23/02/10 22:44:30.96 9uGym0CW.net
半世紀くらい前から科学者の一部で現代科学の在り方に疑問を呈している人たちがいる
三十年前にも、そして今世紀に入っても
こう考えれば自然は無矛盾に理解可能だという一試案を提出している
けっきょく科学は自然の一部である人間の自己言及
自己を他として規定する
規定は否定
だから決定不能、哲学で言う矛盾ということになる
それは認識するからこそ
自然に矛盾は無いというのがわたしの理解

579:132人目の素数さん
23/02/11 05:31:06.72 Eak214hV.net
繰り返すがわたしは自然、人間、科学というか学問が何かを知りたいだけ
現代学問の啓蒙関係読んでもいっこうに蒙は啓かない
混迷するばかり
科学でさえ
時間は、重力はまだ正体不明
昨日相棒再放送で観測問題を前提にいろいろやっていた
科学の目的は自然を無矛盾に理解することだと思っている
多宇宙平行宇宙とかSFとしては面白いけど
ホーキングは最終方程式まであと僅かと語り、観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると
ライプニッツは重力方程式に敬意を表したが、その概念は魔術的と拒否した
役に立つなら天動説もある範囲で役にたつ
有効性と真理はまた別
地動説だって太陽中心だと理解したらアウト
いろいろ問題は山積
とにかく無矛盾な自然観を得たいわけです

580:132人目の素数さん
23/02/11 05:32:59.22 Eak214hV.net
とりあえず現在考えていることを
科学の歴史を概観する
それは否定関係と規定していたことが差異であることを示してきた
地動説は地球は諸天体同様に運動して仲間であること
進化論は諸動物の仲間
地球も人間もなんら特別な存在ではないことを示した
で人間も植物も金属さえも物理状態の差異で否定関係では無い
光速度一定の原理は絶対座標の存在を否定する
つまり運動の否定である静止は自然に存在しないということ
この原理で科学は自然の存在形態は運動、つまり無矛盾ということになる
量子力学の自然観は運動するエネルギーの濃淡ということ
いわゆる真空はディラックの海が真空はエネルギーの基底状態と示す
つまり無は文字通り無、無いものは無い、つまり無矛盾
無が〈有る〉ってのは否定される
ここで何故わたしたちは否定関係と規定したのかということになる
認識器官は物理条件でもある
光を媒介に認識器官の在り方に自然は像を結ぶ

581:132人目の素数さん
23/02/11 05:41:46.87 Eak214hV.net
諸生物により認識器官の態様は違う
光だけというのもある
それは物理条件が違うから違う像を結ぶというだけ
老若でも差異が在る 視覚聴覚とか
霞んで見えるというのは眼という物理条件の状態
静止は運動の一形態だが否定関係として像を結ぶ
生死は物理としては存在しないが生まれた、亡くなったと認識する
無は無いが認識器官には有る
科学の一面は認識の相対化でもあるんじゃないかと
つまり認識の在り方も考えるべきではないかということ
ではまた

582:132人目の素数さん
23/02/11 09:07:39.28 Eak214hV.net
視覚は認識器官という物理状態に光を媒介に像を結ぶ
ではそのままが自然と理解してよいのだろうかと素人は思うわけです
視力は人により違うし年代でも違ってくる
諸生物の視覚はそれぞれで自然の像は違う
でも対象自体は同じ
また静止は存在しないし、生死は存在しないし、これはさてと
繰り返します
理数系はやはり認識の在り方を追究しても良いのではないでしょうか

583:132人目の素数さん
23/02/11 09:16:01.73 Eak214hV.net
学問は学ぶことでもありますが問うことでもあります
何故?と問うことは重要ではないかと
座標原点は存在しませんがそれで運動を規定します
わたしは貴方ではありませんが生物としては同じです
生物は金属ではありませんが物理としては差異であり否定関係ではありません
わたしは物理として同一であることはありませんが同一で規定します
ウイルスは生物非生物と分類が困難ですが物理としては差異であり否定関係ではありません
若い時に歴史ものを読んでいて、この人たちは物理として遷移しただけで物理としてはどこかにあるんだなと面白く感じました

584:132人目の素数さん
23/02/11 09:24:48.89 Eak214hV.net
わたしはゼノンの逆説、微分積分の説明、重力概念などがからきし理解できませんでした
けっきょく納得できる説明はありませんでした
実はまだそれらは未解決だったわけです
カントの二律背反、ヘーゲルの運動規定などなど
観測問題、不確実性原理、不完全性定理が何を意味するのか
哲学に拘ると廃人になるとは哲学スレの投稿
実によくわかります 
天動説は視覚的に真理です
真理は相対的だとも言えます
まだまだ問題は山積しています
それらを一元的に理解したいわけです
数とは何かもまたその一つです

585:132人目の素数さん
23/02/11 09:40:49.99 Eak214hV.net
わたしの問題意識に興味が無い方に何を言ってもしょうがありません
板倉聖宣氏は「新哲学入門」で論理は静的だと規定しますがスピノザの規定は否定の方が本質的だと考えるようになりました
氏は観測問題の理解は放棄していますが、これには反対します
三浦つとむ氏は認識論から自己言及の在り方を解明しています
氏はマルキストですが、学問としてはともかく思想としては違うと思います
ちなみに板倉氏は三浦氏が師ですが、社会主義は科学の真理観から否定しています
山川偉也氏は「ゼノン4つの逆理」を著しこの逆説の性格を示しました
いずれにしても現在の学問を絶対化していろいろ裁断理解するのは如何なものかと
固定して理解することは重要ですが、また相対化することも重要なのだと素人には思えます
森鴎外らの大失態は当時の学問を絶対化したからです
四半世紀前に登場した「と学会」の学問への対応もまた鴎外的だと批判した科学者たちがいます
若い学徒たちがわたしたちの轍を踏まないようにと願います

586:132人目の素数さん
23/02/11 10:01:49.95 Eak214hV.net
自然は一であるというパルメニデスの主張をわたしは支持します
ピタゴラス学派の自然は多であるならとゼノンは逆説で否定します
数は認識の理論ではないかと
一を多で規定するということです
認識器官は真空、淡を像として生成しませんから自然は多として像を結びます
自然に〈ここ〉から、〈ここ〉までは存在しません
それは認識器官に結ぶ像です
多として認識する自然の抽象が次元です
0次元は存在しません
四次元が存在したら静止した自然が無限に存在することになりますし、また認識する人間も無限に存在することになります
今があるだけです
今とは運動であり物理にも伴いますから切り離せません
運動は静止、つまり有は無で規定しますから直接理解できません
0に限りなく近いが0ではないという規定は必然です
ですから量、四次元という観念の中にしか存在しない次元で捉えます
数はそのようなものとしてあり自然認識に端を発して無関係ではありませんが存在はしません

