明治天皇家は幕末 満州から来た★2
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35:名無しさん@お腹いっぱい。 18/10/23 14:41:14.76 wtQO1Q4C.net マクモニーグルの透視した卑弥呼の世界A https://ameblo.jp/brownie-chocolat/entry-12026343842.html 卑弥呼の部族はヤマト族という部族であった 卑弥呼の出身部族と邪馬台国は同一ではない(邪馬台国は多数の部族の連合国である) 卑弥呼の時代 有力部族による倭国連合が形成されていて、その連合国は卑弥呼の統治下にあり、卑弥呼の住んでいた首都が邪馬台国であった 卑弥呼の部族は博多湾や長門を拠点とし朝鮮の南部にも鉄の確保のために進出した 出雲に卑弥呼の大伯父が支配する地域があった 卑弥呼は祭祀を司る家柄に生まれ卓越した神託能力を持っていた 人の心を読んでしまう能力もあった 当時の倭国は長く続いた戦乱の時代で北方の10部族が和平に向けての話し合いを持ち 代表が卑弥呼の元へ神託を受けに山口県へやってきた 「畿内の有力3部族が和平しなければ地上は暗闇が覆い被さり多くの者が死ぬ」 この予言を聞き10部族の代表が卑弥呼を山口県から連れ帰り 紀元後213年卑弥呼を部族連合国のリーダーとした 当初卑弥呼が連れて行かれたのは大阪だった 大阪で稲作を始めたが奈良平野が大規模稲作に適しているとわかり卑弥呼の居城も奈良の榛原の鳥見山に移された(夏の居城) この卑弥呼の夏の居城があった場所(奈良)が邪馬台国の首都である 女王卑弥呼の国事の祭祀場は奈良桜井市の鳥見山(神武天皇が皇祖天神を祀った場所) 卑弥呼のプライベートな祭祀場所は奈良の三輪山であった いったんは奈良に移った卑弥呼だったが何と冬は故郷の山口にある豊田湖湖畔にある「冬の居城」に移動し連合国を統治していた 卑弥呼は夏の居城と山口県の冬の居城を季節によって移動を繰り返していた! 卑弥呼は山口県の冬の居城滞在時に肺炎にかかり亡くなり、冬の居城に墓を作った 卑弥呼の死後、姪が女王として担がれ「夏の居城」に住んだ 姪のトヨの墓は奈良県広陵町の巣山古墳 卑弥呼の墓は、なんと下関市豊田町の豊田湖湖畔の安徳天皇陵墓参考地に指定されている丸尾山にあるという
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