ひろゆき「実数は実在 ..
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527:132人目の素数さん
22/11/13 08:16:00.61 xABuqW8L.net
>>526
で、実は三角関数の加法公式を利用すれば
rs=a+bi(a,bは実数、iはi^2=-1となる数)と表せる
というのが重要

528:132人目の素数さん
22/11/13 08:20:04.88 xABuqW8L.net
>>523
マルクスの指摘は正しいが、改善のための戦略を誤った
権力を奪取してプロレタリア一党独裁で改善しようとするのが誤り
党が正義だと思い込んだんだろうが、実はこれこそが悪徳
権力による強制こそが悪なのだから、権力をつかったらダメなんだよw

529:132人目の素数さん
22/11/13 08:26:32.51 xABuqW8L.net
光速度一定の原理はただの双曲的変換である
例えば、正方形の横をa倍、縦を-1/a倍する変換は横軸と縦軸を動かさない
これを45度傾ければいいだけのことw
実は次元を増やしても光円錐を不変とする変換が実現できて
その中身は双曲幾何学の合同変換になる
こんなの全然大した話じゃない 思想的な深みもない
トリックといえばトリック 
しかし現実にそうなってるという意味で
そう見せかけるだけの手品のトリックとは異なる

530:132人目の素数さん
22/11/13 08:32:22.05 xABuqW8L.net
速度の合成も実は掛け算として考えるべきであって、
それを足し算とするには”対数”をとる必要がある
速度0は1であって、それ以外の速度は正の実数aで表す
光の速度は0か∞であって、aの有限回の掛け算では決して到達できない
logをとれば加法的な速度が得られる

531:132人目の素数さん
22/11/13 10:17:21.24 Co1SFnp/.net
>>527
r∠s
r arg s

532:132人目の素数さん
22/11/25 00:36:11.06 cKMuWNdG.net
「王蟲はこんな眼を14ももってどんなふうに
           世界をみているのだろう・・・」
               「風の谷のナウシカ」 宮崎駿  

座標原点、静止は存在しない
絶対座標、静止は存在せず、自然の存在形態は運動
自然は運動するenergyの濃淡
〈ここ〉からが存在しないなら〈ここ〉までも存在しない
数は存在しない
認識器官に反映した自然はそのままの自然では無い
物理として、静止、生死、無は存在しない
認識器官は淡を無としてしか捉えられない
数で認識するが数は存在しない
自然は有、規定は無
規定は否定 スピノザ
規定の在り方が様々な問題を引き起こすだけ
ウイルス 生物非生物と分類困難だが、物理としては差異で否定関係では無い
粒子は波が渦の状
静止は運動の一形態
生死は物理としては違う状態に遷移していくだけ
数という無で対象を規定する
数一般が存在しない

533:132人目の素数さん
22/11/26 23:06:31.23 mT1RnNcH.net
>>532旧コテ「学問」「バカボンパパ」
いつまで、たゆたった思考で居る気だ?

534:132人目の素数さん
22/12/13 00:31:18.34 7jJL9774.net
早慶文系のカスが「虚数は造語だ」と言い出すwww
スレリンク(kouri板)

535:132人目の素数さん
22/12/16 01:46:09.41 djwjRWGi.net
数学の“存在する”とは、適切に考えられること。
その意味では、実数も虚数も数学的には存在する。
通常の“存在する”とは、五感で捉え得る実体がないこと。
その意味では、実数も虚数も存在しない。

536:132人目の素数さん
22/12/16 02:39:38.08 xuKp6el3.net
その話って突き詰めると、いちご一個とメロン一個が同じなわけがない
から1+1は2と言うのは詐欺と言うのと同じになってしまうんですけどね
虚数より難しいから試しにやってみ、物体の定義に行き着くから
天動説は素直に受けいれられたけど
進化論は怪しいと思ってハマって抜け出せなくなり
量子論で自棄起こしてもう地動説も許してやって良いんじゃない?
となるのが少年が通る道だ
善意で解釈するならひろゆきの言いたいことは
便宜的な対応は大事なことなので、いちごもメロンも同じ一個と
カウントすることが時には重要であると言っている

537:132人目の素数さん
22/12/16 02:42:11.62 xuKp6el3.net
>>146
アホむずいを、クソむずいくらいにしてくれたら時間かければ何とか読んで
理解も出来る、アホむずいは手が出せない

538:132人目の素数さん
22/12/20 16:00:33.12 R0GrT6qP.net
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)
URLリンク(i.imgur.com)

539:132人目の素数さん
23/01/02 12:52:04.86 Tjm8RrUz.net
複素数は、所詮実2次元のベクトルの空間の標準基底(1,0)と(0,1)を考えて、
たとえば前者を通常の実数の1、後者を i と書いて、
a,bを実数とするとき、一般の2次元ベクトル(a,b)に対して a + b i と書き、
可算についてはベクトルの可算と同じとしてよいが積については
ベクトル同士の積は自明ではない。
通常の実数の分配法則が拡張できると仮定すると
(a+bi) * (c+di) = (a*c) + (a*di+bi*c) + bi*di
 =(ac)(1*1) + ad (1*i)+bc(i*1) + bd(i*i)
交換法則が成り立つと仮定すると
 =(ac)(1*1) + (ad+bc)(1*i) + bd (i*i)
通常の実数の積の一般化になっていると仮定すれば、b=d=0のときは積がacだから
(1*1) = 1でなければならない。
また1が乗法の単位元であるとすると、a=1, b=0 とするときは
1 * (c+di) = c + di でなければならないので、
(1*i)=i でなければならない。
すると、(i*i)が残るが、
そこで積 (i*i) が二次元ベクトルの範囲に収まるようにするには
xとyを実数として
( i * i )= x + y i の形になるとしなければならない。
そこで通常の複素数では (i * i) = -1 ととる。
すると (a+bi)*(c+di)=(ac-bd)+(bc+ad)i となる。
たとえばそうすると、0以外の複素数に対しては逆元となる複素数が唯一に
決まることが示せるので、二次元ベクトルの空間にベクトルの可算を和とし、
ベクトル同士の積を上記のように決めて実数の積演算を拡張すると
実数上の二次元ベクトル(複素数)は可換な体になることがわかる。
普通は実ベクトル空間の表現を使わずに、虚数単位iを使って a + bi の
形で表す。どこにも神秘なところは無い。単に実数の体を含む形で体を
拡張する一つのやり方に過ぎない。

