綏靖天皇と申す帝は、朝に夕に人を7人食らいなさった at JSDF
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1:専守防衛さん
20/06/30 18:04:12.53 .net
−−−−−−−−−−−−−−−−− (以下、こちらから転載)
これはいずれの帝の御時であったかというと人皇第二代の綏靖(すいぜい)天皇の御時である。
綏靖天皇と申す帝は、
朝に夕に人を7人食らいなさったので臣下の嘆きはこれにつきた。
「誰と誰が生き残れるだろう」
悲しいことに、それは誰にもわからない。この帝は長生きをしたので、
多くの人民がその間に滅びてしまいはせぬか、と心配してある臣下がこの暴君を滅ぼそうと提議した。
「この帝を戴いていたら、国土は乱れ、人民の嘆きは絶えない。
祖父の鵜羽葺不合尊(ウガヤフキアワセズノミコト。
あるいは、ウガヤフキアエズノミコト)は836412年を治めなさった。
人皇の代となってから、世も末になったのは悲しいことですが、それでも神武天皇は120年を治められました。
この帝も100年、200年、300年と御在世なさると思うが、その間、多くの人の命が失われるだろう。
『何月何日に火の雨が降る』と偽りの発表をして、諸国に使いを廻らしなさい。
いま命の惜しいものは、岩屋を作ってその中に籠り、難を避けよ」と告げられた。
人々はみな心を迷わして、各々に岩屋を作り構えた。諸国に塚が多くあるのはこのときの岩屋である。
都では、その日を定め、内裏の岩屋を作った。
「国王もその日が過ぎるまで、お入りになってください」と、公卿3人、殿上人2人、女房2人を付け参らせて、
摩利の柱(未詳)を立て、下から人が上がろうのも上がれないようにしてその中に収めた。
その後はどうなったともわからない。悪王と善王とを引き換えてしまったのである。 
(「熊野権現の事」『神道集』より)
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