587:132人目の素数さん
23/02/11 10:13:20.70 Eak214hV.net
わたしは現代科学の主流に疑問をもっています
最小単位は存在するのでしょうか
座標原点、〈ここ〉から、〈ここ〉までは否定できます
自然は濃淡の海では無いかと
自然は無矛盾ならば
ビッグバン学説は対象が宇宙非宇宙と否定関係が前提です
エネルギー保存則も否定します
光速度一定の原理が否定する絶対座標を否定、つまり始点があると主張します
証拠と言われる宇宙背景放射は違う理解が可能と天文学者が指摘してスムート博士は否定できないとコメントします
火星に運河を発見した天文学者と同じ過ちの可能性があるのだと
科学者はこのような過ちを犯します
酸素とか、一番有名なのは天動説です
ヘーゲルは天動説で理解された観測結果を地動説で理解しなおすことを止揚という概念で説明します
中身は掬うが形式を変えるわけです
いや、わたしは日本の学徒に新たな学問の革命を担ってほしいのです
混乱が目的ではありません
ですから、解決の視点の一つを提供しています
一つの試論でしかありませんから誤解なきように

588:132人目の素数さん
23/02/11 10:19:42.06 Eak214hV.net
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発の過程で新たな濃淡を生成する過程だとわたしは理解します
数は認識の理論です
一を多で規定する、否定で規定する
だから不確定性原理、不完全性定理、観測問題などなどが生ずる
それは規定するから、理解するからです
理解することが原因だということです
自然科学は自己言及です
自己を他として規定します
やはり認識の在り方を追究すべきなのだと素人は考えるわけです

589:132人目の素数さん
23/02/11 10:22:41.84 Eak214hV.net
>>584
不確実性定理→不確定性原理ですね
校正しなきゃなあ
反省します

590:132人目の素数さん
23/02/11 11:28:27.01 Eak214hV.net
否定の為の否定ではなく前進したい
観測問題とか不完全性定理とか不確定性原理とかいろいろ納得したい
根源として人間とは何かってことを理解したい
それには自然とは学問とはを理解納得したいだけです
自分が真理だと信じていることに疑問を呈されるのは不愉快でしょうがわたしはそれだけです
理数系の人たちがわたしの疑問に答えていただければ幸いです
今のところ素人には現在の学問の基本が皆目理解できないのです
尊敬する学者は真理は単純であると述べています
わたしもまたそれに与します

591:132人目の素数さん
23/02/11 12:02:58.06 Eak214hV.net
一粒の麦でも良いんです
ただただ理解したいだけです
素人の疑問に答えられるほどには現代の学問は無いということでしょうか
理数系の方々はわたしなどより理解力があることは明白です
だからそのうちに答えてくれるのではないかと期待するわけです
敵対愚弄しているつもりはありません

592:132人目の素数さん
23/02/11 12:08:35.93 Eak214hV.net
納得したいだけです
それが実現するまで生きているかはちと自信がありません
素人の疑問を明快に解決策を示してほしいだけです
わたしは数そのものが存在しないと考えています
ひろゆき氏の理解にはかなり疑問があるわけです
それは認識器官に結ぶ像の抽象であり認識の媒介で存在しないのだ思えるわけです

593:132人目の素数さん
23/02/11 13:18:59.13 Eak214hV.net
地球球体説にも疑問があります
それは認識器官に生成された像なのではないかということです
たしかにある範囲では真理ではあります
地動説がそうであるように
現代科学の隘路を切り開く道は規定、認識の在り方を追究することではないかと素人には思えるわけです
少なくとも現在までは科学は認識したそのままが自然では無いことを示してきたのではないかと素人には思えます
科学は自然とその認識の在り方の自己言及では無いかと

594:132人目の素数さん
23/02/11 13:30:18.89 Eak214hV.net
人間とはという問いに対して科学は無慈悲な解答をする気がする
いろいろ基本的な学問渉猟するともうねって感じになる
ある学問の結論は無関係なわたしもまさにしばし呆然とした若き日の思い出
ある学者が四半世紀くらい前かな、テレビで人間はどこから来てどこに行くのかを知りたいと語った
意外と結論が出る前にあっちに逝った方がいいかもとその時に思ったりした
それにもかかわらず知りたいと思うのはサガかなあ

595:132人目の素数さん
23/02/11 15:00:45.56 Eak214hV.net
解けないうちが華かなとも思えます
様々な妄想が花開くのですから
様々な未解明事象がある内は学に携わる人たちは素人の妄言に耐えなければならない
個人的には基礎を確立すれば良いのではと思えますが
わたしにすれば矛盾の無い自然観から人間や学問を理解したいわけです
それが解れば素人の妄言は消え去るのではと思えます
わたしの理解も納得できる形で否定してもらいたい
自然が、人間が、学問が理解できればわたしの理解なんかは塵芥でしかなく一掃されてもなんとも思いません
・・・まあ少し残念かな w
第二、第三のニュートン、アインシュタインを切望します

596:132人目の素数さん
23/02/12 02:10:45.97 oV/C38G5.net
小学生低学年、たぶん二年生だった頃地面に何か生き物がいるか探して空を見上げて、空の向こうに壁か何かあるのかな、外側には何があるのだろうかと考えたらなぜか怖くなり家に入りました
それから勉強すれば解るのかなと思い勉強しました
高校生の時に数学や物理の説明が理解できず立ち尽くしました
ゼノンの逆説に触れたからでしょうか
いろいろ考えても解らない、「零の発見」とか読むとますます混迷しました
物理学を読んだら重力の説明でつまづきました
いろいろ読むとけっきょく数学も物理学もその基礎はいまだしであることが解りました
つまり納得できる段階ではないということなのだと
とりあえずこれでやっていきましょう、それでいろいろ役にたつのだからということなのでしょうか
天動説でも役に立つ範囲はありますし
鴎外らの失敗もその時の学問を固定して変わらないと理解したことによります
ガリレオは地球が丸いのなら裏側の人たちはどうしがみついているのだいう批判にそれは後世の人たちが解決してくれるとしました
これはある意味特別なものは存在しない、無矛盾な自然観の裏付けがあるとも言えます
無限宇宙論はオルバースのパラドックスがあり否定的に扱われます
ただ有限宇宙論は自然が矛盾するということですし、エネルギー保存則の否定、光速度一定の原理の否定とか前提原理原則を否定するものです
ガリレオのひそみに倣えば、それは後世の人が解決してくれると主張できます
その時の科学を絶対化せず、また無矛盾という前提は守られるべきだとわたしは主張します
科学はそのように展開してきたのですから
関係ないですが
社宅みたいな家の前に野球やテニスができる場所がありました
時々そこでカエルが出没するんですが同級生たちと遊んでいましたら小学校の高学年男子がやってきてカエルを捕まえ腹を裂きまた糸で縫って解放しました
一部始終をみて一同呆然として見ていました
それを見て去っていきましたが得意だったのかなとも思いました
水に入ったらカエルのお腹に浸水しないのかななどと心配したことを覚えています