540:132人目の素数さん
23/01/03 09:37:57.00 b5Fu+qY0.net
Q:実閉体に√-1を添加した体は代数的閉体であることを示せ
実閉体
URLリンク(ja.wikipedia.org)
代数的閉体
URLリンク(ja.wikipedia.org)

541:132人目の素数さん
23/01/03 13:05:13.42 JnLpt9Qh.net
いま多項式P(z)が複素数の零点を全く持たないとする。
そのとき f(z) = P(z)/|P(z)| とすると、
各複素数の点zに対して複素単位円周上への点f(z)
が定まり、この写像は連続である。
f(z)は複素球面にまで定義域を拡大でき,無限遠点に
於いても値は確定であり連続である。
すると、2次元球面上に連続な消滅しない方向
ベクトルの場が定義されることになるが、
球面上の連続な方向ベクトルの場は少なくとも
2点において消滅するというトポロジーにおける
つむじの定理に矛盾する。
よって、複素数の範囲に定数では無い多項式が
零点をまったく持たないということはできない。

542:132人目の素数さん
23/01/11 06:57:21.66 rqNf6MqX.net
結局現在の学の水準であれこれ言えると考えることが間違いかも
科学を概観すると半世紀くらい前から大科学者たちが科学の在り方に疑問を呈している
科学革命が必要な段階だと主張する科学者たちが出てきている
時間非在説を主張する科学者たちが居るし、また重力は存在しないのではという科学者さえもいる
量子力学は新しい理論が必要になっていると立花隆氏は語る
研究者らしき方が一条の光も射さないという投稿をしていたりする
最終方程式まであと僅かと語ったホーキング博士は観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると語る
ライプニッツは重力方程式に敬意を表したが、その概念は魔術的だと拒んだ

543:132人目の素数さん
23/01/11 07:05:21.07 rqNf6MqX.net
数が自然に於いて存在したり存在しなかったりと矛盾するという理解はどうなんだろう
いずれにしても科学でさえその基礎は確立していない現在あれこれ言うのは群盲象を撫でるの典型かも
専門家の過ちを素人が正しい位置に戻すことはよくあることだとファイアアーベントは語ったが
その言葉を引用して「と学会」の現在の学の在り方であれこれ裁断することに科学者たちが疑義を呈している
・・・まあ逆に言えばここは素人の集まりだから意外と可能性があったりして w

544:132人目の素数さん
23/01/13 07:36:50.27 vACfGVPN.net
>>542-543
いい加減に黙れよ元「学問」元「バカボンパパ」の「1は1と定まっていない波を打っている」バカ兼「規定は否定」バカ
いいよ、お前がそういう考えなら同じ様にしてやる
お前の存在の肯定は否定
お前の金はお前の金じゃない
金を全額寄付して路頭に迷いつつ納税を強要されろ

545:132人目の素数さん
23/01/13 08:35:37.61 Ns+6DWFt.net
>>544
ひゃひゃっ
学問は基礎はまだまだ確定していないんだから
現在の学問の水準に文句を言えよ
あんたのは八つ当たりってだけ
ん?プライベートでなんかあったのかい www

546:132人目の素数さん
23/01/13 08:45:04.00 Ns+6DWFt.net
てか、理解する気が無いなら無視しておけば?
わたしの理解は自然は無矛盾だが、規定はその否定だから決定不能になるということ
静止というのは存在しないが運動は非存在で規定される
生死は物理としては存在しない
認識には存在しても自然には存在しないということ
光速度一定の原理は静止で運動、つまり規定は否定
そしてその存在を否定することで無矛盾が証明される
つまり認識の在り方を認識する必要があるというのがわたしの〈認識〉

547:132人目の素数さん
23/01/13 08:53:22.41 Ns+6DWFt.net
留学経験のある科学者が英国は主流学説が覆るのを何回も目撃しているから、筋が通っていれば異説も否定しないと語っている
日本は主流学説しか認めない傾向が強いとか
「と学会」は現在の科学の在り方を絶対化してこの説は〇、この説は×と裁断しているが、それはおかしいと批判していた
それはともかく、わたしの理解を否定したければ筋が通っていないことをあなたが示せば良いだけです

548:132人目の素数さん
23/01/13 09:41:02.27 Ns+6DWFt.net
転載

ゼノンの逆説は自然が多ならばこういうことになます
自然は〈一〉ですという論旨
これは数で規定するが存在しないということ
光速度一定の原理は絶対座標、点、0次元は存在しないことを示す
また静止は存在せず運動が自然の存在形態、つまり無矛盾ということ
運動を前提に否定関係は導けないから、自然は運動するエネルギーの濃淡ということになる
ディラックの海は、真空がエネルギーの基底状態であることを示す
つまり無は文字通り存在しない
自然は〈一〉であり〈多〉ではない
認識器官に静止、生死、無は存在するが自然には存在しない
濃淡の淡を認識器官は像として生成できず自然は多として像を生成する
その抽象が次元
0次元は存在しないし点を無限に集めても、幅が無い1次元を無限に集めても
厚みが無い二次元を無限に集めても・・・
静止している三次元を無限に集めても運動するわけではない
四次元が存在するならば静止している三次元が無限に存在することに成る
否定は規定、有を無で規定するから、直接運動は捉えられず量とし捉えるしかない
時間は規定であり、存在しない
次元は、数は認識の問題であり、自然には存在しない

549:132人目の素数さん
23/01/13 19:44:07.49 Ns+6DWFt.net
>>544
てかほとんど理解していない
理解する気が無いんじゃないかな

550:132人目の素数さん
23/01/16 12:57:36.78 rk4O3fVx.net
科学は未だ基本が確定していない
だからこそ個々の理解は徹底的には否定できる段階じゃないのかも
いろいろあっても良いのだから、自由にやろうよ
わたしは自然の無矛盾な理解と理解とは何かを追究したい
超ヒモ理論もビッグバン仮説も認識する自然がそのままの自然という天動説の誤謬から逃れていないとわたしは理解している
「ここ」からなど無い
「ここ」までもまた無い
終わりは始まり、始まりは終わり
矛盾は規定するから
光速度一定の原理は自然における絶対座標、つまり始まりを否定している
ならば自然は無限で永遠ということではないだろうか
終始で規定するが終始は存在しないということかと

551:132人目の素数さん
23/01/16 18:23:34.99 rk4O3fVx.net
だからさ、数式で観測問題は解決しないよね
重力概念も未だ未解決
いろいろ考えなおした方が良いんじゃないかなと横目で見る立場から思えるんだ
光速度一定の原理が何を示すのかはまったくの放棄状態
基本に還った方が良いんじゃないかなと思うんだ
ファイアアーベントは専門家の過ちを素人が正すことは良くあることと語る
それはともかく納得できる自然観を構築して欲しい
素人には何が何やら