597:132人目の素数さん
23/02/12 03:33:28.61 f+Y+3a0N.net
>>576
・見境が無さが究極なパーフェクトファジィなだけなら
全き白なる無限小成分も無い全き0、全き黒なる単なる∞ではない取り零し無欠の全き∞
それら両極端を除く「間の値」に対して
白寄りか黒寄りか判断する事を「出来るが、自分のファジィ信念に基づき判断する事を拒む」ポリシーから
「間の値」に対して白寄りか黒寄りかを判断する事を拒む一方で
先述の、零の中でも無限小さえ含まぬ全き無として零と、∞の中でも欠失不在で完全無欠の∞の中の∞、この双方から成る
両極端に対しては如何にパーフェクトなファジィ脳な人間と言えど白か黒かの判断は着く、着けざるを得ない、何故なら
片や全き白は「黒が全く不在、無限小量の黒さえ含まぬ」故に白と断ずる他は無く
片や全き黒は「白が全く不在、無限小量の白さえ含まぬ」故に黒と断ずる他は無い
だがお前はパーフェクトファジィ人間でさえない。何故ならお前は
「規定は否定」を代表とした数々の『パーフェクトファジィ』以前の
全き白と全き黒に対する、ファジィ介在が本当に不可能な白黒判断に対してもファジィに考え
『規定は否定、否定は規定』と考えるお前なので『全き白は全き黒、全き黒は全き白』」と考え
矛盾の中の矛盾である完全な二律背反こそ
『“自然”の正体』であり『“人間”の実態』であり『“科学”の極致』と考える人間だからだ、お前は。

598:132人目の素数さん
23/02/12 04:41:22.38 f+Y+3a0N.net
>>576
君は混沌にこそ真理が在ると思い込み、混沌に真理を求めている
六道 天道と人間道と修羅道の三善道と、畜生道と餓鬼道と地獄道の三悪道
『悟り』なる超脱つまり超越的解脱を果たせば仏道
六道最下層の地獄道の中でも最下層の無間地獄やコキュートスからも逸脱つまり逸失的解脱を仕出かせば外道、外道の過酷さは
ユダヤキリストイスラム三教共通唯一神のYHVHまたの名をアラーが定めた地獄最下層コキュートスや
仏道が中国を経る際にチベット密教から取り入れた最下層の無間地獄
その双方を併せ持ちながら、コキュートス的に全く身動きが取れないのに働かされる不可能労働
大天使長ミカエル超え最大天使だった堕天使長ルシファーをも遥かに凌ぐ元史上最大天使サタナエルにして最大悪魔王サタン
そのルシファーやサタンの本体が在る六道最下層地獄の中でも最下層の永久束縛コキュートス
そこからも落ちた外道、外道は弱き外道は強き外道に取り込まれ強き外道は更に強き外道に取り込まれ
取り込まれる事によりコキュートス同等の束縛をうけながら無間地獄同等の責め苦を味わう
つまり強き外道の細胞にされながら自分の意識は失神も気絶も遠退きもせずむしろ覚醒100%超えの
限度の無い青天井な責め苦を味わう苦界
ルシファーどころかサタンさえ味わわさない苦を味わう、邪悪な魔物でさえない
混沌でサタンよりも忌避されるべきサタンより憚れるべき愚物
それが君の求める真理
無宗教の俺だからこそ神や仏に遠慮や忌憚も無く語れる、地獄最下層をも凌ぐ苦界、外道
これは神や仏の存在を認める認めない以前に実在の苦界

599:132人目の素数さん
23/02/12 11:45:23.52 f+Y+3a0N.net
>>576
ほら、抽象と具象の関連性に気を囚われ混沌とした思考を選び
「無関係であるはずがない」とか言い出す
そんな混沌思考を重んじてりゃあ、そらお前一人だけ矛盾に陥るわ

600:132人目の素数さん
23/02/16 20:45:57.92 jFwGYhCM.net
わたしも抽象
数も抽象
いずれも認識器官に結んだ像の抽象
媒介があるが自然という対象からの抽象

601:132人目の素数さん
23/02/16 21:02:19.65 jFwGYhCM.net
有を無で規定するから0に限りなく近いが0ではないという不思議な定義になる
不確定性原理も運動を静止で、有を無で規定するから
で、測定値は近似値になるしかない
無は文字通り無い
金属、生物は差異であり否定関係では無い
どんな概念も出発点は自然
それも直接の自然では無い
認識器官という物理状態、物理条件に結んだ像
静止、生死、無は認識の在り方に結んだ像
次元もまた
幽霊もまた認識器官の在り方に起因する
規定は否定
そして規定は自然には存在しないことを科学は示す
わたしという他と否定関係は規定が否定だから
そしてわたしという規定は物理条件に結んだ像の抽象

602:132人目の素数さん
23/02/16 21:04:59.27 jFwGYhCM.net
自然は無矛盾
人間は自然の一部であり自然認識は自己言及
自己を他として認識する
有を無で 運動を静止で、などなど

603:132人目の素数さん
23/02/16 21:07:44.59 jFwGYhCM.net
自然は直接に理解できない
それは認識器官という物理条件に結ぶ像
次元があるはずも無し
そのままの自然を認識できるはずも無し
認識の在り方を理解する必要がある

604:132人目の素数さん
23/02/16 21:21:54.97 jFwGYhCM.net
こう考えれば観測問題とかいろいろ解るということ
ビックバンとか最小単位説とかは怪しい
自然を無矛盾に理解したいだけ
数は認識器官に結んだ像の抽象
ゼノンの逆説、二律背反、ヘーゲルの運動規定とかいろいろ解決するからさ
次元は、終始は無い
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発でまた新たな濃淡を生成していく過程
進化論も裏付けられるし
一元で理解したいだけ
規定するからいろいろ問題が出来する
ウイルスが分類困難なのは分類するから
規定理解することを認識する必要があるということ
絶対座標は存在しないということの意味
それで規定するがそれは存在しない
などなど
クレタ人の逆説は否定で規定するから
クレタ人が正直で、クレタ人は正直だとクレタ人が言う
この場合自己を他者として規定する
規定は否定ということは一貫する
根本として規定は否定
嘘つきの場合と正直の場合は少しまた違う問題があるけどとりあえず

605:132人目の素数さん
23/02/16 21:23:54.22 jFwGYhCM.net
自然は無矛盾
規定は否定
俺はこれでいろいろ構築するよ

606:132人目の素数さん
23/02/16 21:28:25.47 jFwGYhCM.net
互いに我が道をということで w
超ひもは崩壊する
ビッグバン仮説も崩壊する
虚数はある方が面白い理解をしていたな
かなり前だからなあ
いずれにしても根源は自然だよ

607:132人目の素数さん
23/02/16 22:15:01.82 jFwGYhCM.net
そうそう誤解する向きもあるかも知れないので
超紐からできているのではなく超紐に成るということ
物理条件が可能ならそれよりも小さくなるということです
ビッグバンも単なる遷移でしかない
宇宙非宇宙なんて否定関係が対象には存在しないということ

608:132人目の素数さん
23/02/16 22:20:51.36 jFwGYhCM.net
若い時に夢中で読んだ本を最近読んだらやはり不満がでてきた
学問もまた過程としてあるんだなあと痛感した
基本を認識したい
相対の中の絶対をということです
そういや相対が絶対とか言ってたな
ただやはり認識と対象の関係がイマイチかなと思えた

609:132人目の素数さん
23/02/16 22:23:49.84 jFwGYhCM.net
読み直している最中でしぱらく離れます
ゴールは見えたと思ったら何回も遠ざかる w

610:132人目の素数さん
23/02/19 17:26:06.19 0tbVl1la.net
>>601
> 0に限りなく近いが0ではないという不思議な定義
いつまで高校生向け子供騙し定義に拘り続けてるんだテメェは?
院生や教授や授業の貴重な時間を無駄にしてる癖に
何で大学数学科での極限の定義や他の方法での極限の定義を知らない振りしてんだテメェは?
院生や教授や授業を邪魔した時間分を当人等に返せ、金で

611:132人目の素数さん
23/02/23 05:35:19.80 m/HATSDx.net
仕切り直しです
わたしは無矛盾な自然からいろいろ考えたいわけです
学問、そして人間を
科学は無矛盾な自然理解にはすでに到達していると考えています
失礼なものいいですが、科学者が気づいていないだけで
自然科学は自己言及です
人間自身が自然の゜一部ですから
自己を他として認識する、このことが基本であり前提です
スピノザという哲学者は規定は否定としました
その前に結論らしきものを
新約聖書学というのが゜あります
これはプロテスタントがカトリックに対して優位性を示そうとして展開しました
で結論は教団初期は明らかにカトリックでイエスはキリストではなく思想として対立する可能性を示してしまいます
因みにバッハの代表作と言われるマタイ受難曲が基づいたマタイ福音書の成立過程はかなりイカガワシイ動機だったりします
でも思想としては高く評価されていると新約聖書学者は語ります
リヒターの映像版で視聴していましたら、バッハが苦手な母がだんだんのめり込んでついに三時間聴き入って聴き終えて、良い曲だねと言って台所に行ったのを今でも覚えています
ゲーテは偽物ほど人は熱狂すると言ったとかいう言葉を思い出しました
マルクス主義も三浦つとむという方が共産主義の実現を信じて学問を展開します
彼は言語学が主でしたが、社会科学も展開しました
その中で制度について論じましたが、お弟子さんの政治学者がその結論から共産主義は実現できないとソ連崩壊を予測します
七十年代のことです
数学も不完全性定理がありますし
けっきょくこれらは学者の意図に反した結論に至ります
新約聖書学を読んだキリスト教徒はそのことに触れると顔を真っ赤にしているのが判るような投稿をしますし、マルクス主義者も貸す耳をもちません
あれだけ社会実験を繰り返して成功例が無いのだから諦めろとある科学史家は語りますが信仰の域なんでしょう
先年ある物理学者が人間はどこから来てどこに行くのかを知りたいとテレビで語りました
いや、なんか不吉な予感がしてならなかったことを覚えています
でもまあ宗教者も結論を受け入れたことですし
宗教は人間が死ぬ限り不滅だろうと政治学者は語ります
共産主義幻想も不滅のような気がしています

612:132人目の素数さん
23/02/23 05:50:54.65 m/HATSDx.net
これまた失礼なものいいになりますが
ある院卒の方が不完全性定理でもってなにもかも解らなくなったと投稿していました
理系の方が不確定性原理について、わたしが不確定ということは確定しているではないかと反論したら納得できる回答はありませんでした
不完全性定理にしても、定理ということですから解らないこと自身は解るわけです
でないと定理にはなりませんから
詭弁を弄しているのではありません
クレタ人の逆説は、クレタ人が嘘つきならばクレタ人は正直者だと言わなければなりませんが、クレタ人は嘘つきだと正直にいうわけです
つまり嘘つきの否定、正直に言うので決定不能になるわけです
実は正直者でも否定で規定していることには変り在りません
自己自身を他者として、つまり否定で規定しているのですから
わたしという表現は自己を他者、つまり規定は否定なのです
まだ思案しているさなかですが、認識内部と外部の違いがあるかなとも思えますが納得できる結論は出ていません

613:132人目の素数さん
23/02/23 06:02:07.30 m/HATSDx.net
科学の展開を概観すると否定で規定してきたことが実は差異であったということになるとわたしは理解します
地動説は地球は諸天体の一部で特別ではないことを示します
進化論も人間は諸生物の一部で特別では無いことをしめします
わたしもまた植物や金属が物理であるように物理存在です
で真空は何も無いかというとディラックの海があります
わたしは光速度一定の原理が絶対座標、つまり静止、始まりを意味する座標原点を否定しているから自然の存在形態は運動であり無矛盾だと示したと理解します
無は文字通り無だと
運動は存在しない座標原点、静止、つまり否定で規定します
始まりがなければ終わりもありません
自然は無限ですが有限、つまり否定で規定します
二律背反は否定で規定することです