552:132人目の素数さん
23/01/17 21:25:29.40 FmSqk/hd.net
古代ギリシャはいろいろ面白い考え方が花開いたようだ
地動説も進化論もそうだし、フロイト心理学の祖型もあるとか
でコペルニクスとか典型に古代ギリシャに還ったりする
パルメニデス、ピタゴラスとかもあるし
数の定義である大きさが無いというのはパルメニデスの弟子ゼノンが師の自然観擁護で展開したことから
で飛ぶ矢は飛んでいないという逆説が生まれたりする
万物は流転するとか、もういろいろ
ルクレティウスのは古代ギリシャのエピクロスの祖述であり、著作が失われたから重宝されている
快楽主義という批判はキリスト教と対立するから貼られたレッテルとか
個人的にはエピクロスはパルメニデスりが認識の相対化可能にする地点にいるのに比べて本質的ではないように思える
ある地点まではとても有効な視点ではあるが
現代に必要なのはパルメニデスとスピノザだと考えている
クレタ人の逆説が対象と規定の関係の本質を示しているというのがわたしの理解

553:132人目の素数さん
23/01/19 10:01:41.24 cpL1Qynb.net
科学は否定関係と規定していたことが差異であることを証明してきた
人間も金属も真空でさえも否定関係では無く差異
否定関係で規定することは理解に有効です
ただそれは認識する上です
地球は球体と規定するのは認識の在り方に生成した自然の像です
それは自然をそのまま反映しないのだとわたしは理解します
座標原点で規定するが、それは自然存在ではありません
静止、生死、無、終始は認識器官に生成した像であり、対象と認識の関係で生成されたそれです
認識器官には存在しますが自然には存在しません
これが意味することは追究されるべきかと
追究しないから、ビッグバン仮説のように、自然科学の前提を無視する理論が跋扈するわけです
対象は自然、非自然と矛盾して、宇宙は生れるし、光速度一定の原理は無視するこの仮説の非科学性に気が付かない
観測問題も解決しないし重力、次元などがどういうものなのかもわからない

554:132人目の素数さん
23/01/19 10:03:34.00 cpL1Qynb.net
科学、数学という学問が成立する条件が未だに確定していない
枠がきまらないうちの断言はいかがなものかな

555:132人目の素数さん
23/01/19 10:06:49.50 cpL1Qynb.net
逆に言えば、現在の学の在り方に縛られることは無いということか
新たな枠を作るために従来の枠を検討する必要があるのだと

556:132人目の素数さん
23/01/20 08:00:07.60 EuynH6TK.net
なんのスレだよ

557:132人目の素数さん
23/01/20 10:40:00.42 Lg0OYjd8.net
数とは何かってことじゃないかな
ならば自然に数は存在するのかということが焦点になる
自然が理解可能ならば無矛盾でなければならない
自然に静止、終始、生死、無は存在しないのではということ
静止は運動の一形態
終始で理解するが終始は光速度一定の原理でその存在を否定されている
終始で理解するが終始は存在しない
生死は物理状態の差異
無は有の一形態
無矛盾ということ
次元は認識の在り方に現象する自然の抽象で存在しない
四次元が存在したら静止する三次元が無限に存在する ことに
数で対象を規定するが数一般が自然存在ではない
有を無で規定する
クレタ人の逆説は対象を否定で規定するから
決定不能の原因
数は認識する側の存在で自然には存在しない
ひろゆきの理解は違うのではということ

558:132人目の素数さん
23/01/26 04:34:19.91 3Bc4JneC.net
かなり前に理系の方々と話していた時の思い出
お前は生死がどこからどこまでか解るのかと言われた
いやいや物理として生死は無いからと答えたら沈黙したというか
理系ばかりの住人は皆黙ってしまった
四次元が三次元の無限集合で実在していたらどうなるのか
そしてなによりもわたしという人間も無限に実在しなければならない
次元が自然に実在する・・・
さて科学はそれを証明したのだろうか
理系の方々はもう少し認識のあり方を追究しても良いのではないのだろうか

559:132人目の素数さん
23/01/26 23:03:24.06 IGRqs6ti.net
数学の話じゃなくて認識論の話がしてぇんだったら数学板から出てけ、哲学板で一人ごちをしてろや

560:132人目の素数さん
23/01/28 19:23:28.32 6UkKrfUD.net
>>558
理系の方々と云われても仕方ない部分はありますが、まず先に哲学が足を引っ張っていることを提示して欲しいですね
自然数(0と1の概念)の説明(※ペアノの公理)すら不備が付きまとうしまつです

561:132人目の素数さん
23/01/28 20:02:45.89 D7B1Eakz.net
既成哲学や新興哲学が足を引っ張ってんじゃない、お前の天上天下唯一独個人に限られた哲学が足を引っ張っている。
世界の正しい認識として。
お前が数学を疑い「1は1ではなく1と揺らぎを伴った物的現象」(←俺の要約だから、そらまぁ抜粋じゃないわな)と
幾ら唱えようと。揺らぎとは、揺らぎでしかない事は物理学が保証する。
揺らぎのエネルギーは零。もっと正確を期すと、振動のエネルギーは零。
もしも、振動の揺らぎに偏りを生じ、1を1では無くすエネルギーを為すならば、それは最早、振動では無くなって居て、
内訳としては、振動を伴いながら、ゆっくりと、1から2にでも0にでもマイナスにでも10にでも
変異する作用が、その1君の自律的な努力にしろ、他律にしろ、作用し
1を1でなくす「運動エネルギー」が働いている。運動は振動とは異なりエネルギーを成す。
フーリエ級数の、第一項から振動項が始まるが
級数の先頭に立つのは第一項ではなく第零項で
第零項こそは、フーリエ級数に於いて唯一の運動項である
お前は、物事の揺らぎ、振動に目を囚われ
振動を伴いながら行き着く先に向かう作用の「現れ」である運動を見逃している。
実生活としても振動よりも遥かに重要な運動を、無視どころじゃない、視認拒否している。

562:132人目の素数さん
23/01/28 20:41:12.74 D7B1Eakz.net
「1と振動」の域を超え
「1から『運動』(=変異)を伴った振動」
それを「1」と呼んじゃぁ、いけねぇなぁ。
1は1、揺らぎは揺らぎ、変異は変異
目に見える、それぞれの現象を細微に語れる様に分別した用語を
テメェは、場面を選ばず濫用し、悪戯に混濁とした解釈に読み手を導こうとし、
丸でネオエクスデスの様に世界を呑み込んだ解釈をしようとした
他人と自分の境を失ったネオエクスデスの様に成りたいかの如く
糞味噌とは、お前の解釈を言う