614:132人目の素数さん
23/02/23 06:22:41.36 m/HATSDx.net
わたしの論は自然は無矛盾ですが差異としてあります
認識器官は物理でありその態様に従い自然はその像を結びます
認識器官の在り方により自然はその像が違うわけです
光しか受容しない認識器官もありますし視覚や聴覚の範囲は生物によりまた個体差もあります
それはあくまでもその認識器官の在り方に結んだ像でありどれが間違いとかいう問題ではありません
認識器官は自然をそのまま捉えません
静止、生死、無は自然には存在しませんが認識器官にに存在します
自然認識は自然の一部である生物、つまり自己言及、自己を他者として規定することです
つまり規定とは否定なのです
数には大きさがありません
それをゼノンは示しました
数もまた規定なのです
ひろゆき氏は実数は存在すると語りますが、自然は一であり多で規定するのですが数そのものが存在しません
認識器官には一である自然がその在り方から多として像を結びその抽象が数です
まだいろいろ整理していないので混乱があります
ただやはり数は認識の理論、本質として規定、つまり否定なのだとわたしは理解します
ウイルスは物理状態の差異を生物非生物という否定関係で規定するから分類困難になります
これは分類すること自身が引き起こす問題です
規定は否定です
わたしは規定することが様々な難問を出来させるのだと主張します
絶対座標の存在を否定して無矛盾となる
つまり規定は否定であり、規定は認識の側にあり自然には存在しないことにより自然は無矛盾であることを証明するのだと
自然を認識することがどういうことかを理系の方々は理解する必要があるとわたしは理解します
・・・まあ対象の否定ですから対象に在るわけもなしですが

615:132人目の素数さん
23/02/23 06:28:37.43 m/HATSDx.net
0に限りなく近いが0ではないというのは有を無で規定するからだと私は理解します
座標原点、つまり静止で運動を規定します
対象である自然には静止は無い
有を無で規定しますからこの規定になるわけです
わたしはこれを決定不能と理解します

616:132人目の素数さん
23/02/23 06:40:54.13 m/HATSDx.net
科学革命が必要なのだと語る科学者は散見します
ホーキング博士は最終に方程式にあと僅かとかたりましたが観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語りました
ライプニッツは重力方程式に敬意を表しましたがその概念は魔術的と受け入れませんでした
現代科学の傾向について半世紀前から否定的な大科学者がいたりします
時間も重力もまだ理解されていません
いや学問はまだまだ発展途上なのだとわたしは考えています
そこに絶望も希望もあるのかもしれません
ただコペルニクス、ニュートンなどになれる可能性が理系の方にはあるわけで
数一般の理解もまた自然観の確立から導かれると素人は愚考するわけです

617:132人目の素数さん
23/02/23 14:03:51.06 m/HATSDx.net
いずれにしてもわたしは納得したいだけです
自然とは、人間とは、学問とはを
それ以外ではありません
癇に障る記述があったらご容赦ください
そういえばリドレー「進化は万能である」で学問、社会の展開は進化論同様にトップダウンではなくボトムアップだと論じていました
なかなか刺激的で面白い指摘です

618:132人目の素数さん
23/02/23 14:18:47.59 iAvQv02i.net
ひろゆき配信で承認欲求ないとか、金も使わないとか言ってるのに
毎回長時間配信する理由がしりたい

619:132人目の素数さん
23/02/23 15:43:44.01 Vn79LGP2.net
ときどき、ひろゆきみたいなこと言う人に出くわすけど
そういう人に R[X]/(X^2+1)の話をすればCが実在すること理解してくれるわ

620:132人目の素数さん
23/02/23 18:47:48.97 OmTNB5rh.net
それを話してわかるレベルの人なら、
ひろゆきのようなことは言わないよ。

621:132人目の素数さん
23/02/23 19:57:28.30 m/HATSDx.net
〈ここ〉からは存在しない
つまり〈ここ〉までも
数、次元、粒子とかは存在しない
それで理解するがそれは存在しない
静止、生死、無は存在しない
規定は否定
観測問題、不確定性原理などの理解が可能ということ

622:132人目の素数さん
23/02/23 20:00:17.56 m/HATSDx.net
数一般そのものが存在しない
現代科学の基本的未解決問題が理解可能ということ

623:132人目の素数さん
23/02/23 20:56:43.70 m/HATSDx.net
ゼノンの逆説は師であるパルメニデスの自然観の擁護
パルメニデスは自然は〈一〉であり〈多〉とするピタゴラス学派と対立した
ゼノンは競技場の逆説で時空に最小単位が在ればその半分が在ることを証明する
つまり自然は数で出来ていないということ
ピタゴラス学派は数には大きさが無いとした
ならば目的地には到達できずアキレスは亀を追い抜けないことを証明する
自然が点で出来ているのなら運動は不可能だと飛ぶ矢の逆説で示す
つまり数で自然は出来ていないということ
それは絶対座標の存在を否定した科学が裏付ける
しかし数で規定、理解することは否定していない
数は実在しないのだというのがこの逆説の示すところ
科学はパルメニデスの自然観を支持する

624:132人目の素数さん
23/02/23 20:59:37.34 m/HATSDx.net
自然認識は自己言及
自己を他として、つまり規定は否定
数は存在しない
有を無、つまり否定で規定している
自然は無矛盾で理解可能だということ

625:132人目の素数さん
23/02/23 21:09:44.12 m/HATSDx.net
数の存在は自然科学が否定している
自然は多ではない、一です
運動を静止で、生死は物理状態の遷移であり物理としては生滅は無い
有を無で規定する
〈ここ〉からが存在しないことは〈ここ〉までも存在しないということ
対象は無矛盾でなければならない
自然は無矛盾で理解可能だが、規定は否定
二律背反、ヘーゲルの運動規定、ゼノンの逆説などなど
不確定性原理、不完全性定理は否定で規定するから
観測問題は粒子は波の一形態
科学は認識の在り方を相対化して無矛盾な自然観を獲得した
絶対を相対で、つまり規定は否定

626:132人目の素数さん
23/02/24 08:11:32.44 14pZzsaU.net
吉田さんの「零の発見」を読むと数学者のある概念についての理解に疑問を呈している
科学者でも時間や重力の存在に疑問を呈していたりする
天動説が典型で酸素を発見した科学者はそれが燃素説を否定していることに気が付かなかった
ガリレオは地球が丸いなら裏側の人はどうしがみついているのだという批判に対してそれは後世の人が解決してくれると言った
科学の展開は差異はあれど否定関係は存在しないことを示してきた
わたしは自然が無矛盾であることを示してきたのが科学であるのだと考えている
何を言いたいのかというと学者の発見したこととその理解は別だということです
わたし自身は自然科学との関係で数がどういうものかを理解したい
それは自然認識との関係で、つまり認識の在り方から理解されるべきだということです
自然科学は認識自身の自然存在を否定している
静止、生死、無は自然認識に必要ですが存在はしません
規定は否定です

627:132人目の素数さん
23/02/24 08:24:27.15 14pZzsaU.net
学問に触れてきたのは自然、人間が解りたかったからです
数は認識の側、つまり存在しないのだという理解です
静止、生死は認識には存在しますが自然には存在しない
見たものがそのままの自然では無いことを地動説は示しました
それは科学の展開を貫いているのだとわたしは理解します
ビッグバン仮説は背景放射は違う理解が可能だという指摘がありスムート博士は否定できないとコメントしました
他の証拠も他の理解が可能だということです
何よりも対象が宇宙非宇宙と否定関係を想定します
つまり対象は矛盾するという理解です
エネルギー保存則も否定しますし光速度一定の原理が否定する絶対座標の存在が想定されています
オルバースのパラドックスにはガリレオのエピソードが参考になります
いずれにしても数が存在するというのは科学の否定ではないかと
それで規定しますが、それは認識の媒介であり存在しないのだということです
数には大きさが無いのです