563:132人目の素数さん
23/01/28 22:35:15.82 mHcNxkUg.net
波動さんはバカのインスタンス。

564:132人目の素数さん
23/01/29 11:47:58.07 lomE9NWM.net
実在するとか、存在するという言葉が問題だ。
自然科学とは異なる形式科学である数学には、
素朴な実在や存在という言葉は、馴染まない。

565:132人目の素数さん
23/01/29 17:07:58.89 zcXdMuRa.net
>>564
そんなものは『ファジィ』の一言で事足りて居る。
多くの場合は様相の切り替わりはヒステリシス曲線とかヒステリシスループと言われる線の内域の中で
個人差・個体差を伴い乍ら変容していく様子が認識され易いが
過冷却やギッブスの飛躍など突然もしくは飛び級で変異する現象も多々、有る。
液体を経ずに気体化やプラズマ化していく固体など。
『意識の有無』も『各個人の自他の区別』も
今風に言えば『インターネットクラウドの様な集合要素でファジィに変容していく』と言えるが
その全てを何でもかんでもを、ファジィでない事象物象であっても
お前みたいに全部ファジィに解釈するのは、揺らぎ解釈でも無いし、カオス解釈でもない。単なる混同だ。
お前は況してや、揺らぎ解釈の過剰な拡大解釈のみならず『“規定”は“否定”』とかブチこいて
白と黒の区別も逆転させる『間違った陰陽同一解釈』を晒している。単なる無節操、無節操な混同解釈。
『“痛くて苦しい”も“痛くなくて苦しくない”』の実験体にでも成ってみれば考えは変わるだろう。

566:132人目の素数さん
23/01/31 22:27:27.85 zmJP8wop.net
存在しない数とは何かってことなんですが
まず対象が自然非自然と矛盾したら科学は成立するのか
数は物理として無ですから無限に集めても自然には存在しません
有を無で規定しますから0に限らなく近いが0ということになります
エネルギーは無ではありません
それは規定が否定だからです
有を無で規定するからです
無を無限に集めても無です
対象は有りますが無で規定します
不確定性原理にしても有を無で規定するからです
近似値でしかわたしたちは対象を捉えられない所以です
ウイルスは生物非生物と分類困難ですが物理としては差異であり否定関係ではありません
規定するからエネルギー0ということになりますが、0に限りなく近いが0に限りなく近いが0ではありません
四次元が存在したら運動の否定の三次元が無限に、そして認識する側も無限に存在することになります
そんなことはかつて確認されたことはありません
三次元は運動している自然の抽象で存在しません
静止、運動の否定です
現実には運動しています
つまり自然はそのままでは認識できません
>>559

567:132人目の素数さん
23/01/31 22:44:41.96 zmJP8wop.net
朝永博士は物理学の自然は撓んだ自然だと日記に記しました
その通りです
地球は運動していますが認識器官には静止として像を結びます
人間も植物も金属も物理としては差異状態ですが否定で規定します
生死は物理としては在りませんが認識には存在します
光速度一定の原理は静止の存在を否定しますから自然の存在形態はし運動であり無矛盾です
真空はディラックの海が示すようにエネルギーの基底状態と理解すべきです
つまら自然は濃淡の海、一ですが認識器官という物理状態はそのままの像を結びませい
濃淡の淡は像を結びませんから多として像を結びます
最小単位は存在しません
粒子は波の渦の状態です
自然は運動するエネルギーの濃淡でその親和反発の過程で新たな濃淡の状態に生成する過程です
貴方というか全てがそういう過程で生成されます
金属、植物と濃淡の在り方は多様で、基準を設定して理解します
基準は相対的です。
だから理論もまた相対的です
数は認識器官の在り方に結ぶ一である自然が多としての像の抽象です
数は規定する側の論理ですから自然には存在しません
規定は否定です
つまり対象には存在しません
有を無で、否定でということです
光速度一定の原理は座標原点の存在を否定しますが、それで規定する ことは否定しません
数は自然には存在しません

568:132人目の素数さん
23/01/31 22:54:12.63 zmJP8wop.net
殴り書きに近いし校正していませんから読みにくいかな
認識に生成される像がそのまま自然ではありません
光だけを感受したり人間より視覚範囲が広かったり、また聴覚が広かったり
それはそれぞれの生物の認識器官、つまり物理条件の違いに生成される像の差異であり、どれが正しいということではありまぜん
認識器官には静止、生死、無は存在しますが自然には存在しません
地動説は見たものがそのままの自然では無いことを示しました
認識を相対化して科学もまた発展してきた側面があるのだと思っています
わたしには物理として終始があるとは思えないのです
ということは数は自然には存在しないのだということです

569:132人目の素数さん
23/01/31 23:02:05.21 zmJP8wop.net
わたしは自然は無矛盾で理解可能だと思っています
規定は否定です
自然認識は自己言及です
自己を他として認識します
否定で規定します
クレタ人、二律背反、運動定義、不完全性定理、不確定性原理などなど
対象をその否定で規定するから決定不能になるのだということです
変われば変わるほどますます変わらない
変わらなければ変わらないほどますます変わる
ミス・マープルの言葉です
まことにその通りではないかと
それは規定するからです

570:132人目の素数さん
23/02/01 08:42:00.64 N/ZVM95a.net
基本は対象は無矛盾、理解可能ということです
対象に自然、非自然は矛盾です
終始、静止、等々が存在するという理解を科学は否定してきました
科学はそれが認識に必要であり自然には存在しないことを示してきました
数は頭の中だけの存在です

571:132人目の素数さん
23/02/02 19:46:40.89 58EAPUeS.net
説明が下手くそか
上記のように説明が長文化するのなら、見る人が理解しやすいよう、1レスに抽象と具体を1つずつ書き込むなどのちょっとした工夫が必要だと思います
例えば、
抽象的説明と具体的説明(または具体例)を上下に区切って書き込むなどすると、見やすく分かりやすくなるかと思います
↑こんな感じで

572:132人目の素数さん
23/02/02 21:22:03.42 u/bFmer4.net
理系のこと語るのやめろ西村

573:132人目の素数さん
23/02/05 07:01:12.35 q5thUZv5.net
語学もやばいよねこいつ

574:132人目の素数さん
23/02/06 18:48:00.66 e0JO7SGu.net
>>566
矛盾してんのはお前の観念だバカ垂れ
お前は毎度毎度いちいち
指標に過ぎず対象そのものでない数と
対象そのもの
を同一視する事による矛盾をわざわざ繰り返し
矛盾ガー矛盾ガー言ってる大バカ野郎だ。そら矛盾するわな
そんなんだからお前は 1 を 1 として捉えられず 1 に伴う波動とやらに目を捕らわれ
肝心要の 1 を無視し、波動を表す周期関数にばかり注視するんだ