628:132人目の素数さん
23/02/24 08:42:26.93 14pZzsaU.net
学問に関してはディレッタントです
新約聖書学に驚倒してマルクスの方法論で共産主義は否定され数学は自身の無矛盾性は証明できないことにも似た悲劇を感じます
科学は規定することが宿痾だと告げたのだという結論ではないかと
だとしたらこれ以上の悲喜劇はないわけで
自由とは必然性の洞察とはヘーゲルの言葉ですが、 諦念もまた感じたりします
・・・まあ個人的な結論、自己満足です 

629:132人目の素数さん
23/02/24 09:46:51.98 14pZzsaU.net
去年今年貫く棒の如きもの
虚子だったんですね、失念していました
これも否定で規定していますが否定関係では無いことが指摘されているとも解釈可能かと w

630:132人目の素数さん
23/02/24 09:51:27.62 14pZzsaU.net
結論は自然は運動するエネルギーの濃淡がまた新たな濃淡を生成していく過程だと理解しています
認識器官の在り方から淡は認識できず多として自然は像を結ぶ
一を多、つまり否定で規定する
自然をという自己を他、否定で規定する
本質として決定不能であることが決定しているのだという理解です

631:132人目の素数さん
23/02/25 05:33:22.85 v+lLeSx8.net
三行で
科学は否定関係で規定してきたのが差異であることを示す歴史
一を多で規定、つまり規定は否定
多は認識器官に結ぶ一、つまり自然の像でありその抽象が数
結論 数は存在しない

632:132人目の素数さん
23/02/25 05:45:52.15 v+lLeSx8.net
変れば変わるほどますます変わらない
変らなければ変わらないほどますます変わる
両方真理だ
    アガサ・クリスティー ミス・マープルの言葉
変ることは変わらない
多は生成変化するが一であることは生成も変化もしない
自然は運動変化するエネルギーの濃淡の親和反発でまた新たな濃淡を生成する過程として在る
多は認識に結ぶ自然の像
それは生滅し一である自然は生滅しない
それは認識器官の在り方に結ぶ像
理数系は認識の在り方を考えるべき段階ではないかと

633:132人目の素数さん
23/02/25 06:03:06.11 v+lLeSx8.net
ディレッタントとしてはここまでが限界のような気がします
ゼノンの逆説に出遭い勉強に挫折しました
以来理数系学問が皆目頭に入ってこなくなったからです
半世紀ちかくそれをどう理解したら良いのか彷徨いました
とりあえずは結論が出て満足しています
ヘーゲルもマルクスもきちんと読みたかった
周辺の著作は正直理解しているとは言い難い
精神の現象学とかも序文は熟読、本論は一回だけ
マルクスは反デューリング論の自然科学の章に衝撃を受けました
ちなみに資本論を分析し方法論をそこから産み出した物理学者は当時世界的物理学者たちが否定的だった中間子理論を支持しました
彼は産湯とともに赤ん坊を流すなと警告しました
まあ人は自分の能力でしか理解できませんし
群盲象を、ですか
現在わたしの信頼している学者知識人は共産主義には否定的です
社会もまた進化論的だと指摘するのは「進化は万能である」で指摘されています
共産主義はトップダウンで全知全能でないと、つまり無理なのだと否定しています
個人的にはこの自然、学問、人間理解の結論に納得しています
・・・まああまりぞっとしなくはないですが
あっ、資本論は始めのほうで挫折しました
一回でも読んでみたいのですが

634:132人目の素数さん
23/02/25 06:08:00.38 v+lLeSx8.net
わたしはビッグバン仮説は崩壊すると予想しています
最小単位は存在せず超紐に成るというもの
物理条件が生成可能ならさらに小さい粒子、つまり渦となるという理解です
~に成るということです

635:132人目の素数さん
23/02/25 06:18:33.89 v+lLeSx8.net
現在取りまとめている最中ですがこれが難しい
今のところは一つ問題が残っているのですが見切り発車します
四半世紀前にヒントを得てこれで解決と思ったら次々と問題が
規定は否定ということを理解したのはつい数年前ですし
認識器官に結ぶ像の問題に気付いたのは半年くらい前ですか
二十年以上前にわたしに付き合ってくれたある理系会議室の方々には迷惑掛けました
より進展したわたしの理解を読んでいただきたいのですが、閉鎖して皆さんバラバラに
どこかで判るように発表したいのですが、仕方ありません
年齢もあり色んな意味で限界を感じています
とりあえず言いたいことは言えたかな
読んでくれた人もいると思います
その方々にお礼申し上げます

636:132人目の素数さん
23/02/25 06:31:25.19 BybWLvYS.net
>>631
つまり、ひろゆき氏の発言
「実数は実在するが虚数は実在しない…」は、そもそも数が存在しないので根本的に間違っている
「実数も虚数も存在(実在)しない」が正しい
と、貴方はいいたいのですか?

637:132人目の素数さん
23/02/25 12:31:50.55 v+lLeSx8.net
>>636
そうです

638:132人目の素数さん
23/02/25 12:33:13.76 v+lLeSx8.net
それが自然科学の結論だとわたしは理解しています

639:132人目の素数さん
23/02/25 12:37:54.15 v+lLeSx8.net
自然は無矛盾だと自然科学は証明したのだと理解しています
否定関係は存在しません
無は文字通り無だということです
以前の投稿を読んでいただければと思います
・・・まあくどいことは承知していますので御寛恕を

640:132人目の素数さん
23/02/25 12:43:10.71 v+lLeSx8.net
光速度一定の原理が否定されれば持論を撤回します
静止は存在しないのだということです
これだけが根拠だったりするので此処を殲滅してくれれば良いわけです
本当にこれだけなんです

641:132人目の素数さん
23/02/25 13:34:45.03 v+lLeSx8.net
もちろん一試論です
自然が無矛盾ならばということです
そうすれば観測問題も解決できます
無矛盾なら自然科学は自己言及、否定で規定するということです
ならばゼノン、二律背反、ヘーゲルの運動規定、不確定性原理、不完全性定理は規定は否定という観点から理解可能だと考えています

642:132人目の素数さん
23/02/25 15:35:50.83 It/HKVhE.net
>>637
ただそれだけの事なのに
それっぽっちの事なのに
お前は他の雑多を極めた話も絡めて十数万文字も書いて何してんの?スレ潰し?
規定は否定なら
お前の思考も非思考
お前の認識も非認識
お前の感覚も非感覚
デスソース舐めて辛い感覚も辛くない感覚、何故なら規定は否定とお前は言ってしまったから

643:132人目の素数さん
23/02/25 16:29:49.54 v+lLeSx8.net
対象は無矛盾、理解可能だと自然科学は示した
だから自然科学は自己言及です
自己言及についての認識論の構造は述べましたので遡って下さい
有を無で、運動は静止で規定します
・・・ってまた繰り返しにしかならないな
思考非思考とかはいろいろ違うんですが
まあ理解する気が無いようだから放置します

644:132人目の素数さん
23/02/25 17:04:06.84 XsMt4m2v.net
> 規定は否定なら
> お前の思考も非思考
フム、対象の自然は非思考
> お前の認識も非認識
対象の自然は非認識
> お前の感覚も非感覚
対象の自然は非感覚
確かに否定ですな
パチパチパチ

645:132人目の素数さん
23/02/25 19:17:47.64 It/HKVhE.net
>>644
さぁぁぁるぅぅぅいぃぃぃしぃぃぃ
第六天猿デカMaraオナホでシゴキおっPaっpiーyas大魔王他化自在天めぇぇぇ

646:132人目の素数さん
23/02/25 20:52:26.48 v+lLeSx8.net
わたしは自然、学問、就中人間とは何かを知りたいだけです
わたしには数が実在するとは思えないのです
哲学、科学、などなど
とりわけ科学の展開は瞠目すべきです
ただ発見した事象の理解を受け入れても良いのかは躊躇します
科学は自然には否定関係は存在しないということを証明してきたのだと
無は存在しないのだ、終始は存在しないのだということです
粒子は存在しないのだ、生死は存在しないのだと
なによりも対象に自然非自然は存在しないのだと示したのだと
数学者にしても認識論から言えば疑問があるのです
どうしても納得できる理解には思えないのです
決定不能は決定しているのです
不確定だと確定しているのです
無矛盾な対象を否定で規定するからです
いずれにしても単純に納得したいだけです
それがわたしの目的なのです
揶揄とか冷やかしではありませんのでご了承してください

647:132人目の素数さん
23/02/25 21:05:23.93 v+lLeSx8.net
変れば変わるほど変わらない
わたしは変わらないところを確定したいのです
座標原点、終始、存在しないもの、無で対象である有を規定します
これは有効範囲があります
生死はどこからと指示できません
それは無いからです
運動を静止で規定する
物理として存在しないここからここまでと有効範囲は定められます
無限は有限で規定され

648:132人目の素数さん
23/02/25 21:10:57.82 v+lLeSx8.net
去年今年く棒の如きもの
これを探求発見したいだけです
まだ上手く纏まっていませんが、学徒の参考になれば幸いです
正統な学問から大きく外れた者の戯言に過ぎないかもしれませんが役立つことを切に祈ります

649:132人目の素数さん
23/02/25 22:14:37.35 v+lLeSx8.net
小学生低学年のの時に空を見上げてその向こうに壁があるのかな、その壁の向こうには何があるのかなと思い怖くなり家に逃げ帰った思い出があります
ヘーゲルは「哲学入門」だったか序文で対象を過程として捉えるべきだと記しています
学問も過程である意味完成はありません
わたしは単純に勉強していけば辿り着くのだと思っていました
いろいろ読んでいくうちに実は学問は未だ発展途上だということが解りました
かなり前から現代の学問の在り方に疑義が呈されています
現状を変わらないものと捉えると鴎外のように脚気の原因が究明できなくなるわけです
新たな学問の在り方を模索、つまり科学革命が必要な段階だと主張する科学者たちは散見します
わたしもまたそう思います
認識論分野では尊敬する三浦つとむ氏は真理は単純なんだと主張されていました
わたしはその主張に同意します
・・・まあ一ディレッタントの戯言と言われても不満はありません
ただやはりこれからの学徒にわたしの戯言を始末して欲しいのですが
まあ始末するほどのものでは無いと言われればそれまでです w

650:132人目の素数さん
23/02/26 04:50:18.40 a2cXWtJ+.net
天動説は地球を中心に自然は運動していると〈見える〉というのなら真理です
それを自然の構造だと拡張したら偽になるわけです
太陽中心、銀河系中心もそうです
認識は基準、座標原点が必要だがそれは存在しないと科学は示します
認識はそういうことです
クレタ人の逆説はその中で直接否定で規定しています
クレタ人は嘘つきだとクレタ人がその否定、つまり真を述べるから決定不能になります
ではクレタ人が正直者なら、クレタ人は正直者たという命題は決定不能になりません
しかし認識の構造として、クレタ人は自身を他として、自己を他として規定します
つまり自己自身を規定することは根本的に否定ということになります
静止で運動を規定します
ヘーゲルは此処、今と指示すると此処、今は飛び去ると記します
つまり、此処、今という規定が運動の否定なのです
運動という有を静止という無で規定するからです
此処も今も運動を静止で規定している言葉です
運動は存在しますが、存在という規定が静止なのです
運動はその否定である静止で規定されます
科学というか規定自体が否定ということです
認識主体である人間は自然であり、自然科学は自己を他者として規定します
つまり科学は根源として決定不能なのですが、それは自然が無矛盾であり規定は否定だからです
理解可能であるが故に、無矛盾であるが故に決定不能なのだとわたしは理解しています
自然には規定は存在しません
規定は対象の否定ですから
決定不能だということは決定しているのです

651:132人目の素数さん
23/02/26 04:57:24.75 a2cXWtJ+.net
数が自然に存在するという主張は自然は多であるというピタゴラス学派の末裔です
わたしは基準、ここからここまでは存在しないという科学が示すことは数が存在しないということだと理解します
パルメニデスの主張の裏付けであるのだと
多であるというのは、認識の理論だということです
多で規定するが、規定は否定ですから存在しません
ひろゆき氏の理解は根本的に過ちだとわたしは考えます

652:132人目の素数さん
23/02/26 05:10:32.85 a2cXWtJ+.net
タゴールという詩人は極めて単純極めて豊穣と歌います
スーパーのエスカレーターから二階と一階の商品を眺めていたらこれは全て同一である自然の差異としての物理状態であり、空間、自身も含めすべてがそうなのだという理解に目眩を覚えました
自然に存在理由はありません
自然はただ在るだけです
あっ、解決していないことを思い出しました
つごうが悪いのでここまで w