575:132人目の素数さん
23/02/06 18:57:41.61 e0JO7SGu.net
>>566
分かったか?学者や学生がお前みたいな矛盾野郎の問いに答えられるわけが無いんだよ
対象そのものとは別物で指標に過ぎん数を
対象そのものと同一視して、わざと矛盾を導いといて
問いなんかだしてんだから。答えは「大前提根幹からして矛盾により問いは不成立」だ。
学者や学生の貴重な時間を奪う迷惑罪で捕まれ。

576:132人目の素数さん
23/02/10 22:33:02.22 9uGym0CW.net
自然をそのままで認識できない
数は認識を媒介にした自然の抽象
無関係であるはずがない
自然と無関係なんてそんなのは無いよ
幽霊とかにしても存在はしないが無関係ではない
いろいろ勘違いしていないかな

577:132人目の素数さん
23/02/10 22:39:57.99 9uGym0CW.net
静止は運動の一形態だが、それは認識器官に像を結ぶ自然の在り方
生死は物理としては存在しない
無もまた
自然認識は自己言及
自己を他として規定する
否定で規定するから決定不能に
運動は静止で
有は無で
だから不確定性原理、不完全性定理
認識器官には真空は無として像を結ぶ
静止は光速度一定の原理で否定されるから
つまり自然は運動するエネルギーの濃淡
粒子は波の一形態、渦
真空はエネルギーの基底状態
観測問題は本質として静止が運動の一形態と変らない
現代科学は認識の在り方を少し考察したらよいのでは?
科学は自然認識なのだから

578:132人目の素数さん
23/02/10 22:44:30.96 9uGym0CW.net
半世紀くらい前から科学者の一部で現代科学の在り方に疑問を呈している人たちがいる
三十年前にも、そして今世紀に入っても
こう考えれば自然は無矛盾に理解可能だという一試案を提出している
けっきょく科学は自然の一部である人間の自己言及
自己を他として規定する
規定は否定
だから決定不能、哲学で言う矛盾ということになる
それは認識するからこそ
自然に矛盾は無いというのがわたしの理解

579:132人目の素数さん
23/02/11 05:31:06.72 Eak214hV.net
繰り返すがわたしは自然、人間、科学というか学問が何かを知りたいだけ
現代学問の啓蒙関係読んでもいっこうに蒙は啓かない
混迷するばかり
科学でさえ
時間は、重力はまだ正体不明
昨日相棒再放送で観測問題を前提にいろいろやっていた
科学の目的は自然を無矛盾に理解することだと思っている
多宇宙平行宇宙とかSFとしては面白いけど
ホーキングは最終方程式まであと僅かと語り、観測問題を考えると抽斗の銃に手が伸びると
ライプニッツは重力方程式に敬意を表したが、その概念は魔術的と拒否した
役に立つなら天動説もある範囲で役にたつ
有効性と真理はまた別
地動説だって太陽中心だと理解したらアウト
いろいろ問題は山積
とにかく無矛盾な自然観を得たいわけです

580:132人目の素数さん
23/02/11 05:32:59.22 Eak214hV.net
とりあえず現在考えていることを
科学の歴史を概観する
それは否定関係と規定していたことが差異であることを示してきた
地動説は地球は諸天体同様に運動して仲間であること
進化論は諸動物の仲間
地球も人間もなんら特別な存在ではないことを示した
で人間も植物も金属さえも物理状態の差異で否定関係では無い
光速度一定の原理は絶対座標の存在を否定する
つまり運動の否定である静止は自然に存在しないということ
この原理で科学は自然の存在形態は運動、つまり無矛盾ということになる
量子力学の自然観は運動するエネルギーの濃淡ということ
いわゆる真空はディラックの海が真空はエネルギーの基底状態と示す
つまり無は文字通り無、無いものは無い、つまり無矛盾
無が〈有る〉ってのは否定される
ここで何故わたしたちは否定関係と規定したのかということになる
認識器官は物理条件でもある
光を媒介に認識器官の在り方に自然は像を結ぶ

581:132人目の素数さん
23/02/11 05:41:46.87 Eak214hV.net
諸生物により認識器官の態様は違う
光だけというのもある
それは物理条件が違うから違う像を結ぶというだけ
老若でも差異が在る 視覚聴覚とか
霞んで見えるというのは眼という物理条件の状態
静止は運動の一形態だが否定関係として像を結ぶ
生死は物理としては存在しないが生まれた、亡くなったと認識する
無は無いが認識器官には有る
科学の一面は認識の相対化でもあるんじゃないかと
つまり認識の在り方も考えるべきではないかということ
ではまた

582:132人目の素数さん
23/02/11 09:07:39.28 Eak214hV.net
視覚は認識器官という物理状態に光を媒介に像を結ぶ
ではそのままが自然と理解してよいのだろうかと素人は思うわけです
視力は人により違うし年代でも違ってくる
諸生物の視覚はそれぞれで自然の像は違う
でも対象自体は同じ
また静止は存在しないし、生死は存在しないし、これはさてと
繰り返します
理数系はやはり認識の在り方を追究しても良いのではないでしょうか

583:132人目の素数さん
23/02/11 09:16:01.73 Eak214hV.net
学問は学ぶことでもありますが問うことでもあります
何故?と問うことは重要ではないかと
座標原点は存在しませんがそれで運動を規定します
わたしは貴方ではありませんが生物としては同じです
生物は金属ではありませんが物理としては差異であり否定関係ではありません
わたしは物理として同一であることはありませんが同一で規定します
ウイルスは生物非生物と分類が困難ですが物理としては差異であり否定関係ではありません
若い時に歴史ものを読んでいて、この人たちは物理として遷移しただけで物理としてはどこかにあるんだなと面白く感じました

584:132人目の素数さん
23/02/11 09:24:48.89 Eak214hV.net
わたしはゼノンの逆説、微分積分の説明、重力概念などがからきし理解できませんでした
けっきょく納得できる説明はありませんでした
実はまだそれらは未解決だったわけです
カントの二律背反、ヘーゲルの運動規定などなど
観測問題、不確実性原理、不完全性定理が何を意味するのか
哲学に拘ると廃人になるとは哲学スレの投稿
実によくわかります 
天動説は視覚的に真理です
真理は相対的だとも言えます
まだまだ問題は山積しています
それらを一元的に理解したいわけです
数とは何かもまたその一つです

585:132人目の素数さん
23/02/11 09:40:49.99 Eak214hV.net
わたしの問題意識に興味が無い方に何を言ってもしょうがありません
板倉聖宣氏は「新哲学入門」で論理は静的だと規定しますがスピノザの規定は否定の方が本質的だと考えるようになりました
氏は観測問題の理解は放棄していますが、これには反対します
三浦つとむ氏は認識論から自己言及の在り方を解明しています
氏はマルキストですが、学問としてはともかく思想としては違うと思います
ちなみに板倉氏は三浦氏が師ですが、社会主義は科学の真理観から否定しています
山川偉也氏は「ゼノン4つの逆理」を著しこの逆説の性格を示しました
いずれにしても現在の学問を絶対化していろいろ裁断理解するのは如何なものかと
固定して理解することは重要ですが、また相対化することも重要なのだと素人には思えます
森鴎外らの大失態は当時の学問を絶対化したからです
四半世紀前に登場した「と学会」の学問への対応もまた鴎外的だと批判した科学者たちがいます
若い学徒たちがわたしたちの轍を踏まないようにと願います

586:132人目の素数さん
23/02/11 10:01:49.95 Eak214hV.net
自然は一であるというパルメニデスの主張をわたしは支持します
ピタゴラス学派の自然は多であるならとゼノンは逆説で否定します
数は認識の理論ではないかと
一を多で規定するということです
認識器官は真空、淡を像として生成しませんから自然は多として像を結びます
自然に〈ここ〉から、〈ここ〉までは存在しません
それは認識器官に結ぶ像です
多として認識する自然の抽象が次元です
0次元は存在しません
四次元が存在したら静止した自然が無限に存在することになりますし、また認識する人間も無限に存在することになります
今があるだけです
今とは運動であり物理にも伴いますから切り離せません
運動は静止、つまり有は無で規定しますから直接理解できません
0に限りなく近いが0ではないという規定は必然です
ですから量、四次元という観念の中にしか存在しない次元で捉えます
数はそのようなものとしてあり自然認識に端を発して無関係ではありませんが存在はしません

587:132人目の素数さん
23/02/11 10:13:20.70 Eak214hV.net
わたしは現代科学の主流に疑問をもっています
最小単位は存在するのでしょうか
座標原点、〈ここ〉から、〈ここ〉までは否定できます
自然は濃淡の海では無いかと
自然は無矛盾ならば
ビッグバン学説は対象が宇宙非宇宙と否定関係が前提です
エネルギー保存則も否定します
光速度一定の原理が否定する絶対座標を否定、つまり始点があると主張します
証拠と言われる宇宙背景放射は違う理解が可能と天文学者が指摘してスムート博士は否定できないとコメントします
火星に運河を発見した天文学者と同じ過ちの可能性があるのだと
科学者はこのような過ちを犯します
酸素とか、一番有名なのは天動説です
ヘーゲルは天動説で理解された観測結果を地動説で理解しなおすことを止揚という概念で説明します
中身は掬うが形式を変えるわけです
いや、わたしは日本の学徒に新たな学問の革命を担ってほしいのです
混乱が目的ではありません
ですから、解決の視点の一つを提供しています
一つの試論でしかありませんから誤解なきように

588:132人目の素数さん
23/02/11 10:19:42.06 Eak214hV.net
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発の過程で新たな濃淡を生成する過程だとわたしは理解します
数は認識の理論です
一を多で規定する、否定で規定する
だから不確定性原理、不完全性定理、観測問題などなどが生ずる
それは規定するから、理解するからです
理解することが原因だということです
自然科学は自己言及です
自己を他として規定します
やはり認識の在り方を追究すべきなのだと素人は考えるわけです

589:132人目の素数さん
23/02/11 10:22:41.84 Eak214hV.net
>>584
不確実性定理→不確定性原理ですね
校正しなきゃなあ
反省します

590:132人目の素数さん
23/02/11 11:28:27.01 Eak214hV.net
否定の為の否定ではなく前進したい
観測問題とか不完全性定理とか不確定性原理とかいろいろ納得したい
根源として人間とは何かってことを理解したい
それには自然とは学問とはを理解納得したいだけです
自分が真理だと信じていることに疑問を呈されるのは不愉快でしょうがわたしはそれだけです
理数系の人たちがわたしの疑問に答えていただければ幸いです
今のところ素人には現在の学問の基本が皆目理解できないのです
尊敬する学者は真理は単純であると述べています
わたしもまたそれに与します

591:132人目の素数さん
23/02/11 12:02:58.06 Eak214hV.net
一粒の麦でも良いんです
ただただ理解したいだけです
素人の疑問に答えられるほどには現代の学問は無いということでしょうか
理数系の方々はわたしなどより理解力があることは明白です
だからそのうちに答えてくれるのではないかと期待するわけです
敵対愚弄しているつもりはありません

592:132人目の素数さん
23/02/11 12:08:35.93 Eak214hV.net
納得したいだけです
それが実現するまで生きているかはちと自信がありません
素人の疑問を明快に解決策を示してほしいだけです
わたしは数そのものが存在しないと考えています
ひろゆき氏の理解にはかなり疑問があるわけです
それは認識器官に結ぶ像の抽象であり認識の媒介で存在しないのだ思えるわけです

593:132人目の素数さん
23/02/11 13:18:59.13 Eak214hV.net
地球球体説にも疑問があります
それは認識器官に生成された像なのではないかということです
たしかにある範囲では真理ではあります
地動説がそうであるように
現代科学の隘路を切り開く道は規定、認識の在り方を追究することではないかと素人には思えるわけです
少なくとも現在までは科学は認識したそのままが自然では無いことを示してきたのではないかと素人には思えます
科学は自然とその認識の在り方の自己言及では無いかと

594:132人目の素数さん
23/02/11 13:30:18.89 Eak214hV.net
人間とはという問いに対して科学は無慈悲な解答をする気がする
いろいろ基本的な学問渉猟するともうねって感じになる
ある学問の結論は無関係なわたしもまさにしばし呆然とした若き日の思い出
ある学者が四半世紀くらい前かな、テレビで人間はどこから来てどこに行くのかを知りたいと語った
意外と結論が出る前にあっちに逝った方がいいかもとその時に思ったりした
それにもかかわらず知りたいと思うのはサガかなあ