653:132人目の素数さん
23/02/26 05:14:25.08 a2cXWtJ+.net
未解決問題を考えていますとある少女漫画の最後のコマを思い出したりします
いずれにしてもそれを解決したいのが今の生きがいだったりします
時間が無い気がしますのでいろいろ余裕がありませんがやり遂げたいです
では

654:132人目の素数さん
23/02/26 08:20:29.76 a2cXWtJ+.net
自己言及は自己を他者として認識規定することです
自然認識はそういうことです
静止で運動を規定する、無で有を規定する
そしてこの認識の在り方と対象の関係で決定不能になる
一を多で規定する
認識器官は淡を認識できず多として自然像を結びます
その抽象が数であり次元です
四次元が存在したら無限の静止している自然と自身が存在することになります
四次元は有を無で規定、つまり直接には捉えられず量を媒介にするしか理解できないから必要になります
次元もまた存在しないのです
現在、現に在るものしか存在しません
そしてそれは無で規定されます
存在という規定もまた静止です

655:132人目の素数さん
23/02/26 08:21:19.18 a2cXWtJ+.net
無限は有限で認識する
不完全性定理では有限を無限で、ということだと解説本にありました
無限は直接扱えません
いずれにしても規定は否定です

656:132人目の素数さん
23/02/26 08:46:34.09 a2cXWtJ+.net
ラジオ音楽の泉がウクライナ紛争で潰れましたか
故皆川達夫さんの軽やかな口調が快かったです
バッハ コーヒーカンタータ解説は女性の語り口が面白くて笑えました
二回放送したと記憶しています
学問も音楽も現実の前では副次的な存在ですがわたしなどには欠かせません
科学も含めてボトムアップだという指摘があり目から鱗というか生物も社会もボトムアップでありトップダウンではないとありました
人間は産まれた時はタブララサという理解は前世紀の遺物の様です
やはり特性があるのだということのようです
日陰でありながら法則性を認識することで人間は自由を獲得するということに学問は貢献します
それはともかく日曜日、安息日っていうのかな
イエスが畑の麦の粒を取り食べると労働だと言って咎められると人間の為に安息日がありその逆ではないという話があります
教条的なことに対する批判です
これは社会の決まり事ですね
まあ秩序を乱さなければということもありますし決まり事自身が社会に害を及ぼしたら改正するというこでしょう
禁酒法や社会主義は社会に混乱、停滞をもたらしてアウト
この場合は社会が基準ですか
いや認識問題にはいろいろあります
これは観念内の話かな
いろいろ錯綜してしまうなあ
整理しなきゃ
いずれにしても失礼な言い方かも知れませんが理数系でさえまだまだの段階なのではないかと一趣味人は思ったりします
ソ連崩壊を予想した政治学者は科学の足元に及ばない経済学にも政治学は及ばないと嘆きました
でも学問に携わる人たちはそこに希望も失望もあるのかなと外野には思えます
時として野次、時として応援したいです
いろいろ理解して生を終えたいのです
悟りたいのかな www

657:132人目の素数さん
23/02/26 08:57:04.01 a2cXWtJ+.net
万物は流転する
食物は態様を変えて行く
周りの全てがそうです
自然はそのようなものとしてある
そして流転すること自身は流転しません
変化すること自身は変化しない
このこと自身は認識に属することです
規定するからこその決定不能です

658:132人目の素数さん
23/02/26 09:34:00.79 a2cXWtJ+.net
すいませんね
今纏めているんですが上手く行かなくて小休止しています
グダグダ書きすぎていることは承知しています
半年近く思案しかねていて、愚痴のはけ口になっている
申し訳ない
いや参考になればという思いもあるので免罪してください w
三浦つとむ 弁証法はどういう科学か
板倉聖宣   新哲学入門
山川偉也   ゼノン4つの逆理
直接の出発はこれらからです
三浦さんは自己言及の認識論的構造
板倉さんは論理とは
山川さんはゼノンの逆説がどういうものか
それぞれ参考にしました

659:132人目の素数さん
23/02/26 09:38:39.10 a2cXWtJ+.net
個人的には日本からコペルニクス、ニュートン、アインシュタインの出現を期待する者です
エールになれば良いのですが
いずれにしても真偽を判断してもらい片付けていただきたいのです
真なら欣喜雀躍
偽なら当り前ですが消えるだけです

660:132人目の素数さん
23/02/26 10:33:43.10 a2cXWtJ+.net
>>656
タブララサで思い出しました
幼女はお人形に、男の子は自動車とかに行くとありました
猿もそうだとありました
ならばやはりフェミにもある程度枠があるようです
差別ではない区別は必要だということではないかと

661:132人目の素数さん
23/02/26 11:23:26.57 a2cXWtJ+.net
一つの課題として教養とか頭が良いとかは何なのかということがあります
現在の学校制度の優等生が社会や歴史としての観点なら絶対ではありませんし
わたしの年代だと教養主義がまだ蔓延っていました
音楽評論で教養主義丸出しの評論家がいて反面教師として学びました
夏目漱石の「わたしの個人主義」では明治の知識人たちに、それは西洋の人たちが良いからと言っているから良いと言っているだけではないかと主体性の無さを批判していたりします
その批判は残念ながら現在にも届いているのではないでしょうか
ある思想家は日本の文化は海辺の砂の城のようなもので、海の向こうから波が押し寄せると洗い流されまた新たな城を築いているのが実情ではないかと書いていました
知人でFランも落ちた人は商売では上手いし人の扱い方も賢かったりする
どこで咲くかという話ではないでしょうか
ある程度は現行教育制度で学ぶ必要はあるわけですが
板倉氏は仮説実験授業を提唱し、その系譜は未だ連綿としてあります
いろいろ欠陥はあるのでしょうがわたしには魅力的に映りました
それはともかく人間はいろいろな面でまだまだであるのだと理解しています
たぶん科学は最先端なのでしょうが、その科学も基礎は未だに確立していません
そのことだけは認識する必要はあるのではないかと
・・・バッハはイカガワシイマタイ福音書に基づき大傑作をものします
学問はある基準設定で展開しますが、それを超えると偽になるとわたしは理解します
その枠の範囲でやれば良いということでしょう
関係ありませんが大数学者が俺にも音楽くらい出来ると作曲し指揮したら死ぬほど退屈したというのを読んだことがあります
真偽は判りませんが有りうるかな
医者よ汝自身を治せ 反省します
そういやフィルポッツにそんな推理小説がありました
この作家なかなか面白いです
お薦め
あっ、ルクレティウスは良いですよ
パルメニデスで補完する必要はありますが西洋の学者、知識人に多大な影響を与えました
ボッティチェリのヴィーナスの誕生だったかな、ルクレティウスの思想の移し替えだという指摘があり驚きました


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438日前に更新/378 KB
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