595:132人目の素数さん
23/02/11 15:00:45.56 Eak214hV.net
解けないうちが華かなとも思えます
様々な妄想が花開くのですから
様々な未解明事象がある内は学に携わる人たちは素人の妄言に耐えなければならない
個人的には基礎を確立すれば良いのではと思えますが
わたしにすれば矛盾の無い自然観から人間や学問を理解したいわけです
それが解れば素人の妄言は消え去るのではと思えます
わたしの理解も納得できる形で否定してもらいたい
自然が、人間が、学問が理解できればわたしの理解なんかは塵芥でしかなく一掃されてもなんとも思いません
・・・まあ少し残念かな w
第二、第三のニュートン、アインシュタインを切望します

596:132人目の素数さん
23/02/12 02:10:45.97 oV/C38G5.net
小学生低学年、たぶん二年生だった頃地面に何か生き物がいるか探して空を見上げて、空の向こうに壁か何かあるのかな、外側には何があるのだろうかと考えたらなぜか怖くなり家に入りました
それから勉強すれば解るのかなと思い勉強しました
高校生の時に数学や物理の説明が理解できず立ち尽くしました
ゼノンの逆説に触れたからでしょうか
いろいろ考えても解らない、「零の発見」とか読むとますます混迷しました
物理学を読んだら重力の説明でつまづきました
いろいろ読むとけっきょく数学も物理学もその基礎はいまだしであることが解りました
つまり納得できる段階ではないということなのだと
とりあえずこれでやっていきましょう、それでいろいろ役にたつのだからということなのでしょうか
天動説でも役に立つ範囲はありますし
鴎外らの失敗もその時の学問を固定して変わらないと理解したことによります
ガリレオは地球が丸いのなら裏側の人たちはどうしがみついているのだいう批判にそれは後世の人たちが解決してくれるとしました
これはある意味特別なものは存在しない、無矛盾な自然観の裏付けがあるとも言えます
無限宇宙論はオルバースのパラドックスがあり否定的に扱われます
ただ有限宇宙論は自然が矛盾するということですし、エネルギー保存則の否定、光速度一定の原理の否定とか前提原理原則を否定するものです
ガリレオのひそみに倣えば、それは後世の人が解決してくれると主張できます
その時の科学を絶対化せず、また無矛盾という前提は守られるべきだとわたしは主張します
科学はそのように展開してきたのですから
関係ないですが
社宅みたいな家の前に野球やテニスができる場所がありました
時々そこでカエルが出没するんですが同級生たちと遊んでいましたら小学校の高学年男子がやってきてカエルを捕まえ腹を裂きまた糸で縫って解放しました
一部始終をみて一同呆然として見ていました
それを見て去っていきましたが得意だったのかなとも思いました
水に入ったらカエルのお腹に浸水しないのかななどと心配したことを覚えています

597:132人目の素数さん
23/02/12 03:33:28.61 f+Y+3a0N.net
>>576
・見境が無さが究極なパーフェクトファジィなだけなら
全き白なる無限小成分も無い全き0、全き黒なる単なる∞ではない取り零し無欠の全き∞
それら両極端を除く「間の値」に対して
白寄りか黒寄りか判断する事を「出来るが、自分のファジィ信念に基づき判断する事を拒む」ポリシーから
「間の値」に対して白寄りか黒寄りかを判断する事を拒む一方で
先述の、零の中でも無限小さえ含まぬ全き無として零と、∞の中でも欠失不在で完全無欠の∞の中の∞、この双方から成る
両極端に対しては如何にパーフェクトなファジィ脳な人間と言えど白か黒かの判断は着く、着けざるを得ない、何故なら
片や全き白は「黒が全く不在、無限小量の黒さえ含まぬ」故に白と断ずる他は無く
片や全き黒は「白が全く不在、無限小量の白さえ含まぬ」故に黒と断ずる他は無い
だがお前はパーフェクトファジィ人間でさえない。何故ならお前は
「規定は否定」を代表とした数々の『パーフェクトファジィ』以前の
全き白と全き黒に対する、ファジィ介在が本当に不可能な白黒判断に対してもファジィに考え
『規定は否定、否定は規定』と考えるお前なので『全き白は全き黒、全き黒は全き白』」と考え
矛盾の中の矛盾である完全な二律背反こそ
『“自然”の正体』であり『“人間”の実態』であり『“科学”の極致』と考える人間だからだ、お前は。

598:132人目の素数さん
23/02/12 04:41:22.38 f+Y+3a0N.net
>>576
君は混沌にこそ真理が在ると思い込み、混沌に真理を求めている
六道 天道と人間道と修羅道の三善道と、畜生道と餓鬼道と地獄道の三悪道
『悟り』なる超脱つまり超越的解脱を果たせば仏道
六道最下層の地獄道の中でも最下層の無間地獄やコキュートスからも逸脱つまり逸失的解脱を仕出かせば外道、外道の過酷さは
ユダヤキリストイスラム三教共通唯一神のYHVHまたの名をアラーが定めた地獄最下層コキュートスや
仏道が中国を経る際にチベット密教から取り入れた最下層の無間地獄
その双方を併せ持ちながら、コキュートス的に全く身動きが取れないのに働かされる不可能労働
大天使長ミカエル超え最大天使だった堕天使長ルシファーをも遥かに凌ぐ元史上最大天使サタナエルにして最大悪魔王サタン
そのルシファーやサタンの本体が在る六道最下層地獄の中でも最下層の永久束縛コキュートス
そこからも落ちた外道、外道は弱き外道は強き外道に取り込まれ強き外道は更に強き外道に取り込まれ
取り込まれる事によりコキュートス同等の束縛をうけながら無間地獄同等の責め苦を味わう
つまり強き外道の細胞にされながら自分の意識は失神も気絶も遠退きもせずむしろ覚醒100%超えの
限度の無い青天井な責め苦を味わう苦界
ルシファーどころかサタンさえ味わわさない苦を味わう、邪悪な魔物でさえない
混沌でサタンよりも忌避されるべきサタンより憚れるべき愚物
それが君の求める真理
無宗教の俺だからこそ神や仏に遠慮や忌憚も無く語れる、地獄最下層をも凌ぐ苦界、外道
これは神や仏の存在を認める認めない以前に実在の苦界

599:132人目の素数さん
23/02/12 11:45:23.52 f+Y+3a0N.net
>>576
ほら、抽象と具象の関連性に気を囚われ混沌とした思考を選び
「無関係であるはずがない」とか言い出す
そんな混沌思考を重んじてりゃあ、そらお前一人だけ矛盾に陥るわ

600:132人目の素数さん
23/02/16 20:45:57.92 jFwGYhCM.net
わたしも抽象
数も抽象
いずれも認識器官に結んだ像の抽象
媒介があるが自然という対象からの抽象

601:132人目の素数さん
23/02/16 21:02:19.65 jFwGYhCM.net
有を無で規定するから0に限りなく近いが0ではないという不思議な定義になる
不確定性原理も運動を静止で、有を無で規定するから
で、測定値は近似値になるしかない
無は文字通り無い
金属、生物は差異であり否定関係では無い
どんな概念も出発点は自然
それも直接の自然では無い
認識器官という物理状態、物理条件に結んだ像
静止、生死、無は認識の在り方に結んだ像
次元もまた
幽霊もまた認識器官の在り方に起因する
規定は否定
そして規定は自然には存在しないことを科学は示す
わたしという他と否定関係は規定が否定だから
そしてわたしという規定は物理条件に結んだ像の抽象

602:132人目の素数さん
23/02/16 21:04:59.27 jFwGYhCM.net
自然は無矛盾
人間は自然の一部であり自然認識は自己言及
自己を他として認識する
有を無で 運動を静止で、などなど

603:132人目の素数さん
23/02/16 21:07:44.59 jFwGYhCM.net
自然は直接に理解できない
それは認識器官という物理条件に結ぶ像
次元があるはずも無し
そのままの自然を認識できるはずも無し
認識の在り方を理解する必要がある

604:132人目の素数さん
23/02/16 21:21:54.97 jFwGYhCM.net
こう考えれば観測問題とかいろいろ解るということ
ビックバンとか最小単位説とかは怪しい
自然を無矛盾に理解したいだけ
数は認識器官に結んだ像の抽象
ゼノンの逆説、二律背反、ヘーゲルの運動規定とかいろいろ解決するからさ
次元は、終始は無い
自然は運動するエネルギーの濃淡の親和反発でまた新たな濃淡を生成していく過程
進化論も裏付けられるし
一元で理解したいだけ
規定するからいろいろ問題が出来する
ウイルスが分類困難なのは分類するから
規定理解することを認識する必要があるということ
絶対座標は存在しないということの意味
それで規定するがそれは存在しない
などなど
クレタ人の逆説は否定で規定するから
クレタ人が正直で、クレタ人は正直だとクレタ人が言う
この場合自己を他者として規定する
規定は否定ということは一貫する
根本として規定は否定
嘘つきの場合と正直の場合は少しまた違う問題があるけどとりあえず

605:132人目の素数さん
23/02/16 21:23:54.22 jFwGYhCM.net
自然は無矛盾
規定は否定
俺はこれでいろいろ構築するよ

606:132人目の素数さん
23/02/16 21:28:25.47 jFwGYhCM.net
互いに我が道をということで w
超ひもは崩壊する
ビッグバン仮説も崩壊する
虚数はある方が面白い理解をしていたな
かなり前だからなあ
いずれにしても根源は自然だよ

607:132人目の素数さん
23/02/16 22:15:01.82 jFwGYhCM.net
そうそう誤解する向きもあるかも知れないので
超紐からできているのではなく超紐に成るということ
物理条件が可能ならそれよりも小さくなるということです
ビッグバンも単なる遷移でしかない
宇宙非宇宙なんて否定関係が対象には存在しないということ

608:132人目の素数さん
23/02/16 22:20:51.36 jFwGYhCM.net
若い時に夢中で読んだ本を最近読んだらやはり不満がでてきた
学問もまた過程としてあるんだなあと痛感した
基本を認識したい
相対の中の絶対をということです
そういや相対が絶対とか言ってたな
ただやはり認識と対象の関係がイマイチかなと思えた

609:132人目の素数さん
23/02/16 22:23:49.84 jFwGYhCM.net
読み直している最中でしぱらく離れます
ゴールは見えたと思ったら何回も遠ざかる w

610:132人目の素数さん
23/02/19 17:26:06.19 0tbVl1la.net
>>601
> 0に限りなく近いが0ではないという不思議な定義
いつまで高校生向け子供騙し定義に拘り続けてるんだテメェは?
院生や教授や授業の貴重な時間を無駄にしてる癖に
何で大学数学科での極限の定義や他の方法での極限の定義を知らない振りしてんだテメェは?
院生や教授や授業を邪魔した時間分を当人等に返せ、金で

611:132人目の素数さん
23/02/23 05:35:19.80 m/HATSDx.net
仕切り直しです
わたしは無矛盾な自然からいろいろ考えたいわけです
学問、そして人間を
科学は無矛盾な自然理解にはすでに到達していると考えています
失礼なものいいですが、科学者が気づいていないだけで
自然科学は自己言及です
人間自身が自然の゜一部ですから
自己を他として認識する、このことが基本であり前提です
スピノザという哲学者は規定は否定としました
その前に結論らしきものを
新約聖書学というのが゜あります
これはプロテスタントがカトリックに対して優位性を示そうとして展開しました
で結論は教団初期は明らかにカトリックでイエスはキリストではなく思想として対立する可能性を示してしまいます
因みにバッハの代表作と言われるマタイ受難曲が基づいたマタイ福音書の成立過程はかなりイカガワシイ動機だったりします
でも思想としては高く評価されていると新約聖書学者は語ります
リヒターの映像版で視聴していましたら、バッハが苦手な母がだんだんのめり込んでついに三時間聴き入って聴き終えて、良い曲だねと言って台所に行ったのを今でも覚えています
ゲーテは偽物ほど人は熱狂すると言ったとかいう言葉を思い出しました
マルクス主義も三浦つとむという方が共産主義の実現を信じて学問を展開します
彼は言語学が主でしたが、社会科学も展開しました
その中で制度について論じましたが、お弟子さんの政治学者がその結論から共産主義は実現できないとソ連崩壊を予測します
七十年代のことです
数学も不完全性定理がありますし
けっきょくこれらは学者の意図に反した結論に至ります
新約聖書学を読んだキリスト教徒はそのことに触れると顔を真っ赤にしているのが判るような投稿をしますし、マルクス主義者も貸す耳をもちません
あれだけ社会実験を繰り返して成功例が無いのだから諦めろとある科学史家は語りますが信仰の域なんでしょう
先年ある物理学者が人間はどこから来てどこに行くのかを知りたいとテレビで語りました
いや、なんか不吉な予感がしてならなかったことを覚えています
でもまあ宗教者も結論を受け入れたことですし
宗教は人間が死ぬ限り不滅だろうと政治学者は語ります
共産主義幻想も不滅のような気がしています